住職雑記2004

最近の身辺あれこれ



2004.12.31
車のタイヤをスタッドレスに替えて昼からの雪を迎え撃つ。おとといの雪とは変わってさらさらと容赦なく積っていく。15センチ程度か。雪かきが本当に体にこたえます。夜は例年通り格闘技を見ながらの忘年会。ベストバウトは 予想通り魔裟斗×KID。スピード感に酔った。

2004.12.30
きのうまで連日、消防団の夜間警戒に出た。ほぼ最年長のため、ポンプ車のハンドルを握ることもなく、単なる待機要員。例年より寒さも和らいでいるので助かります。

2004.12.29
朝から本降りの雪。少し積り出したので日陰になるところだけ雪かきをする。べちょべちょの重い雪。これならやめば消えてくれるだろうがそのタイミングによっては氷になっちゃうよ。午後はやっと年賀状書き。といっても、今年からはパソコンからの自動印刷にしました。去年まではせめて宛名は手書きにしたいとこだわってたのに、いよいよ時間がなくなり背に腹は代えられない。いやしかし使ってみるとこれ楽すぎるな。ほっといて宛名書き完了。次回からは一言でも書き添えて出したいと思っていますが、とりあえず今年は裏表両面とも印刷で失礼します。投函しに出た夕方には雪は消えてました。

2004.12.28
午前は初詣におみえの方へお出しするお汁粉用の餡づくり。夕方にやっと寺報発送。11月末に出すはずだったのに・・・とここ数年毎年同じことをやっている。今年も4回発行に留まりました。すっかり季刊。来年は隔月刊に戻したい。という希望あり(希望ってあんた)。

2004.12.27
今年を象徴する字「災」に呼応するかのようなスマトラ沖地震発生の報をラジオで聴きながら、寺報「ポピンズ」作成。の途中で録っておいた「M-1」を見入ってしまう。あれれ、笑い飯どうしちゃったんだ、あれじゃ低得点も仕方ないだろう。初めて見た南海キャンディーズ、いいねー飛んじゃってる。へー、小朝ってふだんから若手のお笑いをちゃんとチェックしてるんだ。さてアンタッチャブルは・・・と、ここで坊守の逆鱗にふれる。やること先にやんなさい!

2004.12.26
葬式の後、築地別院にて会議。会議が始まってから、前回私に課せられていた宿題があったことに気づいた。が、その具体的な内容がほとんど思い出せない。ぽかーっと空いている。何やってたんだ、あの日の俺よ。何しに来たんだ、今日の俺よ。

2004.12.25
葬儀社の良し悪しの判断をする大きな基準のひとつに、お葬式の日程を決める時にまずお寺の都合を聞くかどうかがあります。寺の都合などかまわずに日程を決めてしまう葬儀社は、多くが懇意の僧侶を抱えていて、寺が都合が悪い場合がこれ幸いとそちらに式を執行させて、お布施の三割から五割をバックマージンで獲るという仕組みです。で、本日お世話をいただいた葬儀社、サンライフ・ジャクセンは日程について一切相談がありませんでした。設定されたのはとても伺えない時間。もちろん変更してもらいましたけど。ここ、以前もそういうことがあり、その時は先に相談するようお願いしたのですが全然改善させれていない。寺の都合は聞かないという方針のようです。

2004.12.24
工学院高校前を車で通ったら、なんと、校舎がない!元戸板女子短大校舎へ移転したのは知っていたけど、あの校舎を取り壊すとは思わなかったな。広大なグラウンドが出現しました。

2004.12.23
西原理恵子『上京ものがたり』に涙した。延立寺ウェブのBooksコーナーで紹介しよう。と思って置いておいた本が机の横で山になっている。9月から更新が止まっている。なんでだろ。この傾向は例年そうなんですよね。

2004.12.22
年も押し迫ってようやく来年の予定表を購入。もう何十年も使い続けている一ツ橋ノートのラッキー カトレヤダイアリー。ソフトカバーが手に馴染んでいるし、次年の3月まで載っているのもありがたい。このダイアリーを使うようになったのは、某仏具屋さんが毎年年末ずーっと送ってくれてたから。これが届くと、ああ年末だねえ、とありがたく使っていたが一昨年から、届かなくなった。そりゃそこから全然買い物してないんだもん、しかたない。でもカトレヤダイアリー、扱っている店が少ないのが困ります。銀座伊東屋以外で見た記憶がありません。

2004.12.21
アーユス事務所の大家、本誓寺さんにてアーユススタッフの忘年会。メインは秋田から取り寄せた豚の鍋。極上。大根おろし+ポン酢という王道の食べ方ももちろんいいが、今日は沖縄産ニンニク味噌を合わせてみる。初めて食する旨味×甘味に歓喜。

2004.12.20
今月に入って営業電話がやたらと多い。特に電話回線の営業。ここのところ時間も精神的余裕も欠けぎみなので、ほとんどの場合そっけなく切ります。ごめんな。でもね、そんな電話営業でもつい話を聞いてしまうケースもあるんです。話の持っていき方とか声のトーンとか複合的な理由があるんだろうけど、そういう人に当たった場合はうれしくもなりますね。プロの仕事に触れられたということで。かと言って契約までには進まないんですけど。

2004.12.19
八王子市民会館での「ふれ愛コンサート」にスタッフとして参加。今年で3年目だが一番の入り。おそらくは今年世界一を獲った片倉高校の力が大きい。本当に楽しいんですよ。先入観なしに今年初めて彼等の演奏にふれた知人が、鳥肌が立ったと感心&興奮してました。しかし申し訳ないことに予定のスケジュールが押して閉演が30分近く遅れてしまったために、途中で席を立つ人が少なくなかった。妙な間があったり休憩のアナウンスがなかったり進行上の不備の反省多し。上下関係がない組織が主催のために指揮系統が曖昧だったのが最大のネックと思われます。

2004.12.18
延立寺にて多摩組連続研修会を法話会と併催。講師の小笠原博慧師は予定の時間をオーバーしながらの熱弁。

2004.12.17
大阪にて日帰りの勉強会。話し合いの中で、上田紀行氏の著作からいただいた言葉「正しいけれど意味がない」との笑いと嘆息がたびたび出る。この会のひとつの判断基準になりそうな予感。現代を読むもうひとつのキーワードが「被害者」。今日も自称被害者が幼子の頭上に爆弾を落としている。

2004.12.16
横浜線の中で、しこたま酔った若い女性が連れの男性に大声でからんでいる。電車はちょうど十日市場駅についたところ。「とうかいちば?なんだ?東海なんだか千葉なんだかはっきりしろよ!どっち行くんだよ、全然逆じゃないかよ!」東海千葉。うまいねこりゃどうも、山田くん座布団一枚。私的には秋篠宮を「安芸市の呑み屋」へ変換させたのに次ぐヒットだな。駄洒落って馬鹿にされがちだけど、豊富な言葉量と枠組みのずらしが必要なわけで、両方とも欠けている私は駄洒落を駆使する人をちょっと尊敬しているのです。だから周りの客が完璧に無反応なのはなんかさみしい。

2004.12.15
エンゲイジドブディズム研究会。阿満利麿氏の報告によりジョアンナ・メーシーの縁起観を学ぶ。仏教を理解する上で彼女に一般システム理論の基盤があることが大きなプラスになっている。理知的であると同時に非常に情的で行動も促す説き方はきっと日本でも有効だと感じる。ただ、ここに儀礼的な部分はどう関われるだろう。

2004.12.14
八王子の東急スクエアで開催中の歳末企画、抽選会。期間中の買い物3000円ごとに一回抽選ができるが端数の金額は切り捨てになるために、無駄のないようにレシートの金額をいろいろ組み合わせて足し算してみる。と、みごと33010円。わずか10円切り捨ての快挙。11回がらがら回して、ポケットティッシュを11個もらいましたとさ。

2004.12.13
来年5月に八王子いちょうホールで開く、障害を持つ方の造形作品展覧会の企画会議。 AIR代表の風姫さんと八王子生活館の土井幸仁さんに全面的にご協力をいただきます。かなり良いものになりそうな予感。会議でも話が弾みます。

2004.12.12
六本木STBにて吉田美奈子を聴く。絶品。この数年ライブに行く回数がホントに減った中で、吉田美奈子にだけはけっこう足を運んでいる。嗜好の幅が狭くなった?いいよ。少量でも極上のものに接していれば。

2004.12.11
築地別院でのがん患者・家族の会に出講。この一年のニュースを振り返りながらいのちを考える、という話にしてみたのですが、場の空気がいまいち違ったかも。ま、しかしこの会の柱は後の参加者どうしの話し合いですのでお許しください。

2004.12.10
ヨドバシカメラにて年賀状用のはがき用紙を購入しようとしたが、なんと私が使っている顔料インクプリンター(EPSONのPM4000PX)用の用紙が売っていない。なぜか私の選ぶものはことごとく主流から外れてしまう。ベータしかり、親指シフトしかり、Macしかり。プリンターは4000PXの前はアルプスのを使ってたんだけど、ここは家庭用から撤退しちゃったという二代続きの屈辱。決してマイナー好みというわけではない。その時に一番優れているものを(もちろん将来性も期待して)選んだ結果がこれ。一番いいもの、という判断はどれも正しかったと確信しているが、どうも将来性を判断する(というかマーケティングの)目が私には徹底的にないらしい。

2004.12.9
年始めに立てた目標のひとつに、週一本映画(ビデオも可)を観る、というものがあった。のにいやはや8ヶ月ぶりのビデオ鑑賞。しかもなにをいまさら『レインマン』。気になっていたのになぜかずーっと手を出さずにいた名作ですが、それもよかったかもしれない。15年前の封切り時に観たらおそらく理解できなかったシーンがいくつもある。ルーティンワークに強いこだわりをもっていたり、ささいなことにパニックになったり、日にちなどを正確に覚えたりの自閉症の特徴が実に正確に描かれている。反面、床に落とした楊枝の数を一瞬で正確に数えたり、6組のトランプを一瞬で覚えるなんて・・・あるわけねーだろ。しかもその能力が兄弟の絆をつくっていくんだもんなあ。もうちょっと別の設定はなかったのかな。

2004.12.8
築地別院にて成道会布教大会。私はスタッフなんですが遅刻して参加。平日の昼間にもかかわらず、大勢の聴聞者をいただいたことに御礼申し上げます。

2004.12.7
アーユス来年度の企画会議。新企画は題して『Bouzu,Lovers,Liars,and World』(仮題)。居酒屋で酒を片手に坊さんとNGOが語り合うというもの。いわゆる報告会や勉強会ではふつうの坊さんには敷居が高いという考えからなんですが、場所を変えただけでも違ったものが生まれるかも、というのは安易ですかね。

2004.12.6
普段うちにいる時や車に乗っている時はほとんどTOKYO FMを流しっぱなしにしていた私ですが、最近AM放送も聞くようになった。午前のニッポン放送の上柳昌彦、夕方のTBSの荒川強啓のしゃべりが心地良いんです。歳ゆえの変化であることはもちろんなんだけど、この二人のしゃべり技術の凄さをやっと気付けるようになったということ。それが歳ゆえでもあるんですが。

2004.12.5
青山ブックセンターにての森達也氏+姜尚中氏のトークイベントにもぐり込ませてもらう。今世界中に蔓延している原理主義の横暴。勘違いされがちだが原理主義は原始回帰や原点回帰主義ではまったくない。原典は多くの場合原点ではないのだ。原理主義は原典に沿うか否かの単純な二分法主義であって、思考停止宣言の別名にほかならない。今の森氏ほど「周回遅れのトップランナー」という名がふさわしい人はいない。もちろん褒め言葉ですよ。なぜそうなりえたか。彼がホントに普通だからです。

2004.12.4
K-1をテレビ観戦。ワンデイトーナメントのつまらなさって誰もが感じていると思うんだけど。決勝戦は両者とも怪我と疲労を負って闘うので危険な上になにより凡戦が免れない。トーナメントにするなら一日二試合にしてくれよー。まあしかし今回はガオグライ・ゲーンノラシンvsマイティー・モーを観られたのでよしとする。あのしなりまくったハイキック!はモーの意識とともに観客の日常も一瞬にして彼方へ放擲する。

2004.12.3
多摩組役員会。多摩組に対して割り当てられる賦課金を組の中で各寺にどう割り振るか。現行の基準がいいかげんなのは誰もが承知している。で、いい機会だから公平な指標を一から作った方がいいように思うんですけど、これがなあ。

2004.12.2
ふと気がつくと部屋の中が霞んでいる。異常は・・・石油ストーブ。天板に乗せたケトルの底部が煤にまみれている。ここのところ掃除をしていなかったので不完全燃焼をしているのだろう。掃除機で念入りに内部のゴミを取り除き点火してみると、程度はよくなったがまだ煤が出る。もう寿命かな。そもそもこのストーブ、とある団地のゴミ置き場から持ち帰ったもの。それからだってもう10年以上経っている。もう役を終えても本望でしょう。で、代わりに持ち出してきたのが私が学生時代に使っていたストーブ。大学の生協で買ったのは25年前。ちょっと物持ちが良すぎないか。

2004.12.1
岐阜より大平一誠氏上京。憲法九条の歌録音の打ち合わせ。歌を書いてくださったウチダトモヒロ氏。熱い人。大平氏が九条の「九」にこだわっているのに応えて、作曲上も9音にこだわってみたと詳しく説明してくださるが音楽に無知な私は9%も理解していない。しかし曲はいい出来。

2004.11.30
今、使用中の手帳のカバーに来年の手帳も挟み込んで使っている。私は一昨年より「ほぼ日手帳」派。一日一ページ体裁で、単なるスケジュール管理だけでなくノート代わりにも日記代わりにもなっている。が、一冊だけでも厚さ13ミリ、それが二冊にカバーをかけるとちょっとした弁当箱なみ。まあ10年前にはこのくらいのシステム手帳を年中持ち歩いてたわけだし、これも年末の楽しみか。

2004.11.29
出版会議。まだ企画立ち上げの段階なのでみんな好きなことを言い合っている。でもこれみんなの意見を取り入れようとすると結局誰も読まないものになってしまう。まずはターゲットを絞ってみましょうか。

2004.11.28
八王子九条の会、集会。呼びかけ人として5分程の挨拶をした。会場が満堂になったのはめでたい。ただ、九条改定を後押ししている東アジア不安についての言及が、フロアからの声ひとつしかなかったのは説得力を欠くだろうな。また、党派性が濃く出てしまったのもちょっとうまくない。

2004.11.27
島田正吾死亡。この人の作品で最も印象に残っているのはNHKの大河ドラマ『勝海舟』での勝海舟の親父役。このドラマ、脚本の倉本聰がNHKの組合と衝突して途中降板したり主役の渡哲也が病気で倒れて松方弘樹に代わったり(この交代はちょっと違和感ありましたね。信念の人から遊び人になっちゃった)、トラブル満載でしたけど、しっかり毎回観てたんだよな。

2004.11.26
会議が三つ。前ふたつでは本願寺が進めている「全寺院サマースクール計画」について。しかしこれ、誤解をまねきやすい名称。計画の概念を理解してもらうだけで毎度ずいぶん時間をとられてしまう。名称ってばかにできませんですよ。

2004.11.25
松戸のお寺の法座に出講。聞き上手な方ばかりにおだてられて木に登る私。初めて伺ったお寺の内外には副住職自身が手を入れて整備している。トイレの自動点灯、納骨堂の荘厳、玄関の防犯カメラ、エントランスの敷石も。

2004.11.24
新明解国語辞典第六版購入。私、この辞典はすべての版を持っています。自慢なんですけど、記述の間違いを指摘したこともあります。そのときは編集担当者から手書きの返事がきて、増刷分から訂正されてました。

2004.11.23
バッテリーのもちが悪くなったのと、ハンズフリー化のために携帯電話を機種交換。まだFOMAはエリアが狭いということで、ムーバの最新機種にした。ポイントを使ったりで7000円程度ならまあいいか。しかしNECからパナソニックにメーカーを変えたこともあって使い方が全然分からない・・・思えば前の機種も会話とメール受信機能しか使わなかった(使えなかった)んだけど。

2004.11.22
またまたCD購入。秋だからでしょうか。矢野顕子『ホントのきもち』。傑作です。しかし先日の吉田美奈子もですが、私の選択肢は1970年代で固まってしまったような・・・。いや、THEイナズマ戦隊があった!ファーストアルバムも買っちまいましたよ。ファーストでもこいつら、期待にたがわず大馬鹿な曲書いてくれてました。ライプ行きてー!

2004.11.21
八王子いちょうまつり。長女がパレードに鼓笛隊で出た。私も法事をすませてから向ったが、到着時にはすでに解散したあと。でも天気が良かったので子どもは疲れながらもそこそこ満足げに歩いてきたようす。せっかくなので露店などを覗きたい気持ちもあったけど次男が祭関係の特に音に強い拒否を示して泣き叫ぶのですぐに場を去る。あの花火大会のトラウマがなあ。

2004.11.20
吉田美奈子『VOICE IN THE WIND』購入。ブラスアンサンブルをバックに過去の曲を新録したもの。ボーカルもブラスもともに抑制を効かせながらも余裕感はたっぷりあるという大人の技を披露する。

2004.11.19
本当にいまさらなんだけど、Mr.childrenの『シフクノオト』というアルバムは聴いていてひりひりする(もちろん褒め言葉)。ボーカルの桜井が歌詞を聞き取りにくく歌うのはわざとなのかな。もしあれを明瞭に届けられたらとても身の置き場などなくなってしまうかも。今日は「タガタメ」を繰り返し、繰り返し、繰り返し。

2004.11.18
思えばコラム類の本を読むことが本当に少なくなった。理由はただ一つ、インターネット。いまやネット上には商業出版に伍する質の文章が溢れている。朝起きてまずメールチェックをし、続いてお気に入りのサイト(多くは日記)を読むのが日課となった私ですが、実は現在、毎日定期巡回しているサイトやブログの数が18!斜め読みしているだけでも費やす時間がバカにならなくなっている。

2004.11.17
夜、エンゲイジドブディズム研究会。今月はタイの事例紹介。報告者のジョン・ワッツ氏によるチャートはタイ事情のものでありながら、普遍的な発展形態に通じるような気もした。また、タイにおけるHIVは、「人の力」を映す鏡であるとディスカッションの場で気付かされた。

2004.11.16
町田での報告会から深夜の築地へ向い報恩講の通夜布教を聴聞する。・・・人数が年々少なくなっている。わからんでもないが。なんて主催者側が言ってはいけない。しかし希望の芽(ここではまだ秘密ね)も見たので絶望はしません。なんて甘いこといってるのが悪いのかもしれないけどね。少し仮眠して午後からアーユス理事会。来年度の人材支援団体と評価支援団体を決定しました。夜は横須賀にて通夜のお勤め。

2004.11.15
PHD協会のキャラバンが今年も町田の勝楽寺へ来た。今年は地元町田の活動家(というのも古い言い方だな。元気な方々)が何人も参加してくださって、にぎやかな報告会になりました。藤野さんが撮った今年のカレンダーの写真、とってもいいよ。

2004.11.14
法事のために浅草へ。お斎の前少々時間があったので浅草寺境内を散策する。浅草は酉の市と七五三で結構な人出。こんなに活気のある仲見世は初めて体験。というより、考えてみると私は浅草寺観音様に参詣したのは生まれて初めてだ。なんということ。宗教人としての潔癖の証,などであるわけではなく、東京人としてどーよ。賑わう浅草っていい空間だなあ。

2004.11.13
家でコーヒーを淹れている時に立ち上る香りが少なくなった。豆のせいかと思ったが、原因はどうも水にあるらしい。今、地下水を汲み上げる井戸の清掃をしていて、一時的に水道水を使っているのです。ふだんはすべての生活水を地下水でまかなっているわが寺。かなりの贅沢をしているのだな。

2004.11.12
午前午後と築地報恩講法要に雅楽の龍笛で出仕。合間に堂内布教。明らかに準備不足の話をしてしまった。失礼きわまりないことです。出直します。最近出直すことばかり。

2004.11.11
本日より築地別院報恩講。記憶にないくらい暖かい。20年来私は築地報恩講へは同じ革のボンバージャケットを着て参勤している。もともと中古を買ったのでもう袖口や衿はぼろぼろ。そろそろ買い替えようかと思ってからもすでに数年たった。今年はトレーナーで出勤。

2004.11.10
ラジオでたまたま聴いたTHEイナズマ戦隊のアルバム『馬鹿者よ大志を抱け』がいい。とにかくいい。こんなバカども久々に聴いた。「応援歌」は暑苦しくて煩くてバカ丸出しで・・・笑って泣いた。念仏ソングと認定します。ちなみにこれまで認定した曲は吉田美奈子「Liberty」とCarole King「You ve got a friend」のみ。

2004.11.9
水道橋韓国YMCAにてStop the Wall!と題したシンポジウム。森達也氏の発言の通り、この集会に来ている人はもうこんな話を聞く必要はないんだよね。棲み分けが出来てしまっていることのジレンマはどう越えられるのか。それこそ、壁は高い。

2004.11.8
アーユスの支援候補NGOを訪問したのち大阪コリアタウン近くで焼肉。韓国料理屋に置いてある酒はあまり度数の強いものはない。ので、ついつい杯が進む。気持ちよく酔えた上に翌日残らないのも吉。

2004.11.7
延立寺報恩講。天気にも恵まれ、大勢のお参りをありがとうございました。池田行信師の御法話はなごやかな中にも自分を鋭く突くもの。清興は柳家さん光さん。熱演に大笑いで気持ち良く疲れた一日。尚、婦人会の手作り石鹸はたちまち完売、売り上げの22,370円は災害復興活動費となります。ありがとうございました。

2004.11.6
芝の青松寺にて仏教ルネッサンス塾。阿満利麿氏の講演と存明寺酒井氏、SVA三部氏のお話を聞く。活動や実績に自信があり、それゆえ気負いもない酒井、三部両氏は、コーディネーターの上田紀行氏の突っ込みもやんわりと受け流して、日本仏教への自己批判を期待した向きには不満だったたかも。いやしかし青松寺ってすごい構えだな。あ、活動も。

2004.11.5
六本木にて。約束に遅刻気味のため早足でエスカレーターに乗り、ふーっと息をついたところ、それがすぐ前の段に立つ青年の首筋に息を吹きかけた形になってしまった。青年はびくっと振り返る。しかも周りを見ると、長いエスカレーターの上で我々二人の前後は広ーく空いている。青年はすぐ前方へ移動、エスカレーターを降りてからも気味悪いものを見るように何度もこちらを伺っている。ごめんな、襲ったつもりはないんだよ。あれがもし女性だったら、セクハラを訴えられていたかも。

2004.11.4
ブッシュを勝たせたアメリカを笑えるか?自衛隊派遣に何の定見ももっていないことを露呈している首相を延命させている私たちが。

2004.11.3
六本木ヒルズにて浄土真宗本願寺派の公開講座。永六輔氏がメインで聴衆は700名近く。何百人も断ったとか。たしかに会場は目新しくてよかったかもしれない。でも使いやすいところではない。閉会後はエレベーター前がボトルネック状態になったし。プログラムも・・・メインの永さん登場まで90分前座(ではないのでしょうが。でも宣伝の扱いから見てもおまけですね)が勤めるのは長すぎました。

2004.11.2
延立寺報恩講に備えておみがき。婦人会の皆様にお世話になりました。ありがとうございました。

2004.11.1
本日より運転中の携帯電話使用が罰則対象になりました。ハンズフリー用イヤホンを店頭でいくかつ見てみたが、私の携帯が古いので、対応する選択肢がほとんどない・・・。バッテリーももたなくなってきたことだし、携帯の買い替えを先に考えようか。

2004.10.31
とある原稿に顔写真をそえる必要があって、セルフタイマーによるデジカメでの撮影をした。何枚も撮ってあらためて自分の顔を見てみると、左右が対称でないのがよく分かった。意外だったのが右顔。不思議なくらい無表情なんですよ。笑った顔をしたつもりが左側しか笑っていない。本人の気持ちと体の動きってけっこう乖離があるものかもしれない。

2004.10.30
『20世紀少年』の新刊がやっと出た。満を持してケンジ登場。はもちろんいいんですけど、どうやって彼が生き延びてきたのか、バカな読者はもうお手上げです。

2004.10.29
東京駅前にできたオアゾ内の巨大書店、丸善を覗く。期待して行ったのですが、はずれた。今どの本がお薦めかとの主張が見えない。品揃えも、数は確かにあるがインパクトなし(私が見たのは一般文芸書、叢書、詩集、宗教書のコーナーのみ)。八重洲ブックセンターと同類です。棚つくりに本への愛情が感じられません。本好きが店にいることが伝わってくるのは都心なら神田三省堂と神田東京堂。八王子なら八王子駅南口のあゆみbooksがダントツ。北口のくまざわ書店はまあまあ。東急スクエアの三省堂は・・・私、駐車券ねらいでここのいいお客のつもりなんですが・・・棚作りに奮起を心から願います。応対は最高にいいんですから。

2004.10.28
PowerbookG4の内蔵HDが残り1Gを切って窮屈になってきたので80GBに換装する。PowerbookG4を開けるのは初めてだが、交換作業は非常に簡単。あのPowerbook2400を知っている身からは隔世の感。隔世と言えば、私が始めて買ったMacSE/30のHDは80M。それが途方もなく広大に思えたんだよなあ。ともあれあっさり倍以上の容量となったG4との付合いは長くなりそう。愛い奴。

2004.10.27
岐阜から本願寺派僧侶、大平一誠氏が来訪。憲法九条を守る歌を作り、CD化して普及したいという提案を受けて相談。彼の腰の軽さは特筆すべき気持ちよさ。踊りで鍛えたゆえか。

2004.10.26
アーユスでの新潟中越地震の対応を検討。他団体の動きは、SVAと日蓮宗はすでに現地に入り、現地調査をしているとのこと。活動はこれからだろうが、その対応の早さは評価すべきもの。本願寺派では地元教務所職員が被害実態の把握に奔走している。もちろん落ち着いてからできることはたくさんあります。

2004.10.25
東青僧研修会に出講。「社会の現実を見つめて」というテーマで、僧侶の社会的実践について教学上の意味付けもおさえながら具体的に提示する、という御依頼。そうするつもりだったんだ。しかししかし、実際に私がやってしまったのは単に居酒屋で説教オヤジがくだまいている図。「そんなことじゃ何にも伝わらないよ」などと偉そうなこと言ってる俺の話が一番伝わっていない。んー、なんだこりゃと呆れている顔、苦笑している顔。あー、すみませんでした。

2004.10.24
長女夏菜が自転車のハンドルに足がぶつかると言ってきた。試しに以前もらった一回り大きい自転車にまたがらせてみると両足とも地面に届いている。つい三ヶ月前はまたがるのも大変だったのに。

2004.10.23
夕方、帰宅すると新潟に大地震の報。八王子もそこそこ揺れたらしいが、車に乗っていたらまったく感じなかった。地震自体の力は阪神淡路大震災以上だったそう。二次災害があまり広がらない様子は人口密度の違いか。しかしテレビで見るかぎり、動いている者の姿がまったく見えない。もともと人が少ないのもあるのだろうが・・・

2004.10.22
三鷹市美術ギャラリーにて「牛腸茂雄展 ─自己と他者─」を観る。ポートレートに漂う静謐な空気が展示会場全体をも支配する。作品群のひとつ、インクブロット絵画のオリジナルからは、左右対称に宿り落ちる命の震えを確かに聴いた。

2004.10.21
延立寺報恩講の案内葉書のプリント完了。さて発送にでかけようかと文面を見直すと、冒頭の文が「親鸞聖人の誕生日を祝う報恩講」・・・命日だろ。降誕会の案内を手抜きしてそのまま使ったのがバレバレ。官製(では今はなくなったか)はがきにプリントしてしまったので刷り直しはとてもできない。訂正シールを貼ることで対応することにしたが、それでまるまる午前中がつぶれてしまった。

2004.10.20
青年布教使研修会で富田富士也氏に人の話をくみ取るということの講義をいただく。富田氏はカウンセリングの技法や理論を一切、語らない。全く、語らない。所用のために中座しようとした私を呼び止めていただいたのも、氏一流のスタイル。理論や手法を学ぶとそれに縛られてしまう私たちの習性がみぬかれている。

2004.10.19
愛用のオーディオの左チャンネルから音が出なくなった。アンプの不良か。このアンプ、メーカー品にショップが手を加えたチューンアップ版。おそらく改造の過程でミスがあったんだろう。修理に持ち込むためにケーブルを外そうと裏を覗くと・・・左チャンネルのケーブルが外れてました。ちゃんちゃん。自分の思い込みで勝手に悪人をつくりあげてた私。

2004.10.18
地元の小学校で一時間の授業を受けもたせていただいた。対象は一年生ということでいったいどんな言葉が伝わるか見当がつかない。時間になり、空き教室に入室してくる2クラスの子どもたち。まずいっ。想像以上に幼い。話が通じるか不安を抱きながらつかみネタをひとつ。す、すべった・・・。もういいや、とかまわずお話をさせていたただいた。後で子どもたちの感想文を届けていただく。思わぬところまで深く受けとめていたことに感嘆。その功績はもちろん担任の先生の腕にある。

2004.10.17
深夜パソコンに向っていてふと気がついた。部屋が暗い。見上げると、電灯のカバーに陰りがある。カバーの内側には30Wの蛍光灯が4本収まっているが、1本切れたかな、とカバーを外してみると切れていたのは3本。こりゃ暗いわけだよ。ていうか、30W一本でもそこそこ間に合うんだな。いつもは明るすぎてたわけか。でもだんだん暗くなっていくとそれに気付かない私。部屋の灯だけの話ではない。

2004.10.16
延立寺法話会、御講師は白川淳敬師。優劣に囚われることは愚かだと頭では分かっていても、人の愚は指摘できても、どうしてもその愚に嵌まってしまう自らであることを指摘。他はよく見えているのに自分は見えない私。

2004.10.15
八王子市議会議員陣内やす子氏の招きで、氏の主催する茶話会「居場所カレッジ」にて「地域で多様性を認め合い、一緒に暮らすこと」をテーマに話す。つい散漫な話になってしまいましたが、ご出席の方々の体験を伺って、楽しくも勉強になりました。ありがとうございました。

2004.10.14
バスで高校前を通る。パス亭で、傘をさして並ぶ生徒たちの中にひとり、傘をささずに髪からしずくをたらす女生徒。おい、誰か傘に入れてやれよ。友だちじゃなくても誰かいないのかよ。でも彼女も拒むんだろうな。同性には意地があるし、合い合い傘ってあの年代には一番意味を持ってしまうし。若さって不自由なものだね。

2004.10.13
本郷求道会館にて同宗連研修会。『放送禁止歌』の上映と森達也氏の講演。『放送禁止歌』の画面の中で静かな笑顔を見せて、この作品をきっかけにまた歌い出した山平和彦氏がひき逃げで亡くなったと今朝、森氏に連絡があったとのこと。合掌。
夜、K-1MAXをテレビ観戦。武田とプアカーオ戦、一見地味だけど緊張感に溢れる好試合。手数と試合の面白さは必ずしも比例しないんだな。KIDはまだまだ光っている。

2004.10.12
シャンティ国際ボランティア会の手束氏がカンボジアから来訪。歓迎して仏教NGOネットワーク(BNN)の仲間とともに会食。来年はアーユスのスタディーツアーでお世話になります。

2004.10.11
葬式に伺う途中の路線バス内のこと。私の後に乗車した人のバスカードがエラーになった。運転手はカードを確かめて、やんわりと不正カードの可能性を指摘する。客はカードの不良は自分の責任ではないと交換をしつこく主張。カードの発行者が別会社だったので運転手は交換は拒否したが、面倒を回避したのだろう、運賃の請求はしなかった。まあ、交換は購入場所か営業所でが原則でしょう。でもあの客の様子を見ると、どうも偽造カードと承知で使用したとの印象を受けてしまう。主張を通すには道理とコツが必要です。

2004.10.10
台風一過のはずが、霧雨まじりの空。運動会またも順延かと検討のようすですが、長女が鼓笛隊のドラムメジャー(指揮者)をするとなればなんとしても今日決行していただきたい。明日は来れないので。今日も運動会の予備日に空けていたわけではないんですが、入っていた法事が先方の都合でキャンセルになって幸いでした。しかし天気予報、今日は30度になるんじゃなかったのか。これだけ大外れするのもめずらしいぞ。

2004.10.9
子どもが通う小学校の運動会が台風のため一日延期。その後に出席の予定だった多摩組研修会も台風で中止。ぽっかり空いた時間。で、待たしている原稿を書いたりたまった仕事こなすかというともちろんそういうわけにいかないのが私です。おもいっきり無駄に過ごしましたさ。

2004.10.8
子どもの授業参観を覗く。PTA会長をしていたときは自分の庭みたいに歩いていた校内を、闖入者のように遠慮してしまう自分。なんだろうね、私にしてこれだから学校教育に保護者が参画するなんてかなり高いハードルかも。

2004.10.7
法話会に出講。自力・他力について御質問をいただく。自力の否定とは、日常生活での努力の否定をしているわけではない。あくまで往生という事実の上において問題になること、とお答えをしたが、どうも先様の問題意識とかみ合わないようで、御納得いただけないようす。それはもちろんこちらの責任です。出直してまいります。力不足を痛感。夜はアーユスの茂田理事長が50歳の大台に乗ることを祝して一献。

2004.10.6
しばらく前に依頼されていた原稿の締め切りが今日だと催促の電話をいただく。え、あさってじゃないの?依頼状を見直すと確かに今日。頭から間違って記憶してた。締め切りを延ばしていただきましたが、たよりないなあ、俺。

2004.10.5
延立寺仏教婦人会では廃油での石鹸作り。法話は今月の法語「失敗はむしろ自分を知るために必要な材料である。」を中心に。「ステップ」とか「道具」ではなく「材料」というのが趣深い。

2004.10.4
出版会議。出版図書に「本願寺出版社」という看板を頂くことはある程度の基礎票が見込める反面、自由度が非常に制限されるというデメリットがある。一般書店にて一般書籍に伍して勝負する内容のものをつくるには別の枠組みと装いが必須。で、どうしましょうか。

2004.10.3
テレビ通販でまた衝動買い。エクゼラックス・マッサージボール。直径55cmのゴムボールです。表面に突起がいっぱい付いていて、一見ウルトラQのバルンガ。こどもは河豚だ河豚だと喜んでいる。上にのることでマッサージ効果が期待できるというもの。ふつうの椅子にも使えます。これけっこういいですよ。若干見た目(だけじゃなく)が邪魔だけど、久々の当たりと判定します。

2004.10.2
イチローの新記録達成を携帯電話で確かめた後、築地本願寺にて『共生(ともいき)アジアシンポジウム』に主催者として出席。韓国からお招きした僧侶・法輪和尚は、厳しい状況下で実践を重ねてきた自信が生んだであろう笑顔の本当に素敵な方。しかしどうもその意が参加者にちゃんと伝わったかは心もとない。「北朝鮮の子ども支援」という言葉が出ただけで、他のこともすべて拒否反応を示す方も。冷静に聞いていただければ御理解いただけたはずなんですが。うーん、ちょっと企画段階での詰めが甘かったか。

2004.10.1
大阪にて日帰りの勉強会。法然と親鸞の教学の違いは各々の獲信過程が影響している。後の覚如の関心は信だけに限られ、存覚は法然念仏へと回帰していった。さらに蓮如も加えて、教学への関心の方向が各人で違っているにもかかわらず同一ものとして整合性をつけようとするから教団教学が煩瑣になってしまった、という整理には本当に納得。

2004.9.30
TOKTO FMの朝の番組、『モーニングフリーウェイ』が最終回。8年半、私は初回からまるまるのお付合い。メインパーソナリティの立花裕人氏、ニュースへの熱いコメントの数々を私は同年代ということもあってとても共感を持って聴かせていただいていました。ありがとうございました。今後の活躍を期待しています。昼、私が京都で学生をしていた時代に通ったジャズ喫茶、YAMATOYAの御主人の作陶展を覗きに西麻布のギャラリーへ。私、30代のうちはコーヒーカップばかり集めていたがここのところはぐい呑みに転向しました。なんだかお約束みたいだけど、やっぱりコーヒーカップよりぐい呑みの方があらゆる点で自由度が高いので。

2004.9.29
本日が私の誕生日。44歳ですよ。いやはや。歳をとるのはイヤじゃなくむしろ歓迎なんですが、伴うものがないのがいやはやなんとも。昼、横浜元町にて行田ゆたかさんの個展を覗く。会場にいた行田さんにお子さん誕生のお祝いを伝える。いい笑顔をされる方ですね。夜、清風会でケネス・タナカ師に布教方法の今日の課題を御講義いただく。ポイントのひとつは真宗教学の仏教学的提示の必要性、もうひとつは僧侶自身の感性と人間性の問題。前者はともかく後者は永遠の課題。いやはや。

2004.9.28
やっと『華氏911』を観る。うーん、ナレーションがすべてを語ってしまって映像が付け足しになっている。映画として、の力が感じられなかったのが残念。また、ただブッシュを笑いものにしてもそれだけじゃこの状況を変えるには足りない。

2004.9.27
彼岸会法座に出講。どうも私、話が乗ってくるとどんどん暗い話題を持ち出すくせがある。この日も私が調子が上がるにつれ聴衆の気持ちが落ちていくのが伝わってきた。マズイマズイと軌道修正はしたんですが。

2004.9.26
知人の結婚披露宴に出席。ほのぼのとしたいい披露宴でした。しかし会場のホテル、木更津駅から少し離れた本当に周りに何もない中。どんな目論みがあってここにこんな立派なホテルを造ってしまったんだろう。

2004.9.25
お墓でスズメバチを見たという報告が二件。こりゃほっとけないと殺虫剤を片手に巣を探すが見つからない。スズメパチ自体も確認できず。安心していいんだか。

2004.9.24
アーユスミーティングのあと、南無の会青年部の例会、なあむサンガに出席。こじんまりとした会で、その分参加者の関心などをそれぞれ伺うことができて楽しいひとときでした。テーマは「無関心」。つながりはほしい、でもしがらみはいや。そんな私の「縁」って何だろう、との語りが二次会まで続きます。

2004.9.23
延立寺彼岸法要。連休の日月に多数様お参りされたので閑散としているかと思いきや、大勢様の御参詣をありがとうございました。皆さまを歓迎するかのように本堂前のキンモクセイが今日から香りだしました。

2004.9.22
なんでこんなに道が混んでいるんだ。あ、俺もそれに荷担している一台か。すみません。休日前の渋滞により約束の時間を破り続けのお彼岸参り。途中寄った本屋で川崎和男の新著『デザインの極道論』発見。やはりどんなにネット書店が便利でも書店散策は必要だな。

2004.9.21
昨日の皆さんの疲労が伝染した。重い体のまま車に乗ろうとして開けたドアがカーポートの柱にガツン。あー、縁を傷つけちゃったよと腐りながら彼岸のお参り先へ走らせている途中、信号待ちをしていると助手席の窓を叩く自転車の青年。何?と窓をあけると、「ガソリンドアが開いてますよ。キャップもしてない」と。ありゃー、さっきセルフのガソリンスタンドで給油した際、キャップを締め忘れてそのまま来てしまったんだ。私の運転史上初。あわてて引き返してキャップを無事発見しましたが、おいおいこの調子じゃ絶対事故るぞ。体の疲れはともかく気持ちだけは立て直す。

2004.9.20
彼岸の入り。一日中中央道は渋滞していた模様。 連休二日目にこんな状態は本当にめずらしい。ついこの前夏休みをとったのにみんなどこに行こうというのか。あ、お墓参りですか。それならしょうがない。延立寺にも皆さん疲労困ぱいしてお着きです。ほんとうに、ようこそ。

2004.9.19
彼岸前にもかかわらず、もう彼岸花が終っている。 こんなことはちょっと記憶にない。

2004.9.18
彼岸の来客を横目に、千鳥ケ淵全戦没者追悼法要へ。大勢の参拝者がうれしい。夕方から神谷町の光明寺にてコンサート「誰そ彼」を覗く。二十代の普通の若者がぞくぞくと来場してくる。最終的には200名になったとか。こ、こんなに若者ばかりが寺に集まる光景は記憶にない。心地よいボサノバになごんだ後は、先日延立寺にお呼びした松本圭介師の法話。若者がみなしっかり聴いている。その姿にも正直驚き。彼等、聴いてくれるんだ。企画よく立地よければ反応はたっぷりあるんだ。途中で抜け出して年下の友人と飲んだが最初っからおもいっきり説教モードになってしまったのは「誰そ彼」へのジェラシーゆえというのは否定できない。

2004.9.17
寺報発送。午後は築地本願寺での平和の集いにて阿満利麿師の講演を聞いた後、冬期僧侶研修会企画会議。会議を開くたびに同じ候補名しかでてこない。なら早いとこ交渉を始めればいいものをそれを怠っているのは、テーマの絞り込みがいまいちしっくりこないから。

2004.9.16
知人が総代を務めている寺では天井にハクビシンが棲みついて難儀をしているとか。天井に尿のしみがでてきて気がついたそうだけど、なんと壁の中の空間を通って床から天井へ上がっていると。じゃあうちの天井裏を走っているのもハクビシンの可能性大。今日あらためて天井裏を探索したが、やはりまだ棲みついてはいないのでとりあえず安心。

2004.9.15
エンゲイジド・ブッディズム研究会は阿満利麿師によりビルマのウーヌーの事例を学ぶ。仏教社会主義による国家経営を目指しながらよいブレーンを持つことができず仏教原理主義者の台頭を許し、結果として軍のクーデターを招いたウーヌーはもはや歴史に埋もれている。経済の混乱を脱するために提唱したパゴダ6万基の製作。それは単に政策評価の枠ではとらえられない。

2004.9.14
宅間守死刑執行。宅間が望んだ通りの自死幇助です。彼の偏狭で無惨な世界観にまるまる乗ってしまって、刑「罰」になりえていない。誰のため?

2004.9.13
ゴミ置き場、特に不燃物置き場がどこもゴミがあふれている。通常の1.5倍か。原因は来月から始まるゴミ収集有料化前の駆け込み捨て。知人も今度の連休に大掃除をするというし、月末の27日はどういうことになるか楽しみでさえある。

2004.9.12
昨日と同じコースを長男とウォーキング。昨日のイチゴ型キノコは成長して薄いオレンジ色となり、いかにもキノコといった大きな傘を開いていた。へー、このキノコの前身があのイチゴon生クリームだったのか。44年生きてきて初めて知った。すぐ裏山のことなのに。

2004.9.11
長男と裏山をウォーキングというより散歩。真っ赤なキノコがあちこちに出ている。下部が白い表皮に包まれていて、まんま、生クリームに乗ったイチゴのよう。初めて見ました。さっそくネットで名前を調べようとしたが、検索キーワードが分からない。「キノコ 赤 イチゴ」じゃやっぱりだめ。名前を知りたいよー。ていうか、なぜ名前を知りたいと思うのだろう。名前って何?

2004.9.10
アーユスのニュースレターがなんとか来週中に発送できるめどが立った。内容も一定のレベルを維持できているのも優秀な事務局員のおかげです。

2004.9.9
知人が韓国料理店を開店したのでお祝いに伺う。韓国料理店を経営するのは初めてで、料理人集めからメニュー決めまでずいぶん時間と手間をかけたそう。ほぼ本場の味付けだそうだが、たしかに旨い。でもなぜ韓国料理?と聞くと韓国人のママさん(妻ではない)に店を持たせたかった(!)からと。うーん、こんなところに男がいた。

2004.9.8
子どもが町会のお祭りから連れ帰ってきた金魚が元気だ。朝になると競って餌をねだる。金魚すくいの金魚ってすぐ死んでしまうものとばかり思っていたが、テキ屋の金魚と違って町会の役員さんのそれは買ってきてすぐの金魚なので疲労していないということが大きいのだろう。35年ぶりくらいに飼った金魚だが、見ていてこんなに心静まるものは思わなかった。子どもたちはあまり関心がなさそうなので、これは大人の感情なのだろう。アニマルセラピー、フィッシュセラピーというのは強力だ。

2004.9.7
延立寺婦人会では廃油を使っての固形せっけん作り。前回作った時は大成功したが、今回は五分の二が固まらない。どうもカセイソーダと水と油の分量を適当にしてしまったんだろう。慣れてくるとすぐこういうことになる。何事もね。

2004.9.6
出版会議。東京発企画の第一弾がほぼ形になった。並行して、30〜40代の一般社会人を対象とした出版物を考えている。需要はあると見ている。しかしこちらの力量が・・・

2004.9.5
谷中墓地にて一周忌法要。一年ぶりに歩く谷中は路地の奥で子どもたちが神輿を担ぐ声が控えめに響くくらいの落ち着きに充ちている。寂れている感はないんですよねえ。

2004.9.4
11月7日(日)の延立寺報恩講のアトラクション、やっと決定。今回は落語。柳家さん光さんです。実は私、まだこの方の噺を聞いていない・・・。しかしネットで検索すると寄席や落語会に精力的に出演している。期待してます。

2004.9.3
ひと月前に注文したAirMac Expressが二台、やっと届く。これを無線で繋いで、離れたデスクトップをLAN構築しようとさっそく設定してみたところ・・・繋がらない。一時間格闘した末、Macのサポートに電話。応対は丁寧だが先方も明らかにこの機械のことが分かっていない。たびたび電話を保留にしてどこかに相談に行っている。ちゃんと分かる人を出してよ、と言いたいところだが、新製品だから仕方ないのか。あれこれ指示通りに設定を変えてみてもどうしてもだめ。かれこれ電話でやりとり続けて一時間、結局分からず改めて連絡をもらうこととなった。で、結論は、これ、一台づつではだめで、二台を直接つながないと設定ができないことが判明。二台ともルーターにつないだらあっさり設定できました。Macのサポート、とても丁寧なのは好感度大だけど、正直かなり頼りない。それも愛嬌だなあと思う私はMacバカ。

2004.9.2
『弟を殺した彼と、僕』(原田正治著/ポプラ社刊)を読む。われわれはなぜ、犯罪被害者の気持ちが分かるつもりでいるんだろう。分かるという傲慢は分からないという冷徹と同類だ。すべきは耳を傾け続けること。いやそれにしても、ポプラ社は本当にどうしちゃったんだ。読むべき本を連発させて。そうさせた編集者は何者だ。

2004.9.1
武蔵野大学のサマーセッションに一日だけ参加。仏教講座だが、平日の昼間、決して交通の便の良くないここに、70人の一般聴衆が集まるとは。教養としての仏教への需要はたしかにあるらしい。うちの法話会も仏教講座と名前を変えてみるか。

2004.8.31
夜中にまた天井裏を走る音。これは確認するしかないと屋根裏を探索。動く者の姿は確認できなかったが堂々とした糞を発見。まだ新しい一回分。この大きさはやはりネズミではない。イタチかたぬきか。住み着いてはいなさそうで一安心だがこの大きさの糞をする体が入る隙間が見当たらない。いったいどこから入ったのよ。しかし屋根裏は暑い。いた時間は15分ほどだったがTシャツがびっしょり。こんなに無理なく汗が吹き出るなんて、サウナに行きたくなったら天井に登ればいいんだ。

2004.8.30
学習会『学仏舎』と東京教区布教団研修会がバッティング。 迷った末に布教団に出席する。というもの実は私、布教団役員なもんで、こういう時くらいは出席しないと申し訳ない。でもただ座っていただけですけど。

2004.8.29
『カラシニコフ』松本仁一著(朝日新聞社)読了。一気。カラシニコフの開発者がまだ現存していることに驚くとともに、カラシニコフが圧倒的に普及した理由を納得させながら決して告発調でなく世界の歪みを記し出しとともに、脱武器への希望も提示する筆力に感銘を受けた。傑作。

2004.8.28
寒くて長そでのシャツをはおる。オリンピックとともに去っていくのか、夏。いいですけど。

2004.8.27
台所の床がどうも湿っぽい。不審に思い床下のストッカーボックスをどかしてのぞいてみると、かなりの水たまり。どうもシンクの排水が漏れているらしい。職人さんを呼んでシンク下を開けてもらうと、排水パイプに大きな穴が開いている。何かに食いちぎられた跡。すぐに思うのはあのイタチ御夫婦だが彼らが入り込める場所ではない。彼等の子どもか、まだ見ぬネズミか。そういえば数日前から深夜に天井を走り抜けている奴・・・

2004.8.26
松代大本営跡地を見学。12年前に来たときとずいぶん印象が違いますが、案内図を見て納得。前は地震観測所側に入れていただいたのでした。そちらは現在は見学不可とか。東京に帰って夜は平仏集会議で在日コリアン青年連合の金さんに在日世界の戦後史を伺う。非常に整理されたお話で90分程があっという間。松代帰りというタイミングもよかった。二次会は築地のナチュラーレ(イタリアン)。ウニのパスタと牛の胃の煮込みが当たり。

2004.8.25
教区基幹運動の会議で新幹線で長野へ。電車の中では本当に気持ち良く読書が進む。今私の周りに未読の本が飽和状態になっているのは、このところ移動手段を専ら車にしているのが最大要因。読む時間が少ないのに買う量は変わらないのだから。

2004.8.24
八王子駅前を歩いていると前から見覚えのある顔。ああ、蓮池薫氏。もちろん御本人ではないのですが顔立ちだけでなく髪形もそのままとは、意識している可能性大。しかしなぜ似せる。そういえば蓮池氏、中大に復学されるそうで、御本人が八王子駅前を歩く日も近いか。ものまね番組の本人様登場シーンの実現だ。

2004.8.23
近所のバス停に立つカップルの男性が、もうペ・ヨンジュンそっくり。おそらくは工学院大学生か。その髪形も、メガネも、さわやかな笑顔も、隣の彼女のアドバイスが入っているに違いない。冬ソナブームがなければ、ちょっと地味目なヒト,くらいの扱いだったはずだが。

2004.8.22
本願寺東久留米会館へ出講。 団地脇の住宅地に構えるここで今年の夏に開いた日曜学校には42人の子どもが集って嬌声が響いたとのこと。津村拓信師のがんばりが実を結んでいる。寺が活きている話を聞くのは嬉しい。

2004.8.21
法話会にお招きしたのは松本圭介師。仏の子として生きるとは、というテーマでお話しいただく。まだ25歳、50分のまとまった法話をするのは初めてとのこと。現代の新しい僧侶像を模索中の師に期待してます。夕食は近所のラーメン屋「むらたや」へ。改装以来メニューから消えていたこってりラーメンが復活したのがうれしい。あるいて行けるところにこういう名店があるのは幸せ。

2004.8.20
深夜、Macに向っていると天井裏で何者かが走る音。 その大きさからさして散歩者はイタチではない。床下から屋根裏までいろいろな方がお住まいのわが寺。

2004.8.19
飯塚さんの葬式。読経中思い出すのはお酒を飲んだときの様子。中でも延立寺旅行会第一回の下見で京都を一緒に回った夜のバー。ここに飯塚さんをお連れしたのはこの時だけなのに、今もマスターは、「あのファイアーマン(飯塚さんは元消防士)はお元気ですか」と話を向ける。

2004.8.18
延立寺前総代の飯塚政樹さんが亡くなられた。20年前の本当に何も分からない若僧の後ろ盾となってくださった。法話会も旅行会もこの方があったから始められた。寺のつくりにも様々な御提案をいただいた。本当の恩人。総代を務めるからにはと本願寺の通信教育も受講された。本日が通夜。

2004.8.17
早朝、民宿のテレビでオリンピック体操男子団体の中継に皆で歓声を上げる。おそらくここに来ていなければ生の瞬間は見落としていただろう。これだけで遠足を企画した価値があったというもの。西伊豆の二日目はどしゃぶり。バーベキューの予定を取りやめて帰路へ。しかし途中雨があがったのでまた予定を変えて帰路途中にある浜へ。巨大な海の家は午前中の大雨の影響でがらがら。おかげで大人たちは時折強く降る雨などかまわずに泳ぐ子どもたちの姿を見ながら実にまったりとすごす。休日のあるべき姿。

2004.8.16
中学時代の友人4家族計15人で恒例の夏休み遠足に西伊豆へ。なぜか「イキモノがいる〜」と海を怖がる次男潤を抱いて海へ。怖いイキモノがいないことに納得すれば、足がつかないところでも浮輪を手放して仰向けで楽しそうに浮いている。面倒な奴。おかげで日焼け止めもせずに付き合った私は何年かぶりに日焼けの肩が痛くてせっかくの露天風呂も楽しめない。

2004.8.15
お盆と日曜日が重なって、終戦記念日関連の集会に出られない。が、参加した知人から集会の模様のメールが入る。やはり森達也氏の発言に聞くべきものが大きい。今追っかけする価値のある人。「誠意と正義のブッシュに誠意と正義で立ち向かってもダメだ。『華氏911』では対処療法にしかならない。もしかすると同じ過ち(戦争)を繰り返すしか道は残されていないかもしれない」「(若い世代がボジティブなものを求めている中で、新しい善悪の価値体系があってもいいのではないか、という問に答えて)善悪で考えるのは排除を生む」※市民文化フォーラムでの森達也氏発言

2004.8.13
お盆のお参り先で中学三年N君の小論文を拝見する。スポーツと政治をテーマにしたそれは、年齢を考慮に入れなくても十分読ませる。今の受験では内申書は絶対評価のためにあまり考慮されない。自己アピールカードというのもあるそうだが、代筆業者がいるそうでこれもあてにならない。ということで小論文の比重が非常に高くなっているとか。そうだとするとN君、どこでもパスするぞ。でもな、国語が得意で英語が苦手ってのはただ怠けているだけだぞ(と、中学高校時代の私もそうさんざん言われた)実際、英語だけはやっといたほうがいい。

2004.8.12
新宿で法兄と一献。バーでは「にがくて旨い」というテーマでカクテルを作ってもらう。旨い。が、にがみよりも甘さが気になる。まだ甘い、まだまだ甘い、と杯を重ねていい加減酔ったあとの支払い。これは本当ににがかった。

2004.8.11
かつて本願寺派寺院では日曜学校が広く開かれていました。日曜日の寺での子どもの集いです。内容はお経を読んだり法話をしたりゲームをしたりと場合によって万別なんですが。それが本当に廃れている今、毎週や毎月が無理ならせめて年一回、夏休みだけでも開いてほしい、と全寺院でのサマースクール計画が検討されています。しかし年一回であろうと寺に子どもを集めるということが想定しにくい寺が多いのが実情。ハードルを十から一に下げたのよりもゼロと一の差の方がはるかに大きいということ。対応として一つは多摩組みたいにグループで協力して行う、これは経験上有効です。組以上の単位だとかえって難しくなることも。もう一つは寺に集めるという発想を離れることなんだけど、じゃあ寺ってなんだ?という問いと正対することになる。こっちの方が実はしんどい。

2004.8.9
知人の見舞いに大和成和病院へ。今や心臓外科医としては日本中に名を馳せる南淵明宏医師がいる病院です。だから場所が分からなくても近くへ行けば構えで分かるだろうと思ったら、意外にもこじんまりとした病院。知人は幸い経過がよく、いつもの大ホラを楽しく聞かされるはめに。大和成和病院のHPを覗いてみると「失敗事例研究執筆の募集」なんてしている。趣旨に納得。この病院、医師の腕に加えて知恵者の事務長がいるらしいが、やはり一味違う。

2004.8.8
母が、つがいのイタチが床下に潜り込むのを目撃。ここ数日、生ゴミのバケツをひっくり返していた犯人はどうもこいつららしい。蓋に漬物石を載せていたにもかかわらず生ゴミを漁っていたのは大型犬かと思いきや、つがいのイタチの共同作業だったとは。その様子を想像するとうっかりほほ笑ましくもなってしまうがそんなことはゴミの始末をする坊守には口が裂けても言えない。しかし床下に住み着いて子どもなんか産まれてしまうと困る。臭いと虫の発生源になるし。

2004.8.7
朝起きると両足両手に虫に食われた跡。その数40。真っ赤に丸く染めたような跡が足全面にひろがり、私が足タレなら失業状態。犯人は蚊ではない。たぶんダニ。丸二日炎天を閉めきって風を入れなかったのがダニの快適環境を作ったか。ふだんは蚊には嫌われている私なのに、蓼食う虫も好き好き。痒くて一日ムヒが手放せない。しかし久しぶりにつかったムヒのトウモロコシヘッドの気持ち良いこと。この発明に感動した。

2004.8.6
サマーキャンプ、無事事故なく終了。低学年の子どもが訴える身体の不調は原因の多くがホームシック。だからサマーキャンプの意義があるとも言える。親からはもっと長くとの希望もあるけど、やっぱり一泊が限界だな。子どもにとっても、スタッフを調達する身としても。

2004.8.5
多摩組サマーキャンプ。一泊で神奈川の藤野芸術の村へ。こんな近くにこんなに使いでのあるところがあったとは迂闊でした。ただなあ、キャンプファイヤーが出来ないんですよ。というか直火がNG。これはあらかじめ分かっていたことなんだから対策は可能だったはずなんだけど、それをしなかった我々の怠慢は責められていい。しらけちゃったもんね。まあそれ以外は大成功だったからよしとします。しかし、参加の子ども64人、盛況はうれしいんだけど、これ以上はもう会場を見つけることは至難となる。

2004.8.4
京王線の中で涙を拭いながら読んだ。本当に今更ですが『博士の愛した数式』。いやもう、「喪失もの」をこよなく愛する私のどまんなか。喪失ものとは私の分類では『残像に口紅を』『アルジャーノンに花束を』『永遠のジャック&ベティ』などを指します。喪失したという認識さえも消えたはずなのに、このたゆたうような空気感に戸惑うのはなぜ?

2004.8.3
町田でアーユスの会議のあと暑気払いで誘われた鮨屋。店名を忘れたのが申し訳ない美味。私の好物をランク付けしたときに、鮨って一般的なジャンルとしては順位は低くなるんですが、美味しい鮨、と限定していいならいきなり一位二位の上位に浮上します。町田のなんてことない構えの店でこんなに幸せになれるんだもんね。

2004.8.2
出版会議。現在進めている企画本のモックアップをもとに検討。具体的な形があるとそれによって引き出される発想もあるんですね。

2004.7.31
ふと気がついた。体内の脂肪を燃やすのには有酸素運動を最低20分以上続けることが必要、と聞いて最低線の20分をめやすにウォーキングを続けてきたが、最低20分ということは、そこからやっと燃え始めるということか。じゃあ20分でやめちゃ意味ないじゃん。やっとスタート地点にたどりついたというだけで。現在83キロ。嗚呼。

2004.7.30
葬式のあとの府中市営火葬場の待合室にて。窓の向う、池の水面上をすべるように飛ぶ赤蜻蛉。猛暑の中にも秋は近づいている。夜は平仏集会議。10月2日、築地本願寺での法輪和尚を囲む集いの確認など。

2004.7.28
長男と怪獣の話で盛り上がった流れでウルトラセブンのDVDを購入。35年ぶりに見直した第一回は、侵略宇宙人があまりにもあっけなく倒されて長男も失笑。あれ?こんなんだっけ?この回だけ見た長男はもうこのシリーズをなめてかかっている。しかしこの後の展開で、ウルトラシリーズ最高傑作との評価を受けるようになるのだよ。何事も早のみこみは得策ではないぞ。

2004.7.27
瞬間風速ではあるが、体重が85kgをオーバー。自分史上最重量体重です。なぜだ。ウォーキングもしているというのに。んー、脂肪燃焼へかなり本気になってきた。

2004.7.26
泣けるぞ、と脅されていた『海猿』マンガ版を1〜8巻まで一気読み。泣いた。同じ作家の『ブラックジャックによろしく』第9巻も。泣いた。こんなの読んでる暇がどこにあるんだよ>自分。その後お笑い番組のヒロシと三拍子とアンガールズに笑いながら逃避行動の夜は更ける。

2004.7.25
昨日の集会後の別の会議では部屋の冷房がやたらときつかった。そのせいか朝から腰に少々の痛み。ぎっくり腰の予兆のようにも思われ、極力かがむ姿勢を避けるようにする。ジョギングをしようとしても痛みで無理。ウォーキングに切り替えるが、大股で若干速めに歩くのって快楽に近い爽快さ。ジョギングやめてこっちにしよう。と、すぐに易きに流れる私。当然まだ腹の脂肪はいささかも減っていない。

2004.7.24
「九条の会」集会でホテルオークラへ。なんで高いホテルなんか使うの?という疑問や不満を聞くが、他に場所がなかったんですよ。日にちを決めたのが一ヶ月前、講師の都合を優先したんだけど一ヶ月先の土曜の午後に1000人規模の会場なんてどこも空いていませんよ。最後の手段でここを取ったのはアーユスの茂田理事長の尽力によるんだけどそれで文句を言うのは市民運動の悪い癖だぞ。

2004.7.23
左手中指の爪の端が欠けたのを引っ張って抜いたのが悪かった。赤黒く晴れてきて鼓動のたびにズキリと痛む。医者に行くとヒョウ疽との診断。抗生物質を処方される。消毒して包帯を巻かれた中指ではパソコン入力のしにくいこと甚だしい。手書き時代には陰の存在だった左手が今は確かな存在感を示している。

2004.7.22
現在メインで使っているデスクトップパソコンはpowerMacG3の最後期機種。丸5年のつきあい。まーだまだ現役でいけます。やっぱりMacはwindowsPCよりずっと長く使えてお得。なんだけど速度に不満があっても買い替えに踏み切れないのが正直言って困りもの。それがこのたび長男がパソコンが欲しいと言ったのを渡りに船としてこれを子どもに譲り、めでたくpowerMacG5の導入とあいなりました。早いよー。静かだよー。カッコイイよー。唯一の不都合はADB不対応のために親指シフトのR boardが使えなくなったことだが、私にはTESLAという強い味方がある。

2004.7.21
エンゲイジド・ブディズム研究会第三回。神仁氏の報告によりスリランカのサルボダヤ運動の展開を学ぶ。仏教思想を基底にした村起こし運動だが、なぜ政治との一線を頑なに守ろうとするのかがもうひとつ分からないんですが。

2004.7.20
陶鎔小学校PTA主催で映画会。昼過ぎから体育館で。企画段階で暑さは懸念していたもののここまで記録的な暑さになるとは思っていなかった。危険じゃないか?なるべく風を入れるようにするがそうすると強烈な日差しが画像を消し去ってしまう。環境は最悪ながらも子どもたちはそこそこ楽しんでくれたのは『ファインディング・ニモ』の力。

2004.7.18
40半ばにしていよいよ中年体形に近づいてきた。体重はさして変わらないのに腹に脂肪がたまりつつある。危機感から本日よりジョギングを始めました。とりあえず脂肪が燃える最低基準の20分。走ってると腹の脂肪がふるんふるんと揺れるんだよ〜。これヤバイよ〜。

2004.7.17
本堂の音響用アンプのセレクタースイッチの接触がいよいよ悪くなり、その他にもガタが気になり出したので買い替えを決めた。新たに導入したのはROTELのRA980BX。もう10年近く売られている超定番機。高域低域を欲張らない中域重視の音は派手さも刺激もなく、いわゆるオーディオ的とは対極の聞きやすいもの。その確信的な音作りがネット上でも絶賛と悪罵が常に流されているのも国産メーカーにはめずらしいこと。

2004.7.16
門前の掲示板の伝道文、現在は「他に服従を強制するものは必ず自らが何者かの奴隷である」に魅かれたという方が来訪。しぱらくお話をする。御自身のこれまでの御苦労がこの言葉に深く頷かせた様子。むのたけじ氏の『たいまつ』からいただいたものですが。

2004.7.15
自治研センター主催のイベントで辛淑玉氏と木内基容子氏(八王子市総合政策部政策審議会)と鼎談、と言うよりまんま辛氏のトークショーを真横で聞かせていただく。辛氏は話をふってくださるが的確な応対ができない〜。すんませんです。

2004.7.14
お盆のお参り先でキムチを大量にいただく。ここでキムチを頂くようになって二年くらいになるか。旨い。私が今迄食べた中で三本の指に入る。が、臭うんですよ。厳重に包んであっても。キムチをいただいてから帰宅するまで一時間。それだけの時間車に置いていたただけで臭いが車に染みついてしまってなっかなか抜けないんだな。美味しいキムチは嬉しいんだけど、送ってくれたらなお嬉しいんだが。でもこれだけの包みを乗り越えてかつ頑固に居座る臭いの元っていったい何?

2004.7.13
ダブって買ってしまった本などを古本屋に持ち込む。それなりに恥ずかしくないものばかりなので新古書店ではなく昔ながらの古本屋へ。15冊ほどで計3.500円。ほぼ予想通り。けっしていい値ではない。でも新古書店へ持ち込む時は処分という気持ちになるけど、古本屋へは新たな読み手への橋渡しを頼む気分なので不満はない。単なる思い込みですけど。

2004.7.11
延立寺盂蘭盆会法要。昼過ぎから横殴りの雨。うっかり本堂の窓を開けたままにしていたら2メートル以上もふき込んだ雨で畳がびっしょり。今年の梅雨、陽性すぎる。法話は森岡正博氏の『無痛文明論』をてがかりに。あまり初盆の方向けではない話になってしまいましたが。

2004.7.9
机の引き出しから抽選日を半年過ぎた宝くじを発見。私はふだんは買った事を忘れるなんてありえないのに。換金されない当たり券がずいぶんあると聞くたびにどこの間抜けだろうと思ってたけど、私もやりかねない。こういう無欲な時が当たってるんだよなあとかなり期待して調べるとやっぱり外れてましたが。

2004.7.8
日帰りで京都。街中をすこし歩いた後にしょっていたデイパックを下ろすと、下着を通してワイシャツの背中が絞れそうなほど汗でびっしょり。うわ、これから人に会うのにこりゃまずいだろ。しばし鴨川沿いで炎天を背にうけて水分をとばす。

2004.7.7
K-1MAXをテレビで観る。ワンデイトーナメント方式はもうやめたほうがいい。結局消耗戦になるし運が左右する面も多いという不満感もあるし。小比類巻、なんで「ミスターストイック」なんだろう。少なくともテレビに出だしてからの彼にその名は似合わない。おそらく武田幸三と同じく世間に出るタイミングがずれてしまった不運な奴なのかもしれない。

2004.7.6
伊丹十三の『ミンボーの女』に全面協力した闘う弁護士、篠崎芳明氏と会食。初対面での挨拶時には実に柔らかな物腰。それが話を聞いていくにつれ、暴力団と警察とを相手に回した壮絶なケースをにこやかに軽やかに語る。本当に闘っている人に虚勢はいらないということだな。

2004.7.5
ポピンズ96号発送。例によって予定より一週間遅れ。できたら5月中に出したかったんだけどまるでだめでした。次回は2ヶ月後に出したいと目論んではいるのですが。夜、15日に辛淑玉さんと行う鼎談の下打ち合わせ。辛さんともう一人の鼎談相手木内さんを相手に私の役どころは視点のズラシなんでしょう。一般論も期待されていないようで、さてどうしよう。

2004.7.4
朝、車のサイドモールが外れていたのをかがんで直していると、突然左頭部から腕にかけて何かが蔽ってきた感触。首筋に何かが食いついたような鋭い痛み。そしてひじ上にも。大きな鳥が襲ってきたかと一瞬思った。叩き落とそうとしてもまとわりつくその動きが止まらない。蜂だ!足長蜂7〜8匹が集団で攻撃してきた。なんとか払いのけて逃れたものの、首筋の他耳たぶに二ヶ所、肩、腕に針を受ける。まず首筋を狙うとはあいつらプロだ。

2004.7.3
昼間は多摩組連続研修会。慣れてきたところで少しづつ参加者自身の仏教観真宗観が語られる。話し合いの土壌ができてきた。夜、神谷町の光明寺にてJVCとアーユスの共催で「イラクの子どもたちのために〜弦と糸のアラベスク」 。アラブ音楽のウード(常味裕司氏)と江戸糸あやつり人形(上條充氏)のコラボレーション。ウードの複雑な和音と生死の狭間に踊る人形は様々な解釈が可能。寺の御本尊の前というのもあいまって、イメージがどんどん拡がる。

2004.7.2
幼稚園年長の長女夏菜がうれしそうに見て見てとせがむ。自転車に乗れるようになったんだ。一人で練習していたのは知っていたけど、やはりやる気は習得の要件。長男顕の時は小3の夏休み、何日もつきあってようやく乗れるようになったのに、下の子は要領も違う。得な部分は確かにある。

2004.7.1
僧侶研修会三日目、西田真因師による「真宗社会論序説」。質疑応答で自分の読み込み違いに基づいた質問というか詰問がまたも。司会者がさばくべきところだったんだろうけど呆れるのが先にたってしまって。

2004.6.30
僧侶研修会二日目。午前の講義はボイストレーニング。本願寺には発声法がない。なんでですかね。肉体を軽視しているあらわれでしょうね。はずかしながら「腹式呼吸」の意味を初めて知った。午後は山崎龍明師に「真俗二諦」。本願寺教団の負の歴史に今年ひとつのけじめが付けられた。これで終りではなくやっと始まる。

2004.6.29
築地本願寺で僧侶研修会。講師は森達也氏。二年前流れた時とはちょっと企画が変わったけど大盛況なのがうれしい。『放送禁止歌』を観て、差別を固定化しているのは誰かを考える。ありもしない抗議に「配慮」し、誰かが作ったらしい規制に寄り掛かる心性は決して他人のものではない。夜、アカーの柏崎氏と実に楽しい会食。でも彼、あんだけ気をつかってたら疲れると思うんだけど。

2004.6.27
早朝、今年初めて蜩を聞いたような。それにしても遅いし、少ない。空梅雨の影響だろうか。

2004.6.26
多摩組組巡回。多摩組の住職総代が教区役職者とともに語りあう研修協議会です。テーマは「幼青少年教化」。東京では子どもを寺に集めて何かをするというのは設定しにくい。直接のターゲットは親世代か祖父母世代か。それらの家庭での影響力に期待せざるをえないのはやはり頼りない。

2004.6.24
上田紀行著『がんばれ!仏教』を読む。書名の通り仏教界への期待をもって叱咤してくれているのは分かる。でも今がんばっている僧侶の例として紹介されるほとんどがイベントで寺を活性化しているものというのは明らかな偏り。(狭い意味での)宗教活動で寺を栄えさせている例をいくつも知っている身とすれば、いくらエールを贈られても少々しらける。

2004.6.23
門前の延立寺の看板がないのを坊守が気づいた。下の草むらに横たわっていました。先日の台風で飛ばされたようす。境内に運び込んだがけっこうの大きさ&重さ。これ、飛ばされた時に人か車に当たってたらかなりの事故になったはず。看板だけの破損ですんだのは幸い。山崎モータースではシャッターが飛ばされた!というし。

2004.6.22
深夜、次男潤が発熱から熱性痙攣を起こす。救急車を呼び小児病院で診ていただいたところ特に血液に異常はなく風邪からの発熱だろうとのこと。むくみを引かせる薬の点滴のみ、二時間程度で帰宅。深夜の小児病院には案外父親の姿が多い。母親は家で下の子をみているのだろう。潤といっしょに点滴を受けていた子はおそらく終了が五時過ぎになる。お父さんご苦労様です。

2004.6.21
昼過ぎから暴風雨。樋が詰って雨水がばしゃばしゃとはじけ落ちるのをさすがに看過できずにはしごを持ち出して樋の掃除。10分ほどの作業なのにプールに落ちたかのようなずぶぬれ状態になった。ある種爽快。門前を自転車で通る帰宅途中の高校生も、合羽も傘もないずぶぬれで走り去る。あれも同じ気分だろう。

2004.6.20
ビデオ「GO」を観る。面白かったが期待ほどではない。主演は窪塚でなくてもいいような。この映画は柴崎コウを発見したことにおいて讚えられるように思う。

2004.6.19
法話会は藤原忠房師。お釈迦さまは「人生は思い通りにならないもの。それを思い通りにできると錯覚するところに『苦』が生まれる」と示された、というお話を中心に。
法話会後、夕食に訪れた店でちょっとしたオーダー違いをされた。まあいいやと受け入れたものの、その間違いをしたバイト君がうちのテーブルの混乱を気づいていたはずなのに知らんぷりなのが気に入らない。さて、それをどう店に伝えるか。会計時にさらりと伝えようか。でも結局伝えることはなかった。伝えるなら間違いが分かったその場でが双方にとって一番有効。タイミングを外したクレームが何の益もないのは先日の芦ノ牧温泉で思い知ったこと。でも実際にはなかなかうまくは生かせない。ほんと、思い通りにならぬもの。

2004.6.18
銀座のギャラリー日比谷での「終わらない戦争ーイラクの子ども絵画展」(〜7/1まで)のオープニングイベントを覗く。先月延立寺にお招きした上條充氏が出演するので。JVCの佐藤真紀氏のパレスチナでの平和教育活動がここにきて評価をされている。継続はやはり力。

2004.6.17
延立寺ウェブサイトのリンクページを一年ぶりくらいに確認。けっこうリンク切れしているものが多い。もし気がついたら御一報いただけると助かります。

2004.6.16
エンゲイジドブディズム研究会第二回。ティクナットハンについての二時間。彼の提唱へ、底が浅過ぎるという批判がここでも出される。ではその深いと言われる教学をもって何の実践がなされているのか。信頼と反発、ティクナットハンへの思いの強さが両極に振られている。

2004.6.15
自動車の任意保険の更新。保険屋さんの話では、今、盗難車の七割が四駆車。盗まれた車はタイやベトナムに売られていくが当地の需要が丈夫かつ力強いオフロード車だとのこと。以前は港で発見されることもあったそうだけど今は部品にバラして運んでしまうので絶対に見つかることはないとか。三菱騒ぎで下取り価格が下がったとお嘆きのパジェロオーナー、盗難されたことにして保険料を貰った方が・・・いいわけないだろ。

2004.6.14
知人の見舞いに杏林大学病院へ。ちょうど教授の回診時間にあたる。廊下に教授を先頭にした医師研修医研修看護士の大集団。白い巨塔だ! しかし今どきの研修医って緊張感が表に見えないんですね。どことなくサークル乗り。その甘さはいい方に作用していると思います。病院は普通に緊張するところですから。

2004.6.13
深酒後の朝、今日もまたお約束の寂廖感。これは夕べ一晩で死滅していった私の脳細胞への惜別の情ゆえか。妙に軽くなった財布ゆえか。両方だろう。酒やめようと二時間だけ思った。これもお約束。

2004.6.12
神代高校のクラス会。渋谷花のえんにて。今回はほぼ7〜8年ぶりの顔が二人。仕事にも子育てにも余裕が出てきた者が何人か。文字通りまったりと過ごす4時間。例によって22時以降の記憶がない。失礼は・・・あったのでしょう。再会の時までに忘れて下さい。

2004.6.10
バスの中で大学生男子の声が耳に入ってきた。携帯のメールを見ながらの会話らしい。「これ読んでくれよー。あのコがくれたんだー」「・・・おおー、これいいなー、こりゃーいいコだよー」「だろー。メール打ってさあ、30分くらい返ってこないんだよ。寝ちゃったのかなと思ってたらこれ打ってたんだよなあ」「いいコだー、いやー感動しちゃたよ俺」「これで俺のもんならなあ」「 いいコだもんなあ」「どっかにいるのかなあ」「どっかにいるよー、どっかに」もう、バカで、いとおしくて。

2004.6.9
アーユス総会。記念講演として難民支援協会の筒井志保氏に特に日本・東京の都市型難民事情を語っていただく。一時間淀むことなく緩急つけながらの一気語り。とんでもなく優秀な方と再認識しました。

2004.6.8
帰宅すると坊守が「変なハガキが来ている」と不審そう。ダイヤルQ2,アダルトサイトの使用料督促状です。一目見て詐欺と分かる代物ですが、どうも本物と心配されたらしい。それはいいとして、一体どれくらい請求されていると思ったのか。聞けません。

2004.6.7
泊まりは芦ノ牧温泉の丸峰観光ホテル。事前に渡された部屋の定員表に従って部屋割りをしたところ、唖然。なんですかこの狭さ、定員六人のそこには布団を六枚敷くと荷物の置き場がまったくない。今どきの修学旅行でももうすこし余裕があるぞ。どう多く見ても定員四人、三人で使ってそこそこほっとできる感じ。ここに五人以上入れるのはモラルを疑う。六人なんて論外。即クレームをつけるべきところをしなかったのは私の大ミス。まあそれ以前に下見をしなかったのも悪いんです。すみませんでした。しかしそれ以外は楽しんでいただけたのではないでしょうか。天気は最高だし。

2004.6.6
延立寺旅行会で会津へ。天気はどんぴしゃりの梅雨入り。にもかかわらず雨はわれわれを避ける避ける。私には雨よけの霊力があると今言われたら信じるかも。大内宿へ寄る。同行者にここには何があるんですか、と尋ねられる。江戸時代の宿場町が保存されているんですがまああらゆるものがありますね。すべての家屋の軒下に土産物が並び、路上詩人まで。保存地区に指定された地元の方も大変でしょうがもうちょっと風情に工夫するとなおよろしいかと。とりあえず、アスファルトと電柱がないのは吉。

2004.6.4
ラパンが来てから一週間。まずは快調。ドアを閉める時のヴァスン、という芯がある音が心地よい。だがその分重くなっているせいだろうがダイハツジーノに比べても加速が弱い。結果的に安全運転になります。燃費はエアコンを使ってリッター13キロほど。カタログでは19キロだけどこんなものか。

2004.6.3
平仏集(平和を願う仏教者の集い)会議。秋に開くイベントの趣意書作り。

2004.6.2
長崎の小学校での事件。報道から見える限りでは、未来への甘すぎる見通しと現在への過剰な膠着ゆえの犯行。あまりにも子ども的。小学校時の私もしょっちゅう殺意を抱いていたような記憶がある。それを(他の多くの子どもと同様に)実行に移さなかったのは、必ずしもいのちの大切さを考えてではなかった。

2004.6.1
築地で出版企画会議。まだ全国区的には無名の才能を発掘した予感に話も弾む。

2004.5.31
ビデオ、だんだん週一のペースが身に付いてきた。今日は 『ショコラ』。宗教「的」規範により律されてきた町に、違うアプローチでの悦びがもたらされる。それを従来の価値観の否定もしくは侵害と考えるのは自らへの不信の裏返しに他ならない。変わる事、自分の弱さを認めることは自分の否定ではない。

2004.5.29
子どもの運動会だが、法事のために行けず。でもまあよかった。この炎天に私の柔肌は耐えられなかったはず。

2004.5.28
新車、スズキラパン納車。色をさんざん迷った。当初は濃緑に決めていたものの注文時に「この色、汚れが目立ちますよ。洗車はよくなさいます?」「洗車機は時々使うけど・・」「洗車機のブラシ跡も気になるんですよねー、この色だと。あまり洗車をしないんならベージュがいいです。もう、ホントに汚れが分からない」しかしカタログ上で見るその色は寝ぼけた感じ。実物は違うんだろうけど、うーん。結局最初決めていた濃緑にしたがまだすっきりしない。「猟奇的な彼女」のダメ男キョヌみたいだな。届いた車はとてもシック。選択の正しさにほっとするが、汚れ具合がどうなるかの不安はまだ残る。10年乗ったスバルビビオ、お別れの前にお礼の意味で洗車してあげようと思ってはいたが忘れてました。私の感謝なんてこんなもんです。

2004.5.27
ビデオで「猟奇的な彼女」を観る。なんだろう、このなんてことなさは。たしかに女優さんはかわいいし、丘の上の木の下に座る老人に彼女が歩み寄るシーンはファンタジーと錯覚した。ラストの高圧的な二人の態度も笑えた。でも小品ですよねえ。小賢しさを面倒だと思う季節なんですかね。

2004.5.26
基幹運動前期合同協議会。数値目標を示さないものをはたして運動と呼べるのかと議論。古い議論だが、「運動」概念が共有されていないから繰り返される。それは「教学」も同じこと。

2004.5.25
首都高永福料金所で斜め前に並ぶ緑のシボレーカマロのオープンカー。右ドア部に奇妙なペイント。と思いきや、何かに接触してぽっかり穴が開いたままだった。ドアの内面、座席側鉄板が見える。雨にあったら水が溜まるだろうあれじゃ。いやオープンカーだから雨の日は乗らないのか。この無頓着さはひとつの魅力だが、修理する金がないんだろうなやっぱり。

2004.5.23
秋彼岸に配付する冊子の編集会議。次回に掲載したい記事の話でばかりなぜか盛り上がる。これも逃避行動か。

2004.5.22
テレビショッピングの番組で見たパワージューサーをネットで注文。在庫切れで3週間待たされやっと着。さっそくオレンジで試してみる。まあ、音は静か。な気がする。よく絞れる、気もする。しかし、後始末というか掃除が面倒なのには閉口。毎日大量に使うならいいんだろうが、コップ一杯のジュースのためにこんな掃除をするようでは使うのを躊躇してしまうなあ。埃をかぶる予感。テレビで見た時はすごいジューサーだと思ってしまったが、またしても実演販売マジックに幻惑されてしまった。

2004.5.21
前日の予報では台風接近。なのに納骨の予定。一応意向を確かめると天気に関わらず決行とのこと。この日しか家族の都合がつかないので。ずぶぬれ覚悟で明けた朝はもう台風一過の夏模様。助かりました。小学校3年までは私、台風一過って台風一家だと思っていた。

2004.5.20
今年にはいって二本目のビデオをやっと観る。モノは『ピンポン』。あのクドカンの脚本にもかかわらず台詞もストーリーもほぼ完全に原作のマンガに沿った作り。無駄がないのに急いだ感が微塵もない二時間。窪塚のスマイル版も観てみたかったがそうするとペコは誰だ? 森山未來か?

2004.5.19
東京でのエンゲイジド・ブディズム(EB)研究会第一回。 入門篇の今回はビッグネームをおさらいします。阿満氏による発題の後の話し合いでは焼身供養の意味付けについて率直なやりとり。あの国のあの環境のあの時代状況下での行動をでは今の我が身にどのように置き換えが可能かを考え続けることは、EBの本質が教説の再解釈であるならなおさら必須。

2004.5.18
山崎モータースの山崎氏来訪。替える車を絞り込んでいよいよ購入契約です。山崎氏に同行したのは何回も通ってくれた長身の営業氏ではない。彼、急に退社したと。え?差し支えない範囲で、と理由を伺うと、以前から車の営業には馴染めなかったとのこと。うーん、そういう感触は全然受けなかったけどなあ。人当たりも良かったし。始めからこちらが買う気だったからですかね。カタログをせっせと何回も届けてくれたときはもう辞める気だったとは、人の思いを全然読めない私です。

2004.5.17
小P連の役員は今月いっぱいまで。新旧常任委員会では提出した予算案に異議が出される。しかしそれへの適切な返答を思いついたのは閉会後30分たってから。その場では不用意な応答をして納得いただけないままおさめてもらった。臨機対応できない回転の鈍さは相変わらず。予想していた異議なので単に準備を怠っただけとも言えるが。

2004.5.16
二日酔いではない。が、深酒後の明けた朝は寂廖感に襲われることが少なくない。ああ、酒やめようかなと二時間だけ思うのもいつものこと。

2004.5.15
陶鎔小PTA新旧役員の懇親会。ほんとにありがとうございました。という気持ちでつい進む杯・・・

2004.5.14
今年度の僧侶研修会企画会議。今回は初の試みでボイストレーニングの講義を組み入れる予定。一般の人には意外に思われるところですが、真宗の読経の世界では実は「発声法」という概念がありません。音程や抑揚は正調が定められてはいますが肉体の部分はぜんぜん重視されていない。お経は聞かせるものではなく共に読むものという位置づけなのでしょう。でも共に読むにしたって始めの一声は僧侶が出すんですから聞かせることをもっともっと意識するべきだと思います。声で感動させるのも宗教上の技術として有効でしょう。しかし一口に発声と言っても多様でどれが読経に馴染むのか。西洋声楽や民謡のそれよりは長唄がいいかなあ、いや演劇系の方が説法にも応用できるし・・・と今更に試行錯誤しています。

2004.5.11
八王子インターで料金所に並んでいると左の車線からフェアレディZが割り込んできた。運転手は70半ば近いかと思われる初老の男性。へえ、そのお歳でZですか。車は私の前を横切ってそのまま右車線のETC専用レーンへ。あ、車線を間違ったのかと思いきや、そのまま料金所を背に逆走していく。はあ?と振り返るとまたぐるりと回って相模湖方面へ消えた。進行方向を間違ってたのね。しかしあれだけ車が多い中の傍若無人にある種の感銘。これは年の功と言っていいのか。
アーユスの理事会では今年度のNGO支援テーマが決まりました。

2004.5.9
延立寺降誕会&永代経法要。早くに雨もよう。まあな、後の予定を諦めていただいて寺でゆっくりすごしていただきましょう。法話は山崎龍明師。十分に毒のある話に笑って首肯けさせてしまうのは話術以上に仏法自体の力です。清興の江戸糸あやつり人形、上條充氏。人形を遣う間の滑舌も心地よい品のある芸。お帰りは皆さま笑顔、笑顔。

2004.5.7
陶鎔小PTA総会。丸三年勤めた会長を辞することとなりました。確かに長かったけど事実上は今年度のスタッフへのショートリリーフのようなもの。今年の役員陣は強力だからね。女性ばっかりでジェンダーバランスが悪いんだけど。総会後に私の姿が寂しそうに見えたと言われましたがただ所在がなかっただけですよ。

2004.5.6
午前中にお手伝いをいただいて降誕会前の仏具みがき&設営ができました。午後からの仏教婦人会例会では、「自分の隠しているツノに気付く」という例として準備不足のままイラク人質事件とオウム麻原三女入学拒否問題を話題にしたところ、こちらの意向を汲んでいただけない。話題を出したのが逆効果になってしまった。自分の説得力のなさ及び話の展開の下手さを痛感。

2004.5.5
子どもの日の午後3時過ぎ、アーユスの会議のために車で都心へ出る。シャッターを下ろした店を横目に走る渋滞のまったくない夕方。昨今の正月より遥かに休日らしい風情を本当に何年ぶりかで体感。

2004.5.3
連休中唯一の子ども総連れの外出。横浜の友人宅へ向うが予想以上の渋滞で橋本まで一時間以上もかかる。それでも二時間半ほどで着。大人たちはビールを開け、子どもらは10人近くが絡み合って公園を走り回る。なんてことないんだけど、来てよかった。

2004.5.2
10年乗ったスバルビビオの調子がいまいち。加速が鈍く、アクセルをそろそろと踏み込まないと空回りする感がある。もう買い替えてもいいでしょうと考えてカタログを大量に届けてもらう。モノを買う前のいろいろ悩む時期っていいものです。はじめはバンタイプの荷物がたっぷり詰める奴にするつもりだったのが、いろいろ見比べているうちにコンパクトで燃費がよく排ガス規制クリアの車種に振れてきた。距離を乗るので環境に配慮して。ってそんならそもそも車を控えればいいんですけど。禁煙ができなくて「害の少ない」タバコを吸い続ける人は友だちだ。

2004.4.30
『ホムンクルス』の第二巻がやっと発売。脳内圧の変化により他人の抑圧された感情を視覚化できるようになった男。そのイメージの飛び方は見なくなって久しくなった悪夢に近い。あ、悪夢ってそういう質のものだったか。『20世紀少年』の16巻も発売。三谷幸喜が嫉妬するのはわかる。しかしMISIAの歳でこの物語世界が分かるのか?自意識に由来した孤独、というテーマを理解するのは年代は関係ないにしろ。『あずみ』32巻も発売。読むのはマンガばかり。

2004.4.28
ドラマ『光とともに・・』第三回を観る。こんなあからさまにバカな医者や姑や御近所さんはそうはいないぞ。でもやっぱり身につまされて泣けてしまう。子役さん、うまいですよねえ。小林聡美、日本の女優でもっとも知性を体現する人。

2004.4.27
葬式を勤めた後に車の中で着替えて名古屋想念寺へ。国際NGOの方々と懇談。組織強化の御苦労の数々に笑いながらも頭が下がる。

2004.4.26
今日も寝癖。私の場合場所が常に決まっていて左後頭頂部。 左向きにばかり寝ているわけではなくむしろ右向きで心臓を上にしていることの方が多いはずなのになぜ。背骨が歪んでいるからという仮説は持っているが根拠はない。

2004.4.24
六本木STBにて吉田美奈子を聴く。私にとってはこの国随一のディーバ。この日も情感、声量、風格のいずれからも溢れる余裕が極上の空間を創成する。人生で大切なのは一にバランス二に余裕だ。

2004.4.23
多摩組総会。暴力団ではありません。多摩地区本願寺派寺院の会ね。二次会での話題は20代の僧侶の存在。なにしろまったく見えません。「今の若い奴は」という例のおじさん愚痴なんですが、理解できないというレベルじゃない。姿自体が見えない。勉強の場にはいない。遊んでいる風でもない。動いている気配がない。いったいどこに棲息しているんだ?もし遭遇することがあればまず聞いてみたい。そういうふうに僧侶やっててつらくないか?

2004.4.22
京都日帰り。京都駅上のバーで終電間際まで飲みながら、話題は最近の真宗学事情から『20世紀少年』まで。こんなに楽しませていただき学ばせていただきながら御馳走にまでなって、(遠慮もせずに)どうもすみません。

2004.4.21
有志とともに信楽峻麿先生の特別講義を開催する。いったい何人来ていただけるのかの不安があったものの用意したレジメが足りなくなる盛況。僧侶以外の一般の方々の聴講が多いのがありがたくも納得。内容自体は昨年出版された著書にそったものだが直接語られるのに接すると身に染み方が全然違う。「肉体性」の力は「伝搬」の重要な要素だ。

2004.4.20
今年はじめに立てた目標のひとつ。週に一本は映画(ビデオでも可)を観ること。しかしなんとまだ『able』 一本しか観ていないことに愕然とする。最近の身の乾き具合はここに起因しているのか。積ん読の本もたまるばかりだし。仕込み不足の影響をじわじわ感じる。

2004.4.19
スタディーツアーでお世話になった地球市民の会かながわ代表の近田氏・事務局の伊吾田氏と会食。ツアーで見えにくかった部分の御報告と御説明をいただく。伊吾田氏は本当に好漢。こちらの失礼にも思えるお尋ねを謙虚に受けていただけるし。会のボランティアに彼のファンが多いというのも納得。

2004.4.17
ネット上では人質事件を契機として「悪意」が渦巻いている。かつてはサイレントマジョリティといわれた世間の「空気」がネットにより過剰に顕在化し、それをマスコミが増幅し、それにまたネットが呼応する。他者を大上段から責める尊大さと余裕のなさの根はどこにあるのか。もう少し考え続ける。

2004.4.15
アフガニスタンより帰国中のJVCの谷山夫妻と会食。かの地の実情を聞く。アフガンが日本でまったく報じられなくなったのは問題がなくなったからではなくただ関心がそれただけのこと。実状の酷さ深刻さはなんら変わっていない。会食中、イラクの邦人人質3人が解放されたという報が届く。

2004.4.14
ジュマ・ネットの下山氏からバングラデシュ・チッタゴンで迫害されている仏教徒先住民族の報告を聞く。理不尽な被害を受ける彼等が望むことは第一に、自分たちの存在を知ってもらうこと。命が軽く扱われながら世界から無視されている孤独感絶望感が彼等から生命力を奪う。同じ言葉をかつてパレスチナ難民キャンプで聞いたことを思いだす。夕方、雨中、芝居を観に中野へ。電信柱に貼られた案内指示をたよりにマンション地下にたどり着くとしかし当日券はすでにないとのこと。劇団員の紹介ですか、と問われる。名前を出せば入れてくれそう。でも前売だけでいっぱいのいかにも狭い小屋に席をとってもらうのはモラル上まずいよなあ、と言葉を飲み込む。傘をさして帰る道すがら、やっぱり入れてもらえばよかったかなあとイジイジ思い返したりしている。だらしない。

2004.4.12
本の出版企画会議。私の企画はどうも思いつきばかりで少し詰めていくとすぐ 頓挫してしまう。論理性の欠如なのか、ただ飽きやすいだけなのか。はい、両方です。

2004.4.9
人質問題について早朝より知人からメールがあいつぐ。犯人グループの要求が少なくとも表向きは金銭でないなら、不謹慎だが交渉上はいい人材を人質にしてくれたと思う。人質を傷つけることはなんらイラクの利益にならないのは明らかなので。

2004.4.8
茨城県新利根町のみやざきホスピタルの法話会にうかがう。とにかく明るい病院。比喩ではなくどのフロアにも陽が深く差し込む。精神病棟にも例の鉄格子はない。退院した患者の作業所や住まいも併設されている。経験に裏打ちされた世界に感銘。夜、会議後の帰宅途中の車内でイラクにて日本人が誘拐監禁される報を聞く。

2004.4.6
陶鎔小学校入学式。PTA会長として公には最後の仕事のお祝いスピーチ。新ネタを仕込む余裕がなくて、一昨年披露したリングのマジックをしたところ、子どもの反応はけっこういい。同僚役員からも一昨年よりずっとよかったよ、と嬉しい言葉。褒めることは大事ですよ。

2004.4.5
テレビでの前田知洋氏のマジック演技にただただ感嘆嘆息。技の見事さもさることながら見せ方の上品さも特筆すべきもの。人を感動させるのは技術です。でもその技術を受け入れさせるかどうかは人格に関わってくる。内面は全然知らないけどね。そう見せる心配りができる人格ということです。本当に気持ちのいいマジック番組、日テレもやればできるんじゃない。

2004.4.4
疲れが抜けないまま五日分のメールチェック。ウイルスメールの多さに仰天。私のアドレスで送られて返送されたものも多数。これを読んでいる誰か、ウイルスチェックしてね。

2004.4.3
ミャンマー料理はほぼそのまま日本料理。違いは醤油が魚醤なこと、生魚を食べないこと、油(ピーナッツ油)を多用すること、米がインディカ米だということくらいか。だから旅行中体調を崩すことはなかったんだけど帰宅したとたん、腹ぐあいが悪くなった。やっぱり異環境はそれなりの負担はありますわ。

2004.4.2
ヤンゴン市内で僧院が営む孤児院を視察。ここに来る子どもたちは親が亡くなった理由は第一に病気とのこと。周辺部ではまだ水道供給が行き届かず、マラリア発生も多い。NGOが関わる課題のひとつがここにある。夜、ヤンゴンからバンコク経由で成田へ。バンコクでは団体客が入ったとかでビジネスクラスへの席変更を求められる。ラッキー!初めてのビジネスクラスは足元の広さにびっくり。ベルトをしたままだと前のポケットの雑誌を取るのが一苦労だぞ。なんていじましい喜びなんだ。

2004.4.1
TPAKが学校建設を支援する村へ赴き、現地の僧侶と合同法要を営む。僧侶と公開懇談の場が設定されるが、政治的発言は厳禁とのこと。ビルマ人のガイド氏も車の中では正直な話をしてくれるが外では気をつかっている。午後はTPAK一行と別れてヤンゴンへ。夜のシェダゴォンパゴダに圧倒される。ライトアップされた金色の巨大なパゴダ。大きいことにはやっぱり、確実に、意味がある。その下で午後9時過ぎにもかかわらず徒然に、まったりと過ごす大勢の市民たち。もちろん真摯に祈りを捧げる人々も。こんな光景は日本のどこにもない。タイでも覚えがない。写真やビデオの印象を遥かに超えてた、宗教空間と観光名所と憩いの園が見事に折り重なった幸福な場所。ここには来る価値がありますよ。ミャンマーは紛れも無く仏教国です。

2004.3.31
TPAKの友好団体が支援する農業訓練校を視察。まだ15、6歳の少年少女たちの使命感あふれる姿勢に感銘を受ける。日本でもいわゆるエリート群はああいう目をしているんだろうか。もっとシニカルだったり確信なさげだよね。でもミャンマーの彼等も卒業後をサポートする体制がちょっと心もとない。あの目の力をいつまで保ち続けられるか。彼等はエリートとなってなお村に帰れるか。それは本人の使命感うんぬんを超えた話ですが。

2004.3.30
初日は観光。ヤンゴンからバガンへペロペラ機で飛ぶと眼下に数限りなく点在するパゴダ(仏塔)。大小形態も様々。11世紀から13世紀に建立されたものだがインドの遺跡のような荒涼感はない。今も宗教施設として生き続けていることが肌で感じられる。中でも圧倒的なのがアーナンダ寺院の立像。東西南北それぞれに向ってそびえるそれは高さ10m。大きいということはそれだけで意味が確かにある。ミャンマーでは男性も女性もボトムはロンジーという筒状の巻スカートを着用する。ちょっと良いものを5ドルで購入、着用するとなんとも快適。以降、ミャンマーではこの格好で過ごすことに決定。

2004.3.29
アーユスのスタディーツアーで地球市民の会かながわ(TPAK)の活動地他を見学に、ミャンマーへ。バンコク経由でヤンゴンまでたっぷり九時間。エコノミーはつらい。ヤンゴンの夜は例の、アジアの夜。しかし不快な蒸し暑さはほとんど感じない。

2004.3.28
幼稚園の年長になる長女夏菜が補助輪を外した自転車の練習を始めた。長男は小3になってやっとしぶしぶ練習しだしたというのに。末っ子は強いね。

2004.3.27
キャノンの写真プリンター購入。ここのところ衝動買いが多い。天体望遠鏡、マイナスイオン発生器、読めもしない洋書数冊・・・なんだろね。ま、その中ではこのプリンターは正解でした。画質も印刷速度も不満なし。なによりモバイル。ミャンマーに持参します。

2004.3.26
東京の教学研究グループの連絡会。最初の発題で教団の現状分析を「人々の苦悩に対し、浄土真宗の教えに基づいて応えることができていない」「人々の苦悩を仏教で考える根本的苦悩へと結びつけることができていない」とするのは大変的確と思う。が、その原因を「教学研鑽の不足」「現場の問題に対応した研修の不足」とするのは言葉足らずだろう。「教学」自体の概念の共有ができていないのだから。まだまだ「教学」を「覚えるもの」と考えている人が多いんですよ。そんな権威主義的・固定的・上意下達的なところに教学なんて、まして仏教なんてありえないのに。

2004.3.25
森達也氏、黒沼弘己氏と飲む。親鸞の話をしましょう、とお誘いいただいたのに予想通りというかいつも通りというか、ただ飲んだくれてしまいました。すみません。なにとぞこれに懲りませんように。

2004.3.24
陶鎔小卒業式。PTA会長としてのスピーチ。自分自身には過去の入学式卒業式でのPTA会長のスピーチ一切が記憶にない。そりゃそういうものだろうけど、ちょっと抵抗を試みたりして。先生お一人から反応あり。それで満足。

2004.3.23
自由ケ丘の「私の部屋」でひらかれている行田ゆたかさんの展覧会を覗く。行田さんはお連れ合いとともに山梨で土とともに創作活動をされている。題材となったかぼちゃの、かぶの、存在感が重い。ひとつ連れ帰っちゃいました。延立寺広間にいるよ。

2004.3.22
今日もみぞれの中、今年の延立寺降誕会にお招きする江戸あやつり人形の上條充さんが打ち合わせに来寺。背筋の伸びた佇まいも品がある語り口も芸人の誇りに裏打ちされている感があります。期待してね。

2004.3.20
彼岸中日。朝から降る冷たい雨は昼前に大雪となる。その中での彼岸法要にお参りくださった方々ありがとうございました。皆さんのお顔は忘れません。いいことあるといいですね(ってなんだ)。

2004.3.19
イッセー尾形を丸ビルホールで観る。丸ビル、足を踏み入れるのは改装前を含めて初めて。実は私25歳過ぎまで丸ビルを銀座四丁目の三愛ビルのことと思っていました。三愛ビル。幼稚園の頃、ここでの買い物に連れられた私は早く帰ってテレビの『ウルトラQ』が観たくてぐずり、叱られた記憶がある場所。

2004.3.18
秋葉原のラオックスMac館がついに閉館して本館へ移る。本館並びにあった時はけっこうお世話になっていたんだけど移転後はさっぱりだったので感慨も少ない。Macはやっぱり売れていないのか。コアなファンはいても新規開拓ができないんだろうな。私だって子どもに与えるパソコンをMacでいいのかほんのほんのほんの少しだけど躊躇するもんな。

2004.3.17
彼岸の入り。やっと寺報「ポピンズ」発送。2月末に出ているはずだったのに。

2004.3.15
アーユス理事会。収入アップのための新企画を検討中。その一つが、「香典返しプロジェクト」・・・他じゃなかなか聞けないネーミング。

2004.3.12
出版の企画会議。年度末もあって本当に連日会議が入るんだけど、モノ作りの会議は楽しいですね。自分の企画が受け入れられればの話ですが。ただそれも少し詰めていくと形になる前に飽きてしまうのが私の悪癖ではあります。

2004.3.11
練馬宝林寺へ出講。聞き上手な方たちです。改築してから初めて伺って、二階の本堂と一階の会館それぞれに使い勝手よさそうな工夫に感嘆。参考にしたいがうちは当分改築予定なし。

2004.3.10
カレーなら三食一週間続けてもOKの私がなぜか縁がなかった横浜カレーミュージアムへついに入場。折悪しく改装中のため四店舗しか開業していなかったがむしろそれが幸いしたかも。八店舗分は食えません。なによりレトルトカレー販売コーナーの充実には感激。デリー、アーデン、パク森に並ぶ逸品に出会えるか?

2004.3.8
アーユスの支援事業の絡みで名古屋のI CANへ訪問後、これから葬儀社を開業する若者と飲む。望ましい葬儀を提案していく姿勢へ共感と羨望。

2004.3.6
重松清『卒業』を読む。家族の死をテーマにした連作、というか、家族の死をテーマにしえた家族の物語。ちょっと甘すぎないか、とも思うが、いい。死が豊かであることを示してくれたのだから。

2004.3.4
いつもにこやかにお参りくださった大矢シナさんの葬式。おだやかな人格が家族の方々それぞれに深く染み入っていることがよーく分かる。

2004.3.3
会議ばっかりの日。来年度の僧侶研修会企画会議、基幹運動常任委員会、多摩組役員会、通夜を勤めてPTA連合会役員会。企画会議ってけっこう好き。名前だけ出してるうちはね。

2004.3.2
延立寺仏教婦人会。今回は『梅原猛の授業 仏教』を題材に、「一神教的」見方の陥穽について話をしました。一神教的の陥穽とは、キリスト教やイスラム教を批判しているのではなく、視野狭窄のこと。と話をしても、やはりお念仏が一番なんですね、と単純に受け取られてしまう。それが「一神教的」と言っているんですけど。

2004.3.1
optimistaというハイセンスなコラムサイトを持っている村椿菜文さん来訪。寺の仕事や仏教の考え方についてお話しする。 御自身を開示されながらの素直な問い掛けに、こちらも構えなく自然にお話しさせていただきました。素敵なひとときをありがとうございました。

2004.2.27
オウム麻原死刑判決。森達也氏のレポートによると、麻原は既に壊れている。なぜ精神鑑定をしなかったのか。日本において、精神鑑定= 免罪と思われている歪みがここに現れている。病気の治療が真実解明の鍵なのに。

2004.2.26
富田冨士也氏を迎えての研修会。人の話を聞く上で、相手が持っている枠組みを尊重することがなにより大切との話。人は誰も枠組みに縛られている。しかしその枠組みをもってしか生きられなかったという事実がある。その事実を尊重し汲みとらないかぎり、こちらの言葉が入る余地はないという指摘。話としては分かるが、実践は限りなく難しい。終盤、「最近仏教系大学なんかで仏教学の看板を人間学とかにかけかえてカウンセリングなんかを学ばせてるけど、仏教こそが今求められている」というエールをいただく。おいおいそこの参加者、嬉しそうにうなずいているんじゃないよ。そういう一種傲慢な姿勢が人を遠ざけているんだよ。

2004.2.24
テレビでK-1MAX観戦。今日のベストはなんといっても山本KID徳郁のファイト。一見狂気そのものだが客を意識するクレバーさも垣間見せる。どの試合も、ヘビー級よりずっと面白い。闘争心とテクニックとパワーがいいバランスで。華があるし。武田はテレビへの登場が遅かったのがかわいそう。せめてK-1MAXが3年早く始まっていたら、彼はヒーローになっていたのに。

2004.2.23
青年劇場『弟の戦争』を観る。二年前の『ケプラー』と同じ演出・脚本ということで少しの期待は持っていたが、期待を大きく上回る出来。湾岸戦争時の英国が日本の明日に重なる。いや、日本人は誰もあんなに正義を信じちゃいない。なのに同じ方向へ進むのはなぜ?

2004.2.22
いとこの淑恵ちゃんがダンナをつれて来訪。物腰まるくさわやか。いい男っているもんなんだな。格闘技好きということも○。 次は酒を御一緒したい。一発で愛想つかれる怖れはあるけど。

2004.2.21
延立寺法話会、講師は山崎龍明師。涅槃会に関連して自灯明法灯明のお話をいただく。自と法を分離させてこの言葉をいただくと尊大な自己肥大に陥ってしまう。あくまでも不二のものとしてこの言葉をいただいたときに、釈尊の言葉は出来の悪いマニュアルの答でなく、生き続ける問いであったことに気付かされる。

2004.2.18〜19
東京教区基幹運動役職者合同協議会。東京教区は栃木群馬から静岡までを含むので合同の会議設定は大変です。他組の様子を知るだけでも意義は大きいと思う。

2004.2.17
小学校で読み聞かせ。私の担当は2回目。なかなか本が決まらなかったところ前日の会議で良い本を紹介されました。『せなかをとんとん』(ポプラ社)。一回下読みしただけで本番に臨んだら、読みながら涙が湧いてきて困った。子どもの反応はそこそこ。最初聞こえた話し声が途中から消えたのでまずまずかも。

2004.2.16
狸囃子で有名の木更津・証誠寺様へ初めて伺う。お寺の方々がみなさん本当に暖かい。門徒さんが増えるのが分かります。夜、本願寺出版会議。他の委員の方々が用意した企画が予想以上にこじんまりとしている。なんだかなあ、これじゃ我々がわざわざ時間とる意味ないんじゃないの?まあ私の企画だって思いつきを一歩も出てませんけど。

2004.2.15
和田掘にての涅槃会布教大会に出講。途中で話の筋道が混乱して絶句してしまう。後で思い返すとまるまる1エピソード飛ばしてしまったために話がつながらなかったことに気付く。お見えの皆さま、大変失礼いたしました。

2004.2.14
多摩組総代世話人会。某寺の世話人さんから現代と切り結ぶ話がなさすぎる、という批判というか注文をいただく。うちは違うよ、と言いたい気持ちを自制。やはりたいした事はしてないもんなあ。懇親会を途中で抜け出して映画『able』をいちょうホールにて観る。 自閉症とダウン症の少年がアメリカでホームステイをしたドキュメンタリー。長身のジュンが潤に重なる。バスケットで敵のボールを奪えないジュンは、しかし自分の仕事と居場所を見いだしていく。さて潤にはどんな機会を提供できるだろう。

2004.2.12
肩がこる〜。原因はパソコンらしいんだけど、これ、本当に目に影響あるんだろうか。視力は全然落ちていないんだけど、視力を司る筋肉と画面の文字を追う筋肉は違うということなのか。整体にも行きたいとずっと思っているんだけどなんか躊躇するんですよね、逆に壊されたりという話も聞くし。

2004.2.10
八王子市仏教協会主催の涅槃会。毎年のことだけど、全然動員ができていない。一ヶ寺五人でいいんだけどそれができない。恥ずかしいことだと思うんだけど、そう思わない坊さんに何を期待せよと言うのでしょう。それはともかく当日御出演いただいた皆さん有り難うございました。御詠歌の素朴さも素敵ですが、仏教賛歌の美しさに魅かれてしまうのは身贔屓ばかりじゃない。

2004.2.9
やっと平熱に。エンゲイジド・ブディズム(社会派仏教)の新勉強会を立ち上げるための打ち合わせ会。そこそこ盛り上がったものの、さてここに誰が来てくれるのだろうと考えるとあまり顔が思い浮かばない。今迄とは別の関係へ呼びかけられないか。

2004.2.8
二日続きの葬式。今日の担当葬儀社は東京相互葬祭の対馬氏。対応が非常に丁寧で好感度高し。ただナレーションで「西方に旅立たれた方」が「草葉の陰から見守って」とやったのは御愛嬌。

2004.2.7
37.1℃の熱が続く中、法務法務法務。風邪かな、と感じたのが先週木曜日なのでもう10日、長いぞおい。とくにこんなに微熱(私にとっては決して微ではない)が続いた経験は記憶に無い。

2004.2.6
八王子では新聞ネタになるくらい児童対象の事件が続く。それに対応して来週から保護者のつきそいによる集団下校を実施する。その案内を出したところ、不評不満紛々。ただそれが会長の私に直接届けてこないということはその程度の不満にすぎないということ。子どもの安全は親が守る、その原則は外せない。集団下校つきそいが面倒と言う方には代案を出していただきます。

2004.2.5
熱は37℃まで下がったものの、平熱が35℃台の私はまだだるい。仕事をいくつか先送りにしたが休んだ気になれない。熱に浮かされたように特に欲しくも無い本を数冊ネットで注文。そうか、パソコンの前にいるから微熱が続くのか。

2004.2.4
藤場師講義の二日目。期待通りの明解な講義をいただきながら悪寒がどんどん酷くなる。もうろうとしながらお話は毛穴から伺いました。失礼。しかし聴衆の反応はいいので企画者としては満足。そのまま来年度の研修会企画会議。正直やる気が少し薄らいでいる。どんなにいい企画を重ねてもあんまり参加者が少ないといいかげんおじさんも嫌気がさしますよ。こんな内容の濃い研修会が普通だなんて考えているのかな。いつまでもあると思うな親とまともな研修会。体温は39℃。

2004.2.3
僧侶研修会。講師は金沢から藤場俊基師をお招きしての二日間。同一講師の連続二日は教区僧研でははじめて。その企画への自信を読み取っていただいたか、例年より若干多い参加者。しかし私は途中から咳がおさえられない。

2004.2.2
深川倫雄和上傘寿記念法座に伺う。心底から傾倒する人の多い和上だが、どこにというのがもうひとつ分からない。 批判しているのではありません。薫陶というのはそういうものだと思うので。

2004.2.1
延立寺役員会。今年の行事を御検討いただきます。旅行は会津方面一泊が第一候補。

2004.1.30
アーユス新年会。毎年多くのNGOの方が出席してくださる。団体間の交流の場を提供しているという意味で、この宴はアーユスの根幹に位置させていいと真面目に考えている。今日も楽しんでいただけたのではないでしょうか。少々体調が不安なので会場へは車で行ったのですが、帰り、駐車料金を払おうとすると2400円。え?20分200円、三時間で1800円じゃないの?とよく料金表を見ると、18時以降15分200円だと?こんな大事なこと小さく書くなよ〜よりによってこのあたりで一番高い駐車場に入れてしまった〜。バカ。

2004.1.29
青年布教使研修会。なぜか案内が届かないところが多数。情報が行き渡っていない中、参加の顔ぶれを見れば、情報っていうのは行くべき人のところにはちゃんと行くんだなあ、と感心。内容は研修の王道、教学することの意味と姿勢について浄土観をめぐって展開。濃いー。そして、楽しい。

2004.1.28
図書出版の企画会議。どこまでバカな話を広げられるか。

2004.1.26
裁判傍聴。実際に裁判というものを間近に見て、裁判官も弁護士も優秀な人ばかりではまったくないということをよーく思い知った。万一裁判の当事者になったら、両者にいささかの期待もせずに(というか裁判官は言葉の理解力もまともな想像力も持ち合わせておらず、相手側弁護士の仕事は第一にこちらの思いを逆なですることだという大前提で)対応していかなければ後悔は必至。

2004.1.24
ダイエー楢原店店頭にてPTAによるピーポくんキャンペーン。午前11時より始めたが人はまばら。夕方にしたほうがよかったか。しかし市内での事件が続発する今キャンペーンを行うということで朝日読売二社に取り上げていただく。人寄せにピーポくんとリスの二体の着ぐるみを用意。ピーポくんは警察から、リスは友人から借りる。しかし当日着ようと箱を開けると、リスの方は肝心の頭部が箱に入っていない。後から聞くと型くずれを避けるために箱から出して保管していたとか。まったくよう。確認しなかった私も悪いが。

2004.1.22
八王子仏教教会理事会で涅槃会の打ち合わせ。今年は2月10日(火)いちょうホールにて。

2004.1.21
小P連役員会。話題は昨今八王子市内で続発する子どもをターゲットにした事件。防犯体制をいかにつくるか。

2004.1.20
今学期から小4の長男のクラスで週一回保護者による読み聞かせが始まった。協力者として手を挙げて、本日が始めての出陣です。選んだのは超定番『100万回生きたねこ』。読んでいる子が多いかと思って確かめると30人の中で三人ほど。意外なほど集中して聞いている。ま、この本なら当然。

2004.1.18
2月末に予定しているタイ・スタディーツアーの打ち合わせの連絡が全くこない。どうなっているんだと教務所担当者に電話をかけると、「申込者が0なので中止にしました」とシレッと答える。はあ?俺、参加するって言っていたの忘れたの?なんで確かめの電話一つかけないの。そもそも募集チラシにしてからが集める気なしがありあり。やる気なしで中止にするのはいいよ。それが周りにどんな迷惑と影響を与えるか。少なくとも宗派の名を落としたことの責任は感じてもらわなければならないんだけど、それさえ担当者に求めることはムリっぽい。嗚呼。彼にかけられる言葉は一つしかない。恥を知れ。いや、恥を知ってください。頼むから。

2004.1.17
午前から雪が舞い始める。急いで車をスタッドレスに履き替え。タイヤって交換することを前提に装着されている。頑丈で外れないことが安全ではない、ということ。ちょっと応用可能な視点かも。午後は延立寺法話会、講師は芝田正順師。一日のうちで、人間が作ったものでないものをどれだけ見ているか、と問われる。うちの境内にいれば容易いことだけど。

2004.1.16
三明智彰氏主宰の学習会に久々にうかがう。テキストは岩波文庫版『教行信証』。決して易しくはない講義を聞き入る出席者の姿に感銘と驚き。人を誘う要件順位で易しさは高くないかもしれない。

2004.1.15
小P連の役員として、ピーポくん事業の説明に伺う。昨今の防犯意識の高まりが影響しているのか。ピーポくんはシェルターとしての機能よりも、防犯意識をアピールするツールとして使いではあると思う。

2004.1.14
延立寺婦人会例会。本日は新年会で芸達者の方々に助けられます。踊り、マジック、フラダンスの定番に加えて、今年買ったばかりのマイク一体型カラオケ(ジャパネットたかた)。これ、使える。昨年まで使っていたeカラの比ではない。夜は陶鎔小学校評議会会議。話題はもちろん防犯について。でも学校に何かを求めるより自己防衛意識を高めるしかないと思う。

2004.1.13
源泉徴収税支払い。寺は税金と無縁と思っている人があまりに多いんだけど、坊さんは社会人なんです。もちろん納税義務はありまして、私は法人職員。給与生活者なのですよ。

2004.1.11
消防団出初め式。まったくもって無駄が多すぎる式です。参加する側の対策として今年はワイシャツの下に厚手長そでシャツ2枚、ズボン下も同じく2枚で臨む。完全防寒と思ったが、うっかり靴下を普通の一枚で行ったのがまずかった。足裏から染みわたる冷気に今年も足が棒になる。一点のぬかりに泣かされた俺は耳なし芳一か。

2004.1.9
ネットオークションにてドリカムのバラードコレクション初回版を購入。しかし、「初回限定」商法ってマイナスの方が明らかに大きいと思うんだけど。特別パッケージくらいなら通常版でもいいかと思うけど、ボーナストラックでも入っていたらそりゃ限定版を欲しいと思うのがファン心理。かくしてオークションが盛んになり、商品が消費者間で行き来する分だけ確実にCDの売り上げは減る訳で。私も本来は製作者へ投票行動したいのだけど、今回は中古に流れました。初回限定という形で購入を急がせるのは精神が貧しいと思いますよ。

2004.1.7
洗足池の古書店『ぽんぽん船』に寄る。最近、私はいわゆる新古書店ではあまり本を買わなくなった。消費は投票行動だ、という考えに立つことにしましたので。やはりお世話になる著者や出版社に還元がないのは申し訳ない。しかし『ぽんぽん船』は同業他店とは品揃えが違うので利用し続けてます。第一に入荷が早い。刊行すぐの、それも旬の本が並ぶ。仕入れのルートが違うんだろうが、この日は『アメリカの反知性主義』他数冊購入。

2004.1.6
消費電力が何分の一とかで、家中の白熱灯を電球タイプの蛍光灯に替えている。が、これ暗いんですよ。ていうか、本来の明るさになるまでに30秒かかる。これが長いのね。スイッチをいれるとぼやーんとオレンジの灯がともり、だんだんと明るくはなっていく。うちが寒冷地だからとも思うんだけど、開発途上製品と断じたい。

2004.1.5
神保町で用事をすませ、車で路地から大通りに出ようと車の流れが切れるのを待っていたとき、角の交番から制服が近づいてドアを開けろと指示する。ヤバあい!シートベルトをしていない!いつも必ずしているのにその時に限ってなんでまたああこれでゴールド免許がはるかに飛んでいくこりゃ縁がないとしかいいようがない・・・などと0.2秒くらいの間に考えていると、「衣、はさんでますよ。」ありゃ、乗るときに衣の裾をドアにはさんで、はみ出させたまま走っていたのでした。「大事なものでしょ」とにっこりした年配のおまわりさん。シートベルトは一言もなし。いいひとだー!

2004.1.4
正月休みにはこれとこれをしよう、なんて思っていたが何一つできていない。考えてみれば正月って休みじゃありませんでした。4日になってやっとぽつぽつメールの返事や周りの片づけを始める私。

2004.1.2
何をしてしまったのか定かでない。突然メーラー(ユードラ)の調子が悪くなり立ち上がらなくなった。それではと再インストールして立ち上げたところ、年末30、31日二日分に送受信したメールが全て消失している。サーバーに残っているから落とせばいいやとのんびり構えていたが、操作してみるとサーバーにも全く残っていない。設定を確かめると、メールをサーバーに残さないようになっている!なぜ?あら〜。確か開いた中には要返信のメールはなかったはずだけど、もし失礼があったらお許しください。そういう事情です。なんかちょっとした喪失感に襲われる。

2004.1.1
本日より新しい手帳を使い出す。私の手帳遍歴は87年から10年間ファイロファックス、その後超整理手帳を4年ほど使い、一昨年半ばからほぼ日手帳。こんなゴロンとした手帳なんて使いづらいと思っていたのに慣れは愛着を育てるだけでなく新たな使用法も開発するものです。今は他に乗り換える気がしない。手帳自体が年々使いやすく進化しているのも事実。

 

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