住職雑記

最近の身辺あれこれ



2003.12.31
中学以来恒例の忘年会。最初男だけ5人で始まった会が連れ合いが加わり子どもが加わって最高人数となったのがおととしあたりか。子どもが高校生になると友だちとの忘年会に参加するようになり、ぽつりぽつりと縮小傾向。それもまたよし。テレビを二台並べて格闘技三つ巴&紅白に対応。ベストバウトは須藤元気vsバタービーン。私が格闘技に求めるものはただ品格と知性。今夜はそれを須藤に一番感じました。

2003.12.27
寺報『ポピンズ』発送。例によって予定より一ヶ月遅れ。一応隔月発行のはずが今年も4回しか出せませんでした。

2003.12.26
劇団四季の『ライオンキング』を観る。正直言って見くびっていたがオープンニングの10分間で完全に認識を改める。追いつけないほどの多彩な表現。ここだけでも子どもに見せてやりたい。その昔、港区のの小学生だった私は招待された日生子どもミュージカルを観て役者志望をした時期があった。あの時の思いをかなり正確に思い出した。

2003.12.24
知人がホームシアターにも使えるオーディオを新規購入すると聞き、ここぞとYoshii9を薦める。本堂にていろいろなジャンルのCDとLPをとっかえひっかえの試聴タイム。聴き疲れのしない音のよさは分かっていただけたと思うが、さてご注文は?

2003.12.22
雪の残る郡山へ。玄侑宗久氏へのインタビュー。伺うお話のおもしろさもさることながら、佇まいの美しさは真宗僧侶にはみられないもの。力がある声もいい。「小説家が仏教的なことを書いたものは世にあるが、僧侶が仏教を書いたものは私の小説以外ににみたことはない」と断じる強烈な自負。いや責任感か。その思いは真宗への「仏教を『知識』や『解釈』に留めてしまっているように見える」という指摘に通じる。

2003.12.20
本年最後の延立寺法話会。講師は山崎龍明師。なんと今年60歳で、大学の教え子や関係者が還暦祝いパーティーを開いたとか。誰か還暦記念論文集は企画しないのかなあ。

2003.12.19
八王子市民会館にて『ふれあいコンサート』。共立女子の歌声も美しい。創価大ジャズバンドものっている。八王子盲学校のタップも見事だ。でもやはり片倉高校のブラスバンド。すげえなこいつら。観客を楽しませる術を知り尽くしている所作の気持ち良さ。表情はもちろん身体全体を意識しての表現力の高さ。もうおっかけをしたいくらい。ロビーでの作業所製作品即売もそこそこ賑わっていたし、主催者の一員として少しだけ誇りが沸いた。

2003.12.17
平和遺族会全国連絡会代表・小川武満氏の葬式。地域に根ざした平和活動を続けるとともに、靖国に連ならない戦没者遺族としてまさに心身を削り奮闘された一生。存在自体が平和運動の求心力となった方。代わりはいない。それをいいことに私を始め回りの者が氏に甘えすぎていたつけの大きさはすでにあきらかになっている。

2003.12.16
念願の、築地本願寺にてのA2上映&森達也監督講演会。一年半前に理不尽に流されてからやっと実現にこぎつく。善悪二元論に陥り想像力を失ったときの危うさが示される深い内容に参加者一同感銘を受けたもよう。しかし、参加者のあまりの少なさに暗鬱。映画上映時に20人程度、講演会でも40人を下回る。懇親会でも、なぜこんなにこないのかと怒り混じりの声をいくつも聞く。企画に自信があり、それなりの広報もしたつもりだからなおさら悔しい。森さんは、まあこんなもんですよ、と遅くまでおつきあいいただきながら酔っ払いの詰問にも丁寧に応じている。これで終われない、リベンジします、と言うと、森さんに「アメリカ流だね」と笑われた。でも、次は、ある。今度は「放送禁止歌」だ。

2003.12.14
坊守の父の法事を延立寺で営む。顕は丸一日いとこのあゆみちゃんなおきくんと遊んでもらって、正月には一人で泊まりに行くことを決意する。ふだんは一人では寝られない彼。まあいいペースの成長と思う。

2003.12.13
納骨に多磨霊園へ。お斎の席では故人のお父様である洋画家の濱田忠士氏と御一緒する。一番の批評家だった娘さんの思い出を穏やかに語られる。作品への海外の評価が高まり渡欧も増える今、娘さんの厳しい言葉が聞きたい模様。

2003.12.10
町田の円成寺法座へ出講。話の途中で少し空回りしているな、と感じだすともういけない。修復しようと頭の中でじたばたして、かえって聞き手は離れていく。あの録音テープ、もう消されているだろうな。

2003.12.8
築地本願寺で成道会布教大会。マイクの音がこもっているな、と思っていたらまもなく、ミキサーがクラッシュ。急遽代わりに持ち出したポータブルのマイク。悲しいことにこちらの方がずっと音が通るじゃない。どうも本堂のマイク設備は設定が微妙にずれて音が相殺してしまっているらしい。高性能が仇になって素人では調整できない。オーバースペックは弊害の方が大きいことを学ぶ。夜はイッセー尾形の独り芝居へ。今日の収穫は「見送る女」。いつか昼ドラマで見聞きしたような安い台詞を重ねることでしか気持ちを表現できない彼女の哀しいリアル。

2003.12.6
PTA役員の忘年会。昨年のこの席では図らずも続投を受けてしまったが、本日は次期会長が内定。後任は私見では最適の人。安心に美酒が進むこと進むこと。

2003.12.5
夜成田着。一日損をした感深し。初日に一日得をしたのに。

2003.12.4
早くも帰路。機内での映画はディズニーの『サンタクロース2』。子どもの頃に欲しかったおもちゃに興じる大人たちのシーンでついホロリとしてしまう。

2003.12.3
弱い日差しにも関係なく子どもたちはプールで嬌声をあげる。 夕食はマクドナルド。なんでハワイに来てまで、とは思わない。子どもの偏食に抗えない我々の有り難い味方です。この4日間で三食もお世話になってしまった。嗚呼。

2003.12.2
カフルイ本願寺へ。教会然としたその佇まいで当地らしさは仏花。南国の原色が大きく飾られる。昨日法事があったばかりとのことだが、法事の花がこの力強さとはやはり国が違う。ここを預かる曾我一家は以前はハワイ島のプナ本願寺に勤めていた。坊守・久弥香さんによれば本当に素朴なハワイ島の人たちに比べればマウイの人たちはドライというか都会的。その分つきあいやすい面もあるとのこと。観光地度に応じて人情も変る。この晩は泊めてもらい鍋(ハワイで!しかしこの晩は肌寒いくらいでこれが美味かった)をつつきながら痛飲。それはそれで楽しかったのだが、泥酔のため積もる話をほとんどし損ねたのはなんとも勿体ないことと後悔ひとつ。

2003.12.1
昼前に車でマウイで一番の観光ストリート、ラハイナへ向う。朝から続く本降りの雨にもかかわらず、現地の人も観光客もほとんど傘をささない。濡れることを厭わないこの感覚は何?たまに見かける傘の主はほぼ間違いなく日本人。濡れるのがいやなわれわれがドラッグストアで求めた雨ガッパは素材といい色といいまんまゴミ袋。日本ではたとえ八王子でも使いたくない。右側走行がまだ慣れない。直進している分には問題ないが、交差点で右折左折時に、つい反対車線に入ろうとしてしまう。

2003.11.30
ノースウェストからホノルルでアロハ航空機に乗り換えて到着したのは時差の関係で30日の午前10時半。この日時の関係を潤に納得させることのなんと難しいことよ。ホテルに着き、レンタカーの手配をしているとそこへちょうど開教使、曾我大円師が登場。その夜は曾我ご家族との会食で和む。しかし一皿の量の多さには仰天。

2003.11.30
午後成田へ車で向う。なんと家族でハワイ・マウイ島へ研修旅行です。マウイには友人の開教使がいますので当地の活動を学びに。仕事の都合やら子どもの都合やら留守番の都合やらを考えるとこの時期に落ち着きました。夕食は空港内のマクドナルド。

2003.11.28
子どもの小学校の集団下校訓練。集団下校ってその効果については今は先生の間では否定的な評価が多いよう。しかし目的は子どもの直接的な安全確保よりも、近隣の子どもたちの顔合わせの方が大きい。「地域」がなくなったことは危機管理上第一の問題と思う。「地域」の再生を、戦前回帰とか右傾化とか相互監視の窮屈な社会とか言う人がまだいることには苦笑。

2003.11.27
伝説の限定本出版社であるプレス・ビブリオマーヌ主宰にして浄土真宗寺院住職の佐々木桔梗氏の新刊本『日本の肉筆絵入り本・北園克衛を中心に』(書肆ひやね)が出た。キリっとした硬質の文章に透明感ある装丁。モダーンとはこういうこと、と見せつける一冊。

2003.11.26
朝、なんと今日も高速は事故渋滞。二日続けてとは。事故現場を過ぎれば空いているようなのでここは我慢の90分。なんとか女将の葬式は定刻に開始。後は築地本願寺にて布教団の会議をすませ、町田勝楽寺へ神戸からの客、PHD協会の藤野氏他にご挨拶。こういう人との出会いはNGO活動に関わる最大の益。

2003.11.25
向島の料亭を一代で栄えさせた女将の通夜。きっぷのいい人で、寺にお参りくださったときも客への応対やお斎の味付けに的確なダメだしをしてくださった。向島へ向うのに事故渋滞で中央道から首都高の交通状況は全線真っ赤。首都高を新宿で降り、都庁前の都営駐車場へ入れて大江戸線で押上へ。

2003.11.23
二ヶ寺の報恩講に出仕の後、築地本願寺でのパレスチナ・ガザ地区でろう学校を運営する女性の報告会へ行く。このような催しに築地本願寺を使っていただいて誠に有り難い。後の懇親会では日本のろう学校の学生たちの連帯のアピールがあった。彼等、カッコよかったなあ。

2003.11.21
前日に引き続き、部落解放研究集会の分科会へ。八王子地区の部落出身者が自身の人生を振り返る発表を聞く。差別の厳しさより、消防団などに見られる部落内の結束の固さが誇らしげに語られる。中年の今もやんちゃそうな好人物。昨日といい今日といい、集会にかつてのような生硬な姿勢は見られない。

2003.11.20
部落解放研究集会へ出席。記念講演は永六輔氏。若い娘の携帯電話の新しい使い方に感心した話などはさみながら、差別全般への目配りを訴える。解放同盟自身が部落差別のみを特化しなくなっていることの反映とも言える。

2003.11.18
足利の樹覚寺へ法話出講。足利学校を文鎮としたような静かな町並みの中の寺。非常に聞き上手な方が多くて、助けられました。

2003.11.17
八王子市内の小中学校校長会と小中PTA本部との懇談会。教育委員会と教師が双方ともに相手へ強い不信感を抱いている。それはうまく回れば教育環境向上への刺激材料になるのだがそううまくいくものではない。今のところはまずい意味での溝が深い。民間からの教育委員への期待は大。

2003.11.15
延立寺が八王子に引っ越して以来30年間、この秋までずーっと境内の清掃や草むしりなど整備・維持をしてくださった八田武蔵さんの葬式。境内を自分の庭として、寺の者でも勝手に手を入れると怒っていた。代わる人などありえない、唯一無二の仕事をしてくださった。衷心より感謝すると同時に、これからどうすんだと一抹以上の不安。

2003.11.14
小学校の学習発表会。前日までの練習では途中でふらふら散歩してしまって一回もまともに出来なかったという自閉症の次男が、本番は皆とともに最後まで演じきった。担任の先生が駆け寄ってきて、「出来たじゃないですか、本番はできるって思ってたんですよ!」と大喜びしてくださる。ああ、この学校に入れてもらって本当によかった。

2003.11.13
布教部会のメンバーでマジックを見せる飲み屋へ。なんと先客にヒロ・サカイ氏がいる。いやがうえにも高まる期待。その通り、いやー、見事!客の指定したカードが、そこかしこから出現。もうまったくアリエネー!彼、教祖になれるぞ。

2003.11.12
築地別院の報恩講に布教部員で出仕。「仏教なんでも相談」のテントに座っていると、築地別院の建物は何でこんな形なの?との質問。グローバル化をにらんで、などと答えてしまった。まるで外れてはいないが違うよな。

2003.11.9
延立寺報恩講。降り出しそうな天気の中、大勢のお参りをいただく。御法話は正法寺・白川淳敬師。そのまま、と言われながら、このまま、を堅持する滑稽な私の姿を御指摘いただく。アトラクションは本物のフラダンス。小木曽郁子(ハワイ名・カプアラニ小木曽)さんと教え子達。ポイントは指先、膝・そして表情。どこまでも繊細なその踊りの一曲ごとに小木曽氏は息を切らすが教え子は平然。それは実は教え子の踊りが甘いことを示している。奥深いっすよー。

2003.11.8
ビハーラがん患者の会に途中から参加。お連れ合いを亡くされた方々のお話をうかがう。私が僧侶と知って、お浄土の話をふってくださる。私の話に説得力などない。でも話す。それを聞いてくださる。

2003.11.7
アーユス理事会。久々にお会いした伊藤さんの相貌が締まっている。高血圧のためにダイエットというより減量したとのこと。特に特別なことをしたわけではなく、週三回、ウォーキング程度の運動をアミノ酸飲料を飲みながら続けただけで二ヶ月で6キロ!無理していないで成果をあげているところがかなり私の背中を押している。

2003.11.5
松たか子の新作CD『hervest songs』を聴く。これが、すごく出来がいい。この人歌手としての立ち位置は前は今井美樹がいたところ。かつて今井には有名無名の作家たちが集って、自らの大人性を受け入れだして揺れる女性の活力と不安と思い切りがないまぜになった名曲をいくつも生み出したものだった。それが今、布袋のプロデュースとなってからは明らかに単調な表情しか見せていないのが残念。松たか子の今作。超有名と無名の作家達の作品が違和感なく並べられ、まさに揺れ時の魅力があふれる。

2003.11.3
調布の西照寺の継職法要。私は雅楽と記念法話で出仕。心配された雨もなんとか祝宴途中までもってくれて、幸せな一日でした。前住職・前坊守とはタイプの違う新住職・新坊守がつくる新しい西照寺が楽しみ。

2003.10.31
基幹運動常任委員会会議を途中で抜けて、立川での通夜を勤め、PTA会議に遅参する。どの場でも言葉が出ない今日。

2003.10.28
私、酔ったときの口癖が変わったらしい。ずーっと何年も、私は酔いが進むと面前の相手を「バッカヤロー」と罵倒しながら断言して意見するのが常(らしい。ほぼ記憶なし)。あ、まっちゃんのバカヤローが出たよ、もうだめだ、と笑われたもの(らしい。ほぼ記憶なし)。それが最近は「バッカヤロー」は消えて替わりに「それはそれとしてだな」。相手の話を途中で簡単にぶったぎって話題を変えてしまう(らしい。ほぼ記憶なし)。「バッカヤロー」も当然腹立つが、「それはそれとして」とあしらわれるのはもっと不快だと言われた。そこに愛がない。たしかに。すみません。

2003.10.26
納骨のため、谷中墓地へ。日曜日の昼下がりを墓地からお斎場所まで歩く間の町並みが楽しい。路地の真ん中に鎮座してかつ実用されている井戸、書筆の専門店、畳屋の佇まいが醸し出す静けさ。夕方にどこからかカレーが香ってくるなんて出来過ぎの町。

2003.10.24
朝、布団から立ち上がると目の前がぐるんと回る。強烈なめまいに立っていられない。こんな体験は学生時代のコンパの翌朝以来だが、今回は酒のせいではまったくない。メニエールか?目を閉じて布団の上でうずくまること約5分。目の前は回らなくなったものの頭のもやもや感とつきあうこと一日。読経中とかは気にならないんだけどなあ。

2003.10.23
朝からどことなく心身が重い。こんな時こそ、普段やりすごしている納戸の整理。ため込んでいる不用品をバッサバッサとゴミ袋に放り込み、段ボールがみるみる積み上がっていく。空いた空間をぞうきん掛けをするころには重い気分も払拭。

2003.10.20
都立八王子盲学校主幹・三崎吉剛氏の話を聞く。氏は数学の教師ではあるが、社会のバリアフリー化への取り組みに長く参画している開拓者。JRの券売機がタッチパネルになったときに視覚障害者から使えないとの声があがった。では音声認識を試したところ、どうもうまく作動しない。試行錯誤の結果たどり着いたのが、テンキーでの操作。これがJR他社のみならず私鉄各社にも広まっている。コンピューターを使った未来の話にわくわくさせられるなんて、まるで小学生に戻ったよう。

2003.10.18
法話会、講師は教区相談員、宮本義宣師。人が生き甲斐を感じるのは自分の存在が他人の中に意味があると思えること。それはまさに仏教の「縁起」教説が教えるところであり、その真理の中に我々の生きる源泉が用意されている。功徳が「身に満てり」とはこのこと。

2003.10.17
免許更新。昨年免停をくらったため、府中試験場にて2時間の講習を受ける。講師のFさん、容姿もしゃべり方も磯野貴理子そっくり。ぜんぜん退屈しないで勉強できました。でも、一緒に講習を受けた人たちの反応がほとんどないんだよなあ。あの(使命感+プロ意識)×サービス精神十分の熱弁にはもっと応えてあげていいと思うよ。

2003.10.15
築地本願寺にて男女共同参画をテーマに僧侶研修会。このテーマでは本願寺派は既成教団の中ではバランスいい方向に進んでいるとは思うんだけど、それに自負を持ちすぎる懸念もかなりある。本日の講師は瀬野美佐氏(女性と仏教・関東ネットワーク)と川橋範子氏(名古屋工業大学)。現今、「男女共同参画」という言葉はどうも色つきで見られがち。誤解に基づいた嫌悪感さえ強い。それはここ数年の研修会の持ち方のまずさもあったのだけど。今回は講師の人格のおかげで懸念されるクサみがない良い研修会になったと思う。でもそれもここに足を運んでもらわないことには伝わらない。今回も広報がまずかったと反省。

2003.10.14
アーユス事務所のMacにVirtualPC windowsXPをインストール。しかしこの6.1バージョン、インストールの時間が異様に長い。一時間くらいかかったんじゃないか。やっと終了してさあウインドウズソフトをインストールしようとするとどうしてもCDを認識しない。VirtualPCのインストール失敗の模様。ああ・・・

2003.10.13
朝、妙〜に湿度たっぷりの暑さ。思い起こすのはバリの朝。天も青濃く高い。天気予報では昼から大雨とか。何を寝ぼけたこと言ってんの。と思っていたら曇りだしたのが10時過ぎ。お昼には見事どしゃぶりとなりました。車で外出中も何度となく対向車線からザッパーンと大量の水をかぶる。それも午後3時には高い青空。メリハリありすぎ。

2003.10.12
地元の郷土研究の方々が来寺。この土地に建ってまだ31年なので研究対象ではないものの、気楽に立ち寄れる場所として認知していただければなにより。

2003.10.11
娘の幼稚園運動会。保護者の綱引きでは二連勝。嬉しいもんです。この幼稚園の華は年長の鼓笛隊なんだけど、やっぱり運動会の肝はリレー。子どもが走る姿ってなんていとおしいんだろう。知らない子ばかりなんだけどずっと見てしまう。

2003.10.10
アーユス事務所のウインドウズPCが故障。5年近く使ったので元はとったと判断して修理は行わず買い替えとするが、これを機会に事務所のパソコンを全部Macに統一することに。機械の故障を実は喜んでいる私。

2003.10.9
小学校PTA連合会常任委員会。本部の事業への取り組み姿勢にぶれがあっ20分近く空転。後から考えれば仕切りようはあったのにその場では言葉の出ない私。情けない。

2003.10.6
愛車・ミラジーノの走行距離が9万キロを突破。ますます快調。これ以上の車って本当にいらないなあ。夜、渋谷の『花のえん』。年下の友人に対して説教おやじと化す。かなりしゃべりながら呑んだせいか酒の回りが遅い。ので余計に呑んじまったらしょうがないだろう。

2003.10.3
本日よりインターネット環境をADSL24Mに切り替え。元が1.5Mなのでなんと15倍!になると期待するほど野暮じゃない。まあ3倍くらいになってくれれば体感速度も違うんじゃないか。しかし、あれ、切り替え何時だっけ?たしか午前中には切り替わるって言ってたけど、全く実感なし。夜になっても変わらず。一応速度を測ってみると・・・1.3Mなり〜!1.5Mの時と全く変わってない!切り替え手数料3000円、毎月の使用料増額分200円、丸々無駄な出費となった。そんなに効果はないよとは言われていたものの、少しは効果があるだろうと高をくくった私がウブだった・・・

2003.10.2
PTA役員会会議中に容疑者出頭の報が入る。教頭先生ほっとしてます。お疲れさまでした。

2003.10.1
私用で京都日帰り。ダイヤ大幅改正で、のぞみが安くなったのを知らずにひかりでチンタラと京都行き。帰りはのぞみを使いました。品川がどんどん変わっていく。30年前の、あの何もなかった駅を知っている身からは文字通り隔世の感。夕方、教頭より、例の逃走容疑者が身代わり出頭であったと連絡。まさかまだ近所に潜んでいるわけはないが、念のために情報を学校の全保護者へ連絡網で流す。考えてみればこの連絡網を使ったのは今年初めて。緊張感はなかったけどいいテストにはなりました。

2003.9.30
アーユス10周年の集い。やっと10周年。まるまる、茂田理事長を褒めあげる集いになりましたがそこは茂田氏の人格。皆さん、そこそこ楽しんでいただけたのではないでしょうか。あそこで発せられたアーユスへの賛辞、会員に聞かせてやりたい。義理で入っている人も会員であることにもっと喜びをもってもらえると思うんだけど。活動の意義を自会の会員に伝えられない事務局長(俺)って何?

2003.9.29
昨日の事件の容疑者がまだ逃走中のため、児童の登校に注意するようPTA委員へ情報を流す。通学路には先生方も出ていただいてありがたいこと。まもなく容疑者が出頭したとの報にまず安心。本日43歳になりましたです。ますます歳との違和感が広がる。若ぶっているわけではなく、中身が歳に追いつかない。

2003.9.28
近所で事件勃発。一報はPTA委員から。学区内でパトカーが集まって、警察のヘリも飛んでいる。どうもパトカーの追跡を振り切った不審車が自損事故を起こして運転していた男が逃走中とか。PTA委員へ情報を流した後に現場へ向かうがたしかに道路を封鎖して警察官が集まってはいたものの緊張感まったくなし。逃走中の男がいるのに探している風情はない。町はまったく平常。危険性はないと判断してでしょうが、こんなもんなのかな。御門徒の佐藤さんが出演するシャンソンの発表会を覗く。300人程のホールが満席。素人の発表会としては大盛会だがたしかに楽しませるものはある。シャンソンは歌ではあるが歌だけではない。楽しみ楽しませる要素がいろいろある懐深いジャンルということ。

2003.9.27
東京ビハーラ世話人会。種村氏から、ビハーラ建築への僧侶の熱意と意志が伝わってこない、と厳しく指摘される。私が関わる以前の経緯を批判されても答える言葉はないが、気がつけば私も関わりだしてそろそろ一年。批判を受ける資格を得てしまったか。

2003.9.25
アフガニスタンから一時帰国したJVCの谷山氏と会食。痩せてますます精悍となった風貌は仁義に篤い地元民の目からも信頼を得るに違いない。

2003.3.24
「アエラ」での芹沢光治良ファンの熱い記事に誘われて、つい『芹沢光治良文学館』をネットで注文してしまう。本に関して、これいいよぉと言われると取りあえず手に取らずにはいられない私。三島ファンやこち亀ファンと親しくなったらどうしようかと不安。

2003.3.23
9月に入っておそらく初めての秋晴れ。彼岸法要では、白闇にいるかもしれない我々、と話をしたのですがまとまり悪し。

2003.9.22
彼岸のお参りに行く途中、ふと自分のズボンの折り目が二本になっていることに気づく。あーまただ。ズボンプレッサーのせい。ズボンプレッサーって折り目をピッとつけるものと思っていたんですが、違いました。折り目を維持させるものなんです。だから少し折り目が消えかかったズボンをプレッサーにかけると7割の確率で二本のピッとしない折り目が現れます。こんなささいなことで元気がそがれてしまうってのも情けないですが。

2003.9.21
寒い。朝方は短パンTシャツだったのが、ジーパンにはき替え、長袖シャツをはおったのが昼前。だんだん気温が下がっているんじゃないか。寒さ、雨にもかかわらず多くのご参詣ありがとうございます。

2003.9.20
夜、川口中学同窓会役員の懇親会。現川中PTA会長渡辺氏の話題が幅ひろい。地方公務員かつアマチュアボクシングクラブ会長かつ安部公房の弟子。もちろんPTA活動も。その人格にひかれて,氏が師と仰ぐ安部公房の再読を始める。

2003.9.19
寺報ポピンズ発送。さすがに8月号とするのは気が引けたので9月号としました。夜、池袋にて森達也監督『職業欄はエスパー』を観る。ほとんど森氏作品のおっかけ状態。ご本人もおっしゃっている通り、角川文庫版『職業欄はエスパー』の方が数段面白い。この本に描かれる大槻教授の卑劣さは、世間における「超能力」の避けがたい滑稽さの象徴。それが映像化できなかったのが残念。

2003.9.17
築地本願寺にて平和を願う集い。山崎龍明氏の講演では、立場を越えて議論をすることの重要性が指摘される。カテゴライズ化が大好きな現代。皆が被害者意識をもって他カテゴリー村を攻撃している。

2003.9.16
6日のイベントで御協力いただいた映画監督・森達也氏の作品『1999年のよだかの星』を観る。動物実験に関わる人々の例外ない葛藤。決して割り切ることをしない森氏の姿勢がここにも。

2003.9.13
築地本願寺でのがん患者の会、座談会に遅刻して顔を出す。お連れ合いを亡くされた女性の、死後の世界はあるんでしょうか、との問いについ公式回答をしようとしてしまう。聞かれているのはそんなことではないのに。

2003.9.11
昼は第五福竜丸の見学。ビキニ事件に際して、日米和平及び原発開発を望む日本政府が問題化を避けたこと、さらには、補償や風評被害をめぐって市民間で諍いがあったことを当事者より初めて伺う。まんま水俣病とおんなじ構図。
夜は新宿常円寺にて9.11三回忌万灯法要。法要に先立ってのパネルディスカッションでは、若き仏教者たちのしっかりした話し合いが展開する。この一年間の学習の成果を見る思い。

2003.9.10
9.6トークライブのテープ起こしをしていて、自分の欠点に改めて気づいた。私、なーんにも考えずに話し出してる!とりあえず口から言葉を発しながら自分の考えを探して、無理やり引き出しているんだ。だからいっつもダラダラとまとまらないこと夥しい。話しながら自分の言葉に自分で納得したり自分で否定したりしている。非常ーに聞きづらい。てゆーか、何言いたいのかわかんねーよ。少しは考えをまとめてから口に出そうね。時間を埋めるためだけに言葉を出す癖は直そうね。妙に早口かつ語尾不明瞭は相変わらずだし。やっぱり自分のテープ聞き直さなくちゃだめだな。

003.9.8
徒労感はなくても疲労は残る。特に筋肉痛は一日置いて。夜、9.11常円寺の法要のミーティング。こちらはこじんまりとします。が、一応ビラもまくことに。

2003.9.6
平仏集イベント『SOZOフェスタ』。映画『セプテンバー11』上映、長倉洋海氏写真展、イラク+バレスチナ+北朝鮮+韓国+日本の子どもたちの絵画展、NGOのブース、そしてメインはトークライブ『貧困なる我が想像力を嗤う』。映画監督・森達也氏+市民外交センター・上村英明氏+全国青少年教化協議会・神仁氏で司会が私。みなさん、この企画の意図を深く理解してくださり、人と人が生きていく社会のありようを提示してくださった。司会の私が一番の役得。内容の濃さからいって客観的に見て出色の催しだったと思う。入場者が少なかった(150人程度)のが唯一残念だけど、不思議なくらい徒労感がない。満足。

2003.9.5
昼過ぎから青山梅窓院にて6日の平仏集イベント『SOZOフェスタ』準備。及川装飾店に大いにお世話になります。

2003.9.4
地元の中学校と小学校の連絡会に出席。会の趣旨をまるで勘違いした上にまとまらない発言をダラダラとしてしまう。場を読めよ>自分。

2003.9.2
延立寺仏教婦人会。前回例会時に作った廃油石鹸をお持ち帰りいただく。きれいな出来上がり。しかし例会時に歌う仏教讃歌の選択には毎回困ります。どうしても伴奏が必要なので市販されているCDに収録されているの中から選ぶのですが、聞くだけならともかく歌うのは難しい唄ばかり。作曲するときに芸術的になんて意識してしまうんですかね。単純かつキャッチーなメロディの歌が本当に少ない。この原因はたぶん、歌詞がどうしても抽象的になって身が入らないから芸術に流れてしまうですね。賛美歌なんて「神」を「あなた」に替えればただのラブソングだもんね。もっと下世話に攻めるのがいいのでは。

2003.8.31
残暑。暑くなるとてきめんに本堂の仏花のもちが悪くなる。冬場なら二週間くらい平気でシャンとしている菊が、三日でへたってしまう。栄養剤も暑さには効果がない。毎朝水を替えたくらいではだめ。午前と夕方、一日二回替えないと。しかし今年の夏は花代がずいぶん助かりました。ホント。

2003.8.29
子どもの夏休み宿題のひとつが、地元を流れる川口川について何でもいいから調べること。うちでは源流を確認することに。車で15分くらい走り、林間の神社脇を降りたところの小さな湧き水までたどりつく。近場でお手軽ではあるけれど、宿題でもなければ見つけようなんて思わなかった。

2003.8.27
東京教区基幹運動常任委員会会議を箱根で。ここでも研修会の企画会議。研修会がやたら多いんですが、研修って、受けて欲しい人は絶対出てこない。出てくる人は今更研修を受けるより講師になった方がいい人ばかり。これじゃ教団は変わりません。かと言って義務化なんてできないし。じゃあポイント制はどうだろう。なんて考えるのも情けない。

2003.8.26
早朝、石和に戻って布教団研修会の続きと布教団会議。この冬の研修会企画では私の企画があっさり通る。一年半温めてきた、というか寝かされてきた企画がやっと日の目をみます。

2003.8.25
勝沼・専福寺にて布教団研修会。相馬一意師のお話を初めて伺う。聴衆をちゃんと意識した語り口。学会発表でも笑いを取らずにはいられないという姿勢は学ぶところ多し。夜は東京築地にて平仏集会議。その合間に学仏舎懇親会へ顔を出す。学仏舎(学習会)では、「このようななんでも語り合える環境がほしかった」との参加者の声。学生時代はともかくとして、今、自由に語りあうという空間を持つことは確かに至難のこと。

2003.8.22
イッセー尾形の一人芝居を観る。なつかしいネタのセルフカバー版。かつてのイッセー氏は年齢不詳の変幻自在が魅力だったが、現在は演じられる年齢の幅は狭くはなっている。若さゆえの無知の怖さが消えた分、老いゆえの勘違いの怖さは増した。

2003.8.21
教区のビハーラ会議にお邪魔する。タイのプラバートナーンプー(エイズホスピス寺院)へのスタディーツアーを計画。あれがあんまりもてはやされるも困ったもんですが、実践の場を持たない我々が非難するのもおこがましい。

2003.8.20
公営キャンプ場「キャンプ黄金崎」では昨年もお世話になった園内管理の気のいい漁師さんに再会。水は冷たいが子どもたちは全く気にすることなく嬌声をあげる。曇天は日焼けが苦手な私にはなにより。

2003.8.19
友人たち四家族で西伊豆へ。途中、東富士五湖道路では深い霧の中を友人の運転で進む。15m以上先が見えない。遠くない前を走っているはずの車のテールランプも白闇に隠れる。これではスピードなど出せる筈もなく、低速で進んでいる。と思って速度計を見てびっくり。80kmを超えている。まったくその感覚なし。後ろに流れる景色がないところでは速度を捉えることができないのだ。

2003.8.16
町民祭や子ども会のキャンプが方々で予定されているのに今日も雨。にもかかわらず案外決行しているところが多い様子。夏休みは誰も予定が詰まっていて順延は難しいんでしょう。どなた様もご苦労様です。そちらに人を取られて今日の法話会はこじんまりとしてます。山崎龍明師の話は五濁の現代的理解。

2003.8.15
お盆のお参りから車に戻ると後輪の片側が潰れている。空はどしゃぶり。よりによってこんな日のこんな天気にパンクとは。どこか雨を避けられるところはとそろそろと移動して、夏休み中の美容院の軒下を発見。横付けして、なんとかほとんど濡れずにスペアタイアと交換できました。修理に持ち込むとどうも釘がささったまま移動したのがよくなかったようで、修理不能。交換費用4200円はまあ命を預けている部品に対しては安いものですが。しかし寒い。プルオーバーのトレーナーを引っ張り出した。

2003.8.12
築地常例出講終了。お同行の方、特に皆勤してくださった方、まとまらない話で恐縮です。なにとぞこれに懲りずにまたご聴聞ください。聴聞者が少ないことに、本願寺教団の姿勢自体を案ずる声を複数聞く。いやあの、話し手の責任はもちろん大きいので私はあまり言えないのですが、常例法座のスケジュールが築地別院のウェブサイトに載っていないのはやはり問題でしょう。

2003.8.11
夜、産経新聞記者・稲垣真澄氏と会食。近代化を多元的世界の不認化(それはキリスト教社会が持つ統一絶対理論への憧憬)と押さえ、そこへの擦り寄りが難解な仏教哲学を生まざるを得なかったのではという説にうなずく。現在の仏教の大きな瑕疵は「永遠」を見失っていることだとも。

2003.8.10
東京は台風一過。本日より築地別院にて常例布教を勤める。夜、西アフリカのマリ国立舞踊団の公演を八王子いちょうホールにて観る。女性性と男性性を誇張させたダイナミックなステップというか跳躍。都合により悪魔払いの踊りを観ぬまま辞さざるを得なかったのが残念。

2003.8.9
台風による風の唸り。これほどの高なりを聞くのは10年以上ぶりか。雨水を含んだ緑の葉々がアスファルトに敷き詰められていく。

2003.8.8
下北沢にて映画『土徳』を観る。広島の大規模寺院に生まれた監督が、反発して出た寺とそれを囲む町のかつての姿を証言により再現していく。なんだプライベートフィルムじゃないのという肩透かし感が冒頭しばらく。しかしそれを脱するとプライベートゆえの他には見出し得ない一回性の関係が浮かびあがる。これを「普遍」と呼ぼう。深夜、台風が近づく中を帰宅。

2003.8.5
わずか一泊なのに、写真記録係しかしていないのに、疲れましたですサマーキャンプ。その原因の一端は閉会式直後の雷雨による次男潤のパニック。あと30分だったのになあ。まあ昨年からは格段の成長ですので大目に見てください。

2003.8.4
小学生55人を引率して神奈川県愛川へ一泊のサマーキャンプ。フリスビーを使ってのディスクゴルフの後はキャンプファイヤー。はるか昔ボーイスカウト現役の時のネタがまだ生きている。新ネタが欲しいとも思うんだけど、マンネリもまたいい味のようにも思う。

2003.8.3
妙に書斎が片づいている。例によって私の逃避行動の賜物。少なくともこの先一週間、書斎の整理整頓状態は維持されるだろう。

2003.8.1
MacOSXに乗り換えて3日目。安定している。ような気がしたのは最初だけ。今日だけで3回、突然ディスプレイが、ちびまる子ちゃんの血の気が引いたようにグレーになって再起動を促される。これ、なんですか。やっぱりMacはMacってことですか。

2003.7.31
築地本願寺での「同和問題に取り組む宗教教団東京地区連帯会議」の運営委員会を所用のため中座して車に向うと途中で手をふって私を呼ぶ美女。あら〜、マウイ島の曽我久弥香さんじゃありませんか。今年5月に再会した曽我大円氏のお連れ合い。6年ぶり。たまたまお子さんと遊びにきていたところとか。なんとまあ有難い御縁であることよ。

2003.7.30
私的には本日を梅雨明けとします。晴れ。それに誘われて、本日よりデスクトップ、ノート共にパソコンのOSをMacOSXをメインとします。インストールはとっくにしていたんだけど、どうも馴染めずにMacOS9.2のままでいた。乗り換えの直接のきっかけはMacOSX対応のNorton SystemWmrksの購入です。ところがこいつの警告メッセージがやたらうるさいのでOFFにしたまま。なんですかね。MacOSXはまだ何が何処におさまっているのか把握できていませんが、確かに安定はしています。ただひとつ、標準のブラウザー、Safariが延立寺のウェブサイトをちゃんと表示してくれない。なんだよこいつ。

2003.7.29
多摩組内会に一時間遅刻。開会時刻を間違えてました。この日は朝から判断力が鈍くて失敗続き。バイオリズムの底辺の日か。

2003.7.28
愛知国際病院のホスピスを見学する。高い天井、ゆったりした間取り、鏡の位置への配慮など学ぶこと多し。病院臭がまったくしないのはやはり配慮と努力のたまもの。案内してくださった事務局長の高井望氏は場を和ませることにおける魁傑。その人格は施設運営に反映されている。

2003.7.26
バッキー白片メモリアルバンドとフラダンスの夕べ。楽しく過ごしましたが、何より同席したプロのダンサーの表現力には感嘆。踊りというより演劇表現なのですね。フラダンスへの認識を完全に改めました。寺に呼ぼう。

2003.7.24
ビハーラ建築のためのヒアリング。補助を受けるために20床が最低規模と思っていたが、もっと小規模で補助をあてにしない方が現実的なもよう。

2003.7.23
浄土宗西山禅林寺派兵庫支所での教学研修会に出講。テーマは「寺院の社会活動」。受け持ち時間が足りなくなると逆に話を広げてしまう私の悪癖が発揮。まとまらない話で申し訳ございません。いただいた謝礼は全額アーユスへの寄付とさせていただきますので御堪忍ください。

2003.7.21
試験勉強をしているとつい机の中を片づけたり本棚を整理したくなるという逃避行動は今もなお直らない。だから今は私の回りが妙に整頓されております。

2003.7.20
太陽光発電を始めてからずーっと曇天&雨天なんですけど。梅雨だから仕方ありませんが。でも昼間だと雨まじりでも200wくらいは発電してくれます。けなげなやつです。

2003.7.17
なんだかねえ、長崎の事件は犯人と親の問題に帰することができると思うんだけど、小学生監禁事件は心に重い。なんて社会にしちまったんだってね。

2003.7.14
夜、いっしょに風呂に入っていた長男顕が、今日、ゲームを買ってもらうより一億倍うれしいことがあったんだ、と言う。「あゆみお姉ちゃんとなおきお兄ちゃんから誕生日おめでとうって電話がきたんだ。まさか覚えてくれていると思わなかったんで涙がでちゃった。数十秒だったけどすごーくうれしかった」と。あゆみちゃんとなおきくんは顕のいとこで、坊守の実家に遊びに行ったときにはいつも遊んでもらっている。ゲームを買ってもらえないとすぐ大げさに拗ねるこいつの、いい誕生日になりました。

2003.7.13
延立寺盂蘭盆会法要。午前午後ともお蔭様で満席。疲れの残る夜はdorlisの『マーブルの月』と『ひとりごとみたいにアイシテタ』を繰り返し、繰り返し。

2003.7.12
まだ暗闇の早朝、強い雨音の向こうから蜩の鳴き声。今年はじめてで、例年からは10日以上遅い。蜩は晩夏にもの哀しく鳴くものと思っている人が案外多いんだけど、蜩は初夏です。それはともかく。知人の僧侶より長崎幼児殺害事件への感想メールが届く。言っていることはまとも。しかし筆者の人となりを知っている私は抑え難い不快感を覚える。この偉そうな分析と提言をするお前の実践はなんだと。すぐ批判メールを書き上げて送ろうとし、ふと留まった。本人の問題よりも発言のまっとうさを認めてそれに副ってくれよとそそのかす方がよっぽど実があると判断して。やっぱりメールを送るときは一息入れた方が絶対いい。

2003.7.10
本日より延立寺発電所が稼働開始しました。庫裡の屋根の上に据えつけた太陽光パネルの力は8.45Kw。前にも増して晴れの日が好きになる私。

2003.7.8
寺報ポピンズ92号発送。なぜか6月号。

2003.7.6
ターボマウス(トラックボール)の動きが急におかしくなり、カーソルの垂直移動はできるが水平移動ができなくなった。ボールを外してベアリング部を見てみても特に異状は認められない。5年以上使ったので寿命かなあ、と新品を購入する。新型はUSBにも対応しているしいい機会かと思って。しかしこれの動きが不満。おそらくはポールの質量ゆえと思うのだが。やはり前に使っていた奴を復活させようと念入りに掃除してみたところ、正常に作動するようになってくれました。この感触、手放せない。名器です。

2003.7.4
僧侶研修会三日目。季平博昭師に、同朋三者懇談会での課題をもとに浄土から問われるものを講じていただく。質疑応答では師の往生観への疑問がだされる。疑問というより曽我量深の言説を持ち出したことへの反発。それ自体が我々の不自由さのあらわれという季平師と言葉が通じていない。

2003.7.3
僧侶研修会二日目。中堂幸政師による、三大一神教を中心とした世界情勢講義。講義も面白いが、控室のしゃべりはその三倍熱が入っている。こんどは控室からの中継にしましょうか。夜はアーユスのスタッフミーティング。

2003.7.2
東京教区夏期僧侶研修会一日目。瓜生津隆真師による化身土巻の講義。浄土が指し示すものは比較を離れた世界。念仏が一番優れている、というのではない。念仏しかない、のですよ。夜は小P連ブロック長会議。

2003.7.1
陶鎔小での地区班と緊急連絡網の整備について担当の先生方とミーティング。ここで互いの認識の違いや学校側の取り組みについて初めて明確になったことがいくつか。思えば、今まで先生方と連絡をとっていると思っていたのは、先生方と言うより教頭一人でした。もっと一般教諭と話し合う機会を作る必要がある。と今になって気づくなんて。

2003.6.30
ビハーラ建設委員会。つい理念構築に多く時間を取ってしまうのは、建設という現実への怖れからの逃避という面は少しはあると思う。でもね、進めますよ。建設へ向けて。

2003.6.29
本堂の屋根の下で生まれ育ったツバメが4羽とも無事飛び立っていった。途中蛇に狙われることもありながらそれを阻止した親ツバメの奮闘もありました。鳥の子育ては愛情じゃなくて本能だというけれど、それなら本能って本当に美しい。

2003.6.28
陶鎔小PTA主催で志茂田景樹氏を迎えての読み聞かせの会。スライドを使う関係で場内を暗くしたために全身で語る志茂田の姿が見えない。スポットを一本用意しておくべきでした。経験しなければ分からないもの。夜は地区小学校の校長・教頭・PTA会長の懇談会。陶鎔小の須長校長はここでも話が本当に長い。まあみんな笑って聞いていただいているのは(双方の)人徳と言う以外にない。

2003.6.27
平和を学び・考え・願う青年仏教者の集いの連続研修会最終回。阿満利麿氏の講演とワークショップ。エンゲージド・ブディズムの日本での可能性はアーユスにある。のか?ワークショップは昨日と同じく平和をテーマとしたもの。最初の導入で、自己紹介した後にそのイメージをもとにもし外国人だったらどこの人?というゲーム。私はインド人と中国人のハーフだと。納得できないでもない。

2003.6.26
アーユス総会。総会記念に今回は平和を考えるワークショップを行なう。ひとつの命題について賛成、どちらかと言えば賛成、どちらかと言えば反対、反対に部屋の四隅に分かれるゲームでは他の参加者の多くがはっきり割り切るのに私はどちらかと言えばのあたりでぐずぐずしている。パレスチナでの人間の楯の評価についても、両端の意見がかみ合いながらかわされるのがとても有難かった。

2003.6.25
今月末はいろいろな総会を含めて会議がやたら多い。また同じ顔ぶれが多いもんだから・・・なんだかなあ。今日は築地別院二法要会議、教区基幹運動第一部会、小P連本部会議。

2003.6.24
午前から布教団役員会、伝道資料センター監査、布教団基幹運動研修会の後アーユスミーティング。

2003.6.21
延立寺法話会。講師は白川淳敬師。写真を撮るときに、そのままそのまま、と言われてもつい構えて不自然な写真のできあがり。呼び声に従わない私たちの滑稽な哀しさ。

2003.6.20
アーユス、多摩組都市開教委員会、平仏集と会議のはしご。平仏集では9月の集会をフェスタ風に構成することとして準備を進める。仏教者としてのメッセージをどこでどういう形で打ち出すかがまだまだ課題。

2003.6.18
小P連未加盟校への説明会。私は小P連役員として参加を促す立場。御参加いただいた方から、小P連参加以前に、PTA結成に非協力というよりはっきり妨害する教頭との闘いを聞く。明確な敵がいるというのも昨今貴重なことです。怒りとともにやる気をおこさせてくれるバカには感謝をしなければ。

2003.6.17
子どもの授業参観に行く。これ、学校での子どもの様子を見に行くものと思っていたが、先生の授業内容や学級経営を見るものでもあったとようやく気づいた。今回は特に(学校選択制を踏まえての)学校公開も兼ねていたし。だからと言って授業への意見が言えるかというとなかなか。遠慮する性格ではないのですが。

2003.6.15
八王子マジックグループの発表会を覗く。人前で演技をする時の第一の目的は技術の披露ではない。とにかく楽しませること。そして観客が楽しむ度合いは実は演技者の技術度とは必ずしも比例しない。もちろんそのことが分かるということ自体が「技術」であるわけですが。

2003.6.12
今年も消防団操法訓練の季節。秒数を競うことはつまり一連の動作を頭ではなく体で反応させること。操作を体に覚えさせることが火災現場で生きる、というのは分からないでもない。選手の方たちの努力や達成にも心底敬意を覚える。がしかししかししかし、、、これどう考えても無駄ですよ。ここにかけられる多大の労力を現実的な防災に向けようよ。

2003.6.10
本屋で本と一緒にもらう広告類。その「私もこれで成功しました!」の写真に見覚えのある顔を発見。名前を確認するとまさしく彼女、5年前まで某NGOの職員だった人です。速読のおかげで事務職から病院の療術担当に転職できたって。この手の広告は架空の作り物ばかりだと思っていたらそうでもないらしい。しかしこれを見てアーユスの職員が速読を始めるとまずいな。

2003.6.9
ついついネットオークションでまたスピーカーを買ってしまった。タイムドメインのYoshii9。中古で格安だったが極めて状態よし。出品者のタニヤマムセンさんの応対も私のネットオークション史上類のない誠実さでした。音は押しつけがましさのまったくない育ちの良さが光ります。明らかにロック向きではないので現在使っている二組、長岡D-55と加藤紙筒とは住み分け可能。それほど邪魔じゃないし。この三組ともがフルレンジ一発(D-55にはツイーターを追加したけど)なのは偶然じゃない。

2003.6.8
朝起きると瞼が二重。二日酔いはしていない。でも確かに疲れてはいる。その原因が思い当たらないんだけど、しかしなんで疲れたときって二重になるんでしょう。

2003.6.7
渋谷にて神代高校のクラス会。意識的に酒量を控えたことが功を奏して最後までの記憶がかろうじて残っている。毎年やってるクラス会。もう完全に惰性なんですけど、惰性が貴重ということも確かにあります。続けられる環境や関係という大きな財産。

2003.6.6
築地本願寺ビハーラケア研で「看護論」の感想会。どうしても言葉の定義で躓く悪癖が我々僧侶からは抜けきれない。言葉を正確に使うのが大切なのは言うまでもない。だけどずれている。

2003.6.5
元朝日新聞記者、菅原伸郎氏の退職慰労会。菅原氏が玉城康四郎氏を取材した時のこと。70歳で著した自著をあのころは何も分かっていなかったと切って捨て、それ以前、大学で教鞭をとっていた時の自分など全然ダメと全否定してみせた。現在仏教学の泰斗となっている教え子たちの立場はどうなるの。しかし仏教者らしいといえばらしい、嬉しい話。

2003.6.4
陶鎔小学校の授業「地域探検」で、2年生2クラスが来寺。本堂でお寺とは、仏さまとは、とお話をして質問を受けた。でも、小2の子にいったい何を話せるのか。先生からは、先生以外の人に質問する貴重な機会でしたと言っていただけたけど。

2003.6.3
延立寺旅行会。初めての日帰り旅行は甲斐。塩山でのさくらんぼ狩り、恵林寺、富士也ホテル、甲斐善光寺、モンデワイン。これで会費8.500円では、旅行代理店の儲けなんてないんじゃないの?との声。違うのよ、会費で賄えない分は寺が負担しているんだけど、どうもそういう方向へは考えていただけないらしい。業者いじめはしてませんよー。

2003.5.31
法事をすませた後、台風の中を築地へ向い、少年連盟の研修会でマジシャン黒崎正博氏のレクチャーを受ける。マジックにおけるタネのウェイトは1割にも満たない。現象をどれだけふくらませるかのカギはほぼすべて演出にかかっている。つまりそれは人間をどれだけ知るかということ。

2003.5.30
隣の学区域、というより姉の隣家で母親が三歳の長女を絞殺する事件が起こる。小学生の長男・次男をもつ彼女にいったい何があったのか。家族成員それぞれのそれぞれなりの苦を思い、ただ・・・・・・

2003.5.29
早朝より千葉県蘇我にて富田富士也氏主催のカウンセリング研修会へ。三重、新潟、富山、広島、大分、山梨、千葉、東京と全国から集まった研修生とのワークショップは本を読んだだけでは絶対に深まることのない振り返りを恵んでくれる。贅沢とも言えるひとときをありがとうございました。知らずに疲労も霧散しました。夜は弁護士大山勇一氏による「軍隊のない国・コスタリカ」のレクチャー。かの国の実践はこの国にどれだけ置き換え可能か。

2003.5.28
母方の祖母の葬式で福島富岡へ。曽孫代表として長男顕を学校を休ませて同行させる。彼にとって生身の肉体が釜に入り焼骨になる様を見るのは初めてのこと。考えること大の様子をうかがえただけでも連れていった意味があった。しかし帰宅して襲われた、最近記憶にないくらいの疲労困憊の原因はなんだろう。

2003.5.26
書かなくてはいけない原稿が5つ。うち一つは締切を一週間過ぎている。のに催促がこない。ああ、もうあてにされていないんだなあしょうがないよなあなんて拗ねている暇があったらさっさと書けよ迷惑なんだよ>自分。

2003.5.24
陶鎔小運動会。自閉症の次男がただ、みんなについて同じ動きをしているのを見るだけでウルリとくる。彼のシャツを引っ張りながら定位置につかせてくれるクラスメートにもただ感謝。いやあこれだけのことで感動できるとはお得かもしれない。

2003.5.22
ビハーラ実践者研修会で電話カウンセリングの姿勢について学ぶ。カウンセリングでは、聞くのが90%、アドバイスをするのが10%くらいの割合でいい。聞く技術がないなら、黙って聞く。聞く技術があるなら、やっぱり黙って聞くのだと。聞くことの豊かさをどれだけ信頼できるかが試されているようだ。

2003.5.17
陶鎔PTA旧役員慰労&新役員懇親会。やる気があって気持ちもいい人がよく集まってくれたものと感謝。歓談の中にいろいろいい提案やアイデアが出た。ような気がする。しかし例によって途中から泥酔して記憶なし。

2003.5.16
バスケットのゴールを買ってしまったよー。息子がバスケットをしたいと言い出したから、というのは口実。欲しかったのよ。邪魔になることは充分承知でいそいそと組み立て終了。予想以上に頑丈なそれは重くて一人では立てられない・・・。のは、底部が軽すぎたからで、説明書通り底部に水をたっぷりいれて安定したそれは堂々たる体躯で立ち上がる。予想通りに邪魔。でもいいんだ。

2003.5.14
八王子南大沢の法務局へ印鑑証明を取りに行く。車は向いのイトーヨーカドーへ。2000円買い物をすれば駐車料金がタダになるので。しかし特に欲しいものがないときの2000円はなかなか使いきれない。なにか買うものはないかと店内を回ること30分、結局コーヒー豆と料理用ワインを買ってやっと2000円クリア。これだけ時間等々を費やすなら駐車料240円払ってすぐ出た方が得だった。いったい何やってんだ俺は。

2003.5.13
アーユス理事会。今年募集するNGO人材支援のテーマがやっと決まる。長い会議だったが疲れが少ないのは理事メンバーの人格による。有難い人たちが集まってくれたもの。アーユスの財産。

2003.5.11
延立寺降誕会・永代経法要。記念講演に元朝日新聞記者の菅原伸郎氏。工藤直子氏の詩を手がかりに、如来の呼び声の形を解いてくださった。さすが記者、言葉の響きへの反応が敏です。後のアトラクション、丸田美樹氏の琴には本当にこの楽器への認識を変えさせられました。一音一音の厚いこと。繊細な余韻の長いこと。それが織り成す曲世界はまさに立体のドラマ。古典・新作ともに自分が琴に持っていたイメージはなんて狭小だったのだろう。もっともっと聴こう。

2003.5.7
夕方「北朝鮮に拉致された日本人・家族を救出するぞ! 第5回国民大集会」に入場しようと会場の東京フォーラムに向かう。入口前に人だかり、既に満席で入れないとのこと。後で聞くと5時に並んだ人も入場できなかったそうだから開演時間間近に到着した自分は待たされなかっただけでもよしとしする。空いた時間で映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』を観る。ドキュメンタリーなのに2時間まったく飽きさせない。アメリカ人の攻撃性は自信の無さの裏返しであることがよくわかる。監督である才人マイケル・ムーアのようなアメリカ人がちゃんと仕事をして、アカデミー賞まで取ってしまうところなどアメリカはまだまだ健全です。たとえそれがガス抜きを意図していたとしても。

2003.5.6
延立寺降誕会にむけてのおみがき。お蔭様で真鍮が一皮むけて明るい輝きが戻りました。後の婦人会の法話では「世間に抱く関心は必ず自己中心の善悪による関心である」という言葉の解説に毎日記者爆発事件を例に出したがあまり共感を得られなかった。自分は絶対にしないと思っていることも状況でしてしてしまうことがある、と語ったことが毎日記者の擁護や減免を企図したものと取られたようだが、両者は別。自分にもありえると省みることと他の罪を問うことは両立する。

2003.5.5
ハワイで開教師をしている友人が仕事で東京に寄ると連絡が入った。夜池袋のマレーシア料理屋にて彼の若き友人とともに飲む。5年ぶりの再会。無理のないオープンハートな佇まいは生来というよりハワイで培われたものと見た。しかし集まったのが美女揃いというのはどういうことだ。

2003.5.2
夜、築地本願寺にてマーガレット・ニューマンの看護論を学ぶ。プロセスを重視し、患者とのパートナーシップにより人生を「クリエイト」していく手法は仏教を聞き慣れた者には馴染みやすい。がそれと実践とは別。

2003.5.1
陶鎔小学校PTA総会。シャンシャンと終了。何か問題を抱えている時は質問は怖いものだが、特に弱みのない今回は質問がないのが不満だったりする。勝手です。夜は小P連役員会。私がここに座っていようとは3日前まで想像もしていなかった。

2003.4.29
朝から下痢。思い当たるのは昨日の夜酒のつまみに切ったハム。これは冷蔵庫の奥に忘れられていた一品で、賞味期限は00.12.20とある。2年以上も過ぎているが真空パックされていて見た目も匂いも味もまったく問題ない。のは、開けたての時であって、実は昨夜食べた奴はパックを開けてから2週間たったしろもの。一応火は入れたんだけどやっぱりダメだったか。でも、軽い下痢は腹の中を掃除しているようで実は嫌いじゃない。

2003.4.28
朝刊で八王子市議選の結果を知る。頼むと声をかけられた何人かのうち2人が落選。今回の選挙では個人的知り合いが何人も立候補して応対に少々困ることもありましたです。そういう歳になったというだけですが。地方の選挙を見ると、候補者一本化に失敗して民意が反映出来ない例がいくつも。なにやってんだか。

2003.4.25
神保町の東京特価書籍で『合唱名曲大系』CDセットと『大系 日本の伝統音楽』CDセットを購入。前者は定価138000円、後者は定価148000円のところ、それぞれ9800円。まだ少し在庫が残っていたので、少しでも興味のある方はお求めになることをお薦めします。もう、ぜえーーーったいに、安い。なんだか、RCD-971(ゴトウチューニング)を買って以来、今まであまり興味のなかった分野の音楽にも触手を伸ばしたりして。またそれがアタリだったりするのですよ。

2003.4.24
平仏集学習会で未来バンクの田中優氏の話を聞く。グローバリゼーションの流れが戦争の一因となったのは事実だが実はグローバリゼーションを進める勢力と戦争遂行を進めた勢力は同一ではなく、現況では対立さえしている。武器を売った時点でグローバル企業の目的は達せたのであってそれ以降の反米感情ははっきり経済的にはマイナスになっている。にもかかわらず戦争を望んだ者の思惑を伺うキーワードはエコ・カネ・軍需。物質的のみならず精神的にそれらの支配下にある我々。さて、それを崩す方向を示す一翼を仏教者が担えるか。

2003.4.23
15年使っていたCDプレーヤー、marantzCD-880の回転が不安定なので修理に出したところ、もう部品がないという。15年前だもんね。では代替にと選んだのがROTELのRCD-971。これを名古屋のゴトウ総合音響でチューンアップしたやつは、10万円を切る値段ながら、艶やかにして繊細にして腰は太く確か。良い買い物をした。

2003.4.21
充分飲んだ後に渋谷「花のえん(元じょあん)」へ行くと、運営会議中。ずうずうしくも同席し、酔った勢いで意見しただけでなく出席者を罵倒。すぐに謝りましたが、あー、いったい俺、なにしてんだろう。

2003.4.19
「平和を学び・考え・願う青年仏教者の集い(平仏集)」主催の緊急トーク集会。講師にJVC(日本国際ボランティアセンター)の熊岡氏を迎えて、東アジアの安全保障について語り合う。朝鮮有事への安全保障のためにイラクへの攻撃を認めるという政府や世論へ否というための理論構築。実状を無視しても勇ましいことを言った方がウケる世情を懸念する。

2003.4.14
京都興正会館にてAYUSの合宿研修会。フィリピンのスモーキーバレー、京都東北部のクリーンセンター建設問題、大阪淀川浄化活動を聞く。クリーンセンター問題に関わってきた岸野亮淳師のたたずまいの良さにほれぼれ。夜は岸野師ともども例によって泥酔。たぶん余計な約束は引き受けていないと思う。が、記憶がない。

2003.4.13
都知事選。石原都知事は八王子小児病院存続を求める声を地域エゴと言い放った。府中にセンター施設を作ることに誰も反対などしていない。それがなぜ八王子小児病院廃止につながるのか分からないと言っているだけ。石原氏は小児医療の実態を知らないだけでなく、言葉の使い方も知らない人だ。

2003.4.12
夜、東京ビハーラの総会に出席。東京ビハーラではビハーラ病棟の建設に動いているが、どうも僧侶とそれ以外の方との間に溝を感じる。これまでずーっと動かないできた僧侶の姿勢にいいかげん匙を投げたということでしょう。理念の共有が大事と話をしても、また先伸ばしの言い訳か、と不信感を隠していない。今までの経緯から仕方ないとはいえ、さて、どう進みましょうか。

2003.4.9
全国青少年教化協議会のプログラムオフィサー、神仁(じんひとし)氏にインタビュー。静かな語り口に強固な志。非僧非俗を実践しているような。夜は平仏集ミーティング。夜帰宅してバクダッド陥落の報を聞く。

2003.4.8
花まつり。八王子仏教協会では恒例の記念法要と八王子エルシイの厚意による100円カレー。恒例なのですが、あまりにもエルシイに甘えすぎのような気がする。

2003.4.7
陶鎔小学校入学式でPTA会長として小ネタで御機嫌伺い。この日、教頭先生に異動があったことを知る。あらら。PTA活動上で前教頭と相談途中だった件もあったのが、計画変更もありえるかもしれない。4月1日以前には公表できない決まりとはいえ、ちょっと困った。

2003.4.6
結婚記念日ということで八王子鮨玄へ。どのネタも満足できた中で絶品が鯨のベーコン。昔おやつに食べていたあの歯ごたえある油くささも私大好きなのですが、今日出されたこの品のある甘さは初体験。酒も二人で一升以上開けたけど、まったく後に残らない。

2003.4.5
芝組連研にて先月に続き「現世利益」をテーマに講師をつとめる。「祈り」が願望をかなえるための道具であるなら、もしそれが戦争を止めさせるためだとしてもかえって害毒となる。祈りは道具ではなくて、立ち上がりの根拠。それは自分をいたずらな絶望に遊ばせないはたらきを持つ。

2003.4.2
花まつりの花御堂を出す。昨年この雑記に「甘茶がどこにも売っていない」と書いたところ、わざわざ電話で甘茶を扱っているお茶屋さんを紹介してくださる方があった。ありがとうございました。お蔭様で御紹介頂いた美好園にて購入することができました。ネットって有難いですねー。

2003.4.1
「平和を祈念する宗教者の集い」に参加。祈りで平和が来たためしはありません。読経や祈りも平和を呼び込む道具ではありませんので。手段としての読経ではもちろんなく、立ち位置の確認として、そして立ち上がりの促しとして読経はあるのでしょう。でも集会の最後にシュプレヒコールがありましたけど、これ、強烈な違和感がありましたねー。われわれなりの言葉を早急に探さなければ。

2003.3.30
陶鎔サタデイコミュニティの運営資金捻出のためのバザー。10時から1時の予定が、めぼしいものはすぐに売れて、開始一時間後には早くも大幅に値下げとする。3時間は長かった。11時から1時まででいいと思う。用意したカレー、豚汁ともに完売、大成功でしたね。断食も三日間水とお茶だけで特に苦もなく完了。これじゃぜんぜん苦を共にしたことになりません。断食明けの初食事はPTA本部特製の豚汁でした。

2003.3.27
平仏集の仲間と、戦争の苦をほんの少しでも同担するため、そして戦争への抗議の意も含めてのリレー断食を始める。戦闘開始の20日午前11時半から断食を続けてきた全青協の神仁氏から引き継いで、私は27日午前11時半から断食に入る。夜は陶鎔小学校運営連絡協議会に出席。集りが悪いのは、特に総括の必要のない任期最終回だから仕方ない。

2003.3.26
「平和を学び・考え・願う青年仏教者の集い(平仏集)」学習会で蓮見博昭氏よりアメリカにおけるキリスト教事情を伺う。米メディアとの関係やブッシュの信仰構造も伺う予定だったが時間が足らず。残念。

2003.3.24
陶鎔小学校卒業式。在校生と卒業生の対面式というのはなんだか緊張感をそぐような気がしますね。卒業生を真ん中にして彼らを主役にたてまつるような形式にした方が盛り上がりはあると思いますよ。

2003.3.20
米英軍、イラク攻撃開始を彼岸回りの車中のラジオで聞く。よりによって彼岸中に。

2003.3.15
寺報ポピンズ発送。

2003.3.12
AYUS理事会。来年度の支援テーマを検討。

2003.3.10
AYUSが人材支援をしているNGOの事務所訪問で大阪へ。民権協の事務所は鶴橋。東京ではもうお目にかかれない凝縮された商店街は迷い込んだら抜けられそうにない不安は感じさせるものの購買意欲をそそらせる力がある。とんぼ返りで八王子で通夜。風邪をまたこじらせた。

2003.3.8
野音集会を気にしながら築地本願寺での雅楽演奏会準備。会場一時間以上前から来客があり、開演時はほぼ満堂の盛会。野音帰りと見られるバッチを胸につけた人もいる。

2003.3.6
AYUSミーティングの後、内藤陽介氏を招いての勉強会。郵便学を専攻する氏の繰り出す中東話にただ乗せられる。勉強の楽しさを満喫しながら酒が進むこと。ひっさびさの終電にての帰宅。手帳のこの日の欄には電車の中で書いたらしいのたくったメモ。いったい私は何を書き残そうとしたのでしょうか。

2003.3.5
6月に予定している延立寺旅行会の実踏。やはり足でたどってみないと分からないこともあることを実感。今まで旅行会に下見なしで挑んでしたのはなんと無責任だったかと反省。

2003.3.4
築地本願寺にて青年布教使研修会。新しい伝道の試みを発表する会だったはずが・・・見事にみなさん枠の中におさまって、全然新しくない。新しいことがいいことだと言うわけではないが、新しいことをしましょう、という思いがあったのだから、少しは破綻してもいいんじゃないの。

2003.3.1
芝組連続研修会にて「現世利益」をテーマに講師。真宗には現世利益はあります。まんまんなかに。

2003.2.28
マニラ市内のスペイン時代の遺産を見学。世界遺産の教会では髑髏を手にほほえむ女性の絵。宗教美術は苦を実に写実的に表わす。仏教にそれが全くなかった。地獄絵だって幽霊図だって様式化されているし。写実という手法がなかったというわけじゃないでしょうし。午後飛行機に乗り込むが機体に異常があったためと降ろされる。おいおい、明日法事があるんだけどなー、なんとか2時間遅れで飛んでくれました。

2003.2.27
バターン死の行進の記念館へ行く。非常ーにあっさりとしたもの。これ、韓国なら間違いなく蝋人形で苦悶の捕虜と足下には累々たる死体・・・という展示になるでしょうが。国民性の違いというのは確かにあると思う。

2003.2.26
昼過ぎまでパヤタスの家庭訪問。奨学金で大学進学が決った少女の家はトイレもないけれど希望に溢れている。次にお邪魔した家の壁には息子の学校卒業時の凛々しい写真。しかしその彼は今、学校を中退してゴミ捨て場でアイスキャンディーを売っている。表情は非常に暗い。

2003.2.25
終日パヤタス。午前は広大なゴミ捨て場へ。腐ったスグキのような臭いがただようが耐え難いほどではない。入場が禁止されているはずの10歳くらいの少年が器用に手鍵を使って目当てのゴミを分別していく。ゴミ処理は雇用創出にはなっているのだが、環境は劣悪。少々収入が下がっても別の仕事があればそちらを選ぶという現地の方の声にも納得。午後は手芸の作業所へ。

2003.2.24
成田からフィリピンへ飛ぶ。支援をしているパヤタスの作業所の人たちとの交流のため。宿舎にて現地で活動をしているNGO、ICANの伊藤氏よりレクチャー。

2003.2.19〜20
東京教区基幹運動推進委員会役職者合同協議会。今年は会場が築地本願寺。委員の任期がこの3月で切れるため、任期中の総括の趣。になればそれはそれでいいんだけど、そうでもない。振かえりはあるのだけれどその分析がない。

2003.2.17
陶鎔小学校サタデイコミュニティ会議。地域の方達に月一回御指導いただくのは有難いのですが、月一回ということが指導の足かせになっているとのこと。もっと回数が増えてちゃんと教えることができれば、児童の方も興味も深まるし技能も伸びる。今のペースでは面白くなるまで教えられないとか。そうだろうなあとは思う。

2003.2.15
延立寺法話会の今日の講師は山崎龍明師。余談で紹介された西本願寺関係の某学校教師の話に唖然。受験の生徒へ配ったプリントには、生徒のために合格祈願へ行ったこと、それを御丁寧に「他力本願ですが」などと自嘲してみせる。プリントを受け取った生徒が呆れていたというのがまあ救いではあります。

2003.2.13
新郎・新婦がともに友人の結婚披露宴に出席。新郎・新婦ともになかなかの芸達者でちゃんとウケ場も作る。やはり人を招く以上は、客を楽しませる工夫をするのが礼儀です。今日はいい一夜でした。

2003.2.11
町田の教会での信教の自由を守る集いに講師として伺う。テーマは国立追悼施設問題。ただ現状を整理しただけだが、とても熱心に聞いてくださる。追悼施設は左右、保守革新の枠組みが無効になったことが端的に現れる興味深い課題です。この日の話では私は千鳥が淵拡張の可能性を否定しましたが、やはりこの方向の方が現実的かもしれない。

2003.2.7
八王子市仏教協会涅槃会。いちょうホールはほぼ7割の入り。成功と言っていいでしょうが、しかし金だけ出してあとは一切協力しようとしない加盟寺院の様子、それに危機感も羞恥心もうかがえないというのは寂しいというか情けないというか。

2003.2.5
築地本願寺にて冬期僧侶研修会。テーマは「自殺」。あしなが育英会職員の西田正弘氏と日本いのちの電話の斎藤友紀雄氏の話を聞く。西田氏の話に涙。斎藤氏は自殺予防を危機管理の観点から考える。日本ではまだ危機管理を寝た子を起こさないことと考える。それは往々にして危機をないものしてと考える方向へ行きがち。

2003.2.2
延立寺役員会にて門信徒会決算報告。今年度活動計画では例年の一泊旅行を近場の日帰りで試みることに。6月3日です。

2003.1.31
ビハーラ協議会。「人の話をちゃんと聞ける僧侶がいてほしい。『答』はいらない。相手の心なんて分からなくていい。ただ相手に関心をもって、ちゃんと話を聞ける僧侶がいてほしい」批判と期待とを言ってくださる。ありがたい。

2003.1.28
教区の法中新年会で中西智海師の記念講演を聞く。最近中西師の話を聞く機会が多い。この日も変わらぬ熱弁。「田中耕一氏の発見の元となったのは『もったいない』という心」とか。うーん、田中さんらしい素朴な話だけど、寺の本堂でしてしまうとちょっとクサくなる話ではある。

2003.1.27
前日に鬼怒川入りし、朝から門徒研修会の講師を務める。講題は「環境問題の現状と課題」。この話題はむしろ参加者の方が興味深い情報を持っている。勉強させていただきました。
夜はAライフデザインの伊藤喜代次氏の講演を聞く。地域の範囲で活動せざるをえない企業の姿勢は、客と生涯を通じていかにつきあえるかにかかっている。キーワードはパートナーシップ。

2003.1.25
またまたネットオークションでナカミチのカセットデッキ購入。中古でそれなりにヘタってはいるものの定価9万円を送料込み9千円はいい買い物でした。

2003.1.22
防衛大学教授・立山良司氏を迎えて若手僧侶の勉強会。テーマは「パレスチナとイスラエル」。五年前にはまったく参加者が見込めなかったこのテーマに、部屋いっぱいの参加者。いいんだか悪いんだか。

2003.1.19
自坊での法事の後、多摩組仏教壮年会、多摩組連続研修会。講師の中西智海師の熱弁に圧倒される。夜は八王子仏教協会新年会。涅槃会への動員に力が感じられない。自前のイベントへの集客に無関心な人が多いのはなぜ?

2003.1.17
東京教区基幹運動常任委員会。来年度の方向を協議。夜はPTAのブロック会議。

2003.1.13
石井めぐみ講演会を坊守が聞いてきた。今、身体になんらかの障害を負って生まれてくる子どもは20人に一人の割合とか。でも街で見かける障害者は圧倒的に少数。調布や多摩はまだ障害者が外に出やすい環境があるというのが石井氏の印象。目に触れる機会が少ないうちはなかなか慣れるのも難しい。

2003.1.10
ネットオークションにはまりつつある日々。今日は前々から欲しかった臼と杵を落札。しかしすぐに届いたそれはくりぬき部分があまりに浅い。写真ではまともな臼に見えたのですが・・・まだまだネット購入は難しい。

2003.1.10
ビハーラ建設に向けての会議にて、現在運営中のホスピスの視察報告を聞く。その何れとも違う、浄土真宗のビハーラを目指す。

2003.1.8
野菜作りをしている安田さん来寺。「輸入作物って安全性に疑問があることはよく言われますが、現地の貴重な水を搾取している面もあるんですよね」。全く思ってもいなかった指摘。

2003.1.7
ネットオークションで落札したチューナーが届く。みると脚が4つとも外されている。おいおい、さっそくメールで問い合わせると「中古で入手したときから外されていたので気づかなかった」だと。いくつもオーディオ機器をオークションに出品している人間が何を言っているか。即、「悪い」出品者と評価したところ、相手からも「悪い」落札者とのお返し。そりゃそうだ。ここはまず返金を要求すべきところ。実を取ることを考えず感情に走って失敗したなり。

2003.1.4
新聞の広告に紙を商う紙舗直の坂本直昭氏が紹介されていた。「紙に目利きはいらない、触れば確実、どちらが本物の手漉き紙でどちらが手漉き風か、初めての人でもピタリと言い当てる。紙とはそういうものです」とのこと。そして、「ただ必要なのは、本物の存在を知ること」。これはそのまま宗教にも言えはしないか。

2003.1.1
忘年会の酒が残る早朝、不安とともに外を見ると天気予報は無事外れて雪はなし。曇天ですが上々の年の始まり。

 

住職雑記2002
住職雑記2001

他力本願に生きる寺・延立寺
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