住職雑記

最近見聞き考えたことなど



2002.12.28
年賀状をやっと発送。今年も長田弘の詩を借用。

2002.12.24
小学校で初めての試みである、集団下校。今は各家庭の生活形態が多用なため、昼間に連絡網を回すことは非常に困難になってしまった。緊急時のための訓練であっても不満が聞える。しかし当日は迷惑だと訴える保護者の数は(少なくとも表面的には)ただ一件、予想より少なく、むしろ協力者がめだったことを喜ぼう。

2002.12.22
八王子市民会館にて八王子北ロータリー主催によるコンサート。前日の雪の予報には頭を抱えたが当日はなんとか曇天で納まる。しかし片倉高校のパフォーマンスには仰天。彼らは人前で何かをすることの責任というものをはっきりと認識している。人の胸を打つのは何よりも伝達の意思の存在だ。

2002.12.20
来秋に創刊を考えている施本のインタビュー記事のために阿満利麿氏宅へ。寺を嫌悪し寺を出た氏が、今は状況が変わっていない事を認めながらも期待を持つに到ったとのこと。全部がいっぺんに良くなる必要など全くない。ほんの一つ二つしっかりした寺がある時期づつリレーのように現れるだけでも仏教界は変わりうる、という期待は私にとっても希望の光。

2002.12.17
戸部けいこ『光とともに・・・』(秋田書店)をやっと見つける。朝日新聞の影響大、と思ったらけっこうその前に版を重ねているのですね。自閉症児の親だけが買っていたのならこんなに売れていないだろから、世間では自閉症への理解が広まっていると考えていいのかしらん。でもこの作品をマンガ好きな私が知ったのが朝日の記事だったのだから、売れているといっても知れているか。

2002.12.16
陶鎔小学校運営委員会。話し合いの中でPTA(本部)の姿勢が全く見えない、との批判を受けて少々むきになって反論してしまった。私の理解するところでは現在のPTAは保護者たちをまとめあげたりリードしていくところではない。

2002.12.13
築地本願寺で長倉洋海氏を迎えて「平和を学び考え願う仏教者の集い」学習会。9.11の二日前に暗殺されたマスードと長い親交を持ちながらアフガニスタンを見続けてきた長倉氏が伝える民衆像はリアリティに満ちる。北部同盟の姿も、マスコミが伝えるそれはなんと一面的なことか。

2002.12.7
PTAの行事で餅つき。冷たい雨が降る中、三つの臼を使う三つ並べると臼の良し悪しも分かります。臼を購入するときはやはり実物を見ないとダメかもしれない。

2002.12.6
京都のJAZZ喫茶YAMATOYAのご主人の個展が六本木で。実用になる焼物はすでに多くが売却済みで展示はさっぱりした印象。手に馴染むぐい呑みを一つ購入。

2002.12.4
ビハーラの打合せ。真宗の価値観を前面に打ち出した、全国初のビハーラの具体的な建設へ動き出しました。

2002.12.2〜3
AYUSのスタッフと出雲へ。出雲大社の静かなたたずまいも良かったが、収穫の第一は島根県立美術館での奈良原一高展。北海道の修道士たちや女子刑務所の材にとった「王国」と題する一連の作品は清冽な寡黙さが印象強い作品。これを見ただけでも島根に来たかいがあった。宍道湖をはさみ夕日を望む立地も見事。収蔵品、展示にそったガイドなど非常に心地よい。島根人の民度の高さを示す処。

2002.11.30
愛すべき後輩の結婚披露宴。箱崎にあるそのホテルは宴会の従業員が揃って緊張感がない。だらだらと、とは言わないが仕事の合間に従業員どうしがそこかしこで私語をかわしている。それがあまりに自然なのでこちらも気が抜ける。そうやって客をリラックスさせるのが目的なのか?これはこれで楽しかったですよ。

2002.11.27
15〜6年前に結構通っていた西麻布の喰屋堂へ久々に寄ると店主の能登さんは新しい店に移ったとのこと。その店、飯倉の伊達好寄屋(だてすきや)へ。どうせもう来ないんでしょ、との能登さんの厳しい突っ込みを受けながら旨い酒に幸福なひととき。

2002.11.24
藤沢の恵光寺へ報恩講の法話にうかがう。皆さん非常に熱心に聞いていただき、その後御一緒したお斎の席でもよく聞いていただいたことが伝わるお声がけ。こんな良い方たちが集っているのは住職坊守の人柄に負うものです。しかし朝の往路は1時間少々だったのが帰りは3時間以上。途中少しだけ覗いたブックオフに諸橋大漢和全巻や白川字訓、字統が並んでいたのには驚き。藤沢市民の民度の高さゆえか。

2002.11.23
西念寺、源正寺報恩講へ。源正寺のお勤めを終えて駐車場に戻ると、愛車ジーノの運転席のドアがどうだとばかりに全開。窓が、ではなくドアがです。やられちまったかと中を覗いても荒らされた様子もなく車内に置いていたパソコンもそのまま。どうもパソコンが荷物になるので車内に置いて置いたんだけど一応用心のために後部荷物置き場の下に潜りこませたときに、ドアを閉めるのを忘れたらしい。用心したつもりがまるで逆のことをしうている。

2002.11.22
東京教区基幹運動推進委員会で作ったリーフレットに思わぬ批判が。戦没者遺族を傷つける内容との指摘を受けて、話し合いの場所を持つ。お話を伺いながらもリーフレット自体に問題があったとは思えなかったが、いろいろな受けとられ方の可能性があることは勉強になりました。

2002.11.21
陶鎔小PTA運営委員会。新しく組織した緊急時下校班について質問噴出するかと思いきや、意外に静か。理解したというより、やはりまだ質問さえ浮かばないほどにイメージできていないよう。
夜いちょうホールにて『釈迦内棺唄』公演。前売チケットは目標に遠く届かず、当日売りに期待をかけたものの結局目標の七割程度。苦しい戦いでした。しかし勉強にもなりましたし、なによりお見えいただいた皆様からは満足そうなお顔をいただいたことで充分報われましたです。

2002.10.20
八王子仏教協会の成道会を高尾山で。この時期の人出を考えずに危うく遅刻しそうになる。しかしこれだけの人出を成道会法要に引き込もうとする発想がないのが不思議。いくらなんでももう少しアピールすべきでしょう。淡々と法要をして、精進料理をいただく。

2002.11.16
陶鎔小学校で学習発表会。与えられた(高学年は自分で選んだ)テーマに即した発表をブースをつかって行なうもの。呼び込みの下手なブースでは発表を聞く人がなく、あれじゃかわいそう、という声もあったようですが、呼び込みもまた、学ぶべき重要な技術です。

2002.11.15
日比谷で映画『阿弥陀堂だより』を観る。紹介文を書くために全く期待しないで観たところ、大収穫。予備知識なしで御覧いただきたいのであらすじは申しませんが、登場人物のすべてが素敵です。嫌な人が一人も出て来ない。そういう意味ではメルヘンのような大人の映画です。

2002.11.14
連日葬式が続く。築地の報恩講にも出勤できない。

2002.11.10
八王子駅前南口広場で「多文化共生防災実験」。数えて3回目。緊急時対応はふだんのお付き合いから、という趣旨のもとの、力の抜けたイベントです。フレンドリーさが特色。とはいえ次回はもっと動員を本気で考えないとなあ。企画自体がもったいないし、屋台などで協力してくださった方に申訳ない。

2002.11.9
延立寺報恩講。今年は八王子への寺基移転30周年記念の法要です。雅楽の生演奏を入れた法要、遠山博文師の本当にあたたかい御法話、お斎の後の松浦正晴氏のバリトンに酔って、お蔭様で盛会に勤まりました。

2002.11.6
アーユスの面接で横浜へ。修学旅行の生徒達が目に付く。何が目当てなんだろう。確かにおしゃれな街ではあるけれど、修学旅行で行って楽しめるところとは思えませんが。

2002.11.5
報恩講に向けてのお磨き。

2002.11.3
佐藤家の法事のお斎であきる野の燈々庵へ。米蔵をまるまる利用した作りと演出豊かな料理を堪能しました。近くにこんなに素敵な店があることが単純にうれしい。しかし、たまたま隣の席になった客。七五三の帰りに主役の子どもと両親、そのそれぞれの両親での七人の席だったのですが、老夫婦二組が横一列に座って見事に会話がない。若夫婦もまたもくもくと食事をすすめ、聞こえるのは食事に飽きた子どもの時折のはしゃぎ声のみ。仲が悪いのではないでしょうが良くはないなあ。せめて食事は美味しく召し上がっていただけたのならいいけど。

2002.10.31
アーユス仏教国際協力ネットワークの人材支援事業に応募してくださったNGO数団体へ訪問。事務所に伺って直接お話をお聞きすると書類上では見えなかった思いや情熱が伝わり、仕事とはいえ本当に勉強になります。

2002.10.28
『釈迦内棺唄』の営業。あと三週間。もう手詰まり感が強い。見込が200枚を超えた時点で伸びがピタッと止まってしまった。これが私自身が持っているキャパなのかもしれない。

2002.10.26
八王子市小学校PTA連合会による、「ピーポくん」キャンペーンで八王子駅頭へ。今年はビデオの記録を担当していたのが、時間を勘違いして大遅刻、ま、別に市長が協力している絵などわざわざ撮らなくてもいいとは思うのですが、大変失礼しました。「ピーポくん」とは児童が通学途中などで身の危険を感じたときに逃げ込める一般のお宅のこと。門前に大きなステッカーを掲示して御協力をいただいています。地域での危機管理として貴重な取り組みと思いますが、児童がいないお宅ではほとんど知られていません。

2002.10.25
八王子市立川口小学校百三十周年記念の集いに近隣の小学校のPTA代表として出席する。保護者のお母さんの作・出演による、昔の子どもの暮らしのお芝居が上演される。子どもを引きつけて喜ばすサービス精神に溢れた舞台に感服。

2002.10.24
「平和を求め、考え、願う仏教者の集い(平仏集)」企画会議。この冬から始める連続講座の講師陣を検討する。ちょっとそそられるラインアップ。ぜんぶOKいただければですけど。

2002.10.23
御門徒、入江吉郎さんの通夜。30才。ほんのひと月前にお参りいただいたのに。厳しい御縁。

2002.10.19
『釈迦内柩唄』営業に歩く。紹介を受けて伺ったところのあまりの反応の悪さに沈みながらも、以前からおつき合いいただいている方々の御協力に頭が下がる。しかし、それでもチケットが出ない。焦りで胃がむずがっている様子。あとちょうど一ケ月でどこまでいけるか。
法話会には芝田正順師に御出講いただく。「『生死』を『せいし』ではなく『しょうじ』と読んで不可分のものと見ていくところに仏教のいのちの頂き方がある」

2002.10.15
年末の六本木スイートベイジルでの吉田美奈子ライブの予約開始日。所用から帰宅した午後4時頃に電話をいれるとすでに完売とのこと。おいおい、名盤『BELLS』再発が効いたか。ま、しかしまっとうな歌い手が正当な人気を得ていることを言祝ぎましょう。

2002.10.13
多摩組連研で静岡の西方寺にて和多住職のお話をうかがう。「『罪悪深重』とは、自分のいのちを傍らにしていること」というお話。修善寺で一風呂あびて日帰り。

2002.10.12
娘の幼稚園の運動会。年少組のわれわれは開門時間に園へ着いても余裕で座る場所を確保できるが、年長組の保護者は徹夜で門前で行列をするとか。上の子の時も私はしませんでしたけど。今年は非常識な親の姿も特に目に付かず、おだやかな一日。

2002.10.10
延立寺の旅行会で大阪へ。大坂城では翌日の11日から蓮如展。タイミングが悪いー。しかし石山本願寺関連の資料集を購入できただけでよしとしましょう。その後伺った堺別院、顕証寺、本照寺ではあついおもてなしをいただく。感謝。その姿をもって御門徒に、浄土真宗の寺は観光寺院ではない。建物を見に行くのではなく、人に会いにいくのだと話す。御理解いただけたでしょう。夜は熊野神社近くのYAMATOYAへ。そこで偶然、共通の友人を持つ女性と遭遇。しかも5年前に私が平和運動絡みで出たTV番組をよく御存知でした。

2002.10.8
市立第二小学校の障害児学級を見学。次男潤によりよい環境を与えたいと思うものの、何が本人にとって有効かの判断はとても難しい。いい出会いを期待してはいるのですが。

2002.10.4
前日からの研修会の続きを昼まで。体がやたらとダルくて重いなあ、と身の処し方に苦慮していたら結局39度の発熱があった。平熱が35度台の私にはきつい。疲れからきたものでしょうが、無理はきかない歳ということか。

2002.10.3
築地別院にて若手布教使の研修会。テーマは「伝わらない!」。物事を伝えようとしたときには往々にして手法の工夫に拘泥する。それはもちろん重要だけど、実際はそれ以前のところで受け取りを拒否されていることに気づかないことの方が重傷。そのことを講師の弓山達也師には深夜近くまでお付き合いいただきながら身をもって教えていただいたような。

2002.9.29
子どもがバスケットをしたいと言い出した。万事に消極的というか、自分から何かをしたいと言ったことがない長男の言葉にのせられ、スポーツ洋品店へ。ボールではなくゴールを買いに行ったのです。ダンクシュートさえできそうな頑丈なゴールが4万弱。高くは感じないが思ったよりも場所を取ることが判明。どこに設置するかを思いつかずに見送ることに。帰ってからメジャー片手に境内をうろうろ。

2002.9.25
ある御門徒さんからお褒めをいただく。「住職は軽自動車に乗っているところが偉い」。いやあのー、別に無理して乗ってるわけじゃなくて、八王子のような道が狭いところでは小さい方が便利なんですよ。車内だってマニュアル車でクラッチを頻繁に踏むようなら狭く感じるかもしれないけれど、オートマだからなんの不自由もないし。褒められるならもっと他の所で褒められたいよう。

2002.9.23
彼岸会法要。後出しじゃんけんを試みる。無意識に体に染み込んでいる「勝ち」思考が自分自身を不自由にしていないか。

2002.9.18
千鳥ヶ淵全戦没者追悼法要。期待していたわけではないが、主催者挨拶にも記念法話にも北朝鮮問題に対して一言も言及がないのには呆れた。昨年の法要でも9.11に関しては「犯人グループへの強い憤り」が表されただけの皮相なものだったし。

2002.9.17
築地別院にて「全戦没者追悼の集い」。形骸化の進む千鳥ヶ淵全戦没者追悼法要に対して、ある意思をもった試み。本堂内では地雷廃絶を訴えるパネル展も併催。

2002.9.16
寺報発送。

2002.9.14
ちょっと口さみしくて庫裡の冷蔵庫を探索したところ・・・パックされたスモークチキンのブロック。賞味期限をみると、97.12.21。・・・このまま、コレクションアイテムにしますか?しかし見たところまったく異常なし。一応賞味しますね。・・・むしろ味が充分染み込んで美味ってなもんじゃないですか。調子にのって冷蔵庫から発掘したもう一品。スモークチーズ、賞味期限97.9.10。・・・つまりスモーク系はうちのカミさんは好みじゃないのでこんな始末に。こちらは躊躇せず皿に盛る。もちろん美味。私、「賞味期限」なるものを信用してない。と言うより敵意さえ覚えています。最近も報じられた、賞味期限を過ぎた冷凍の春巻きを、試食したら異常がないので販売したという食品会社、あなた方のしたことは、あまりにもあまりにもまっとうなことだと思います。

2002.9.11
多磨全生園にて平沢保治氏のお話を伺う。淡々とした事実に一同声がない。夜、新宿常円寺にて超宗派の青年僧による結集!上村英明氏の講演とグループディスカッション、そして法要。具体的な行動提起がなかったという不満は少なからず聞えたものの、今回の趣旨、行動の前提を確認することは十分に達せられたように思う。

2002.9.8
築地本願寺にて宗教者平和ネットの集会。主催者側の一個人の反省としてなのですが、ちょっと素朴すぎました。対象を、自分たちの自覚の確認なのか外へのアピールなのかも曖昧で、それが裏目にも出てましたし・・・一応の成果は認めます。が。

2002.9.6
『北の国から 2002遺言』放送。すべてをリアルタイムで観てまいりました。純役の吉岡君は自分と純を同一視されることに嫌悪していたとか。そうでしょう。田中邦衛氏他すでに実績ある役者さんはいいのですがまっさらな子役はどうしても同一視されます。観られることの負担、重圧。それは想像しようもありません。観られることで力が奪われることはあるでしょう。が、観られることが本当の力になることも絶対に、ある。両者は決して矛盾していない。

2002.9.1
まだ引っ越しして間もない延立寺に通って、本当に細々とお手伝いをいただいた中尾慶さんが往生された。お連れ合いが亡くなってちょうど一年。延立寺でお葬式をお勤めしてくださることに御礼申し上げます。

2002.8.29
東京教区基幹運動常任委員会会議。国立の戦没者追悼施設新設に関して議論。私としては、「第二の靖国」という危険を認めた上で、でも第一よりはいいだろう、という意見です。ベスト以外はゼロというのは運動じゃない。ベターの積み重ねをこそ。

2002.8.27
中学校以来の友人4家族総勢15名で西伊豆へ。子ども世代の最年長は中三。受験生にもかかわらずよく参加したと褒めてやりたい、てゆーか、感謝したいくらい。これからは人数は減少するでしょう。それもまた成長の証として嬉し。

2002.8.23
親鸞仏教センターの長谷岡氏と会食。現状への危機感とそれを打破したい、本物の仏教者教学者を生みたいとの志願の篤さ熱さに感じいった。やはり、ここでも東西の宗風の違いを確認。

2002.8.21
庭先で鳥の鋭い声が続く。子どもが慌てて呼びに来た。庭の木のヒヨドリの巣に蛇が絡んでいると。駆けつけると木の上の巣にとぐろをまく縞蛇。親らしきヒヨドリは果敢にも直接攻撃を試みるが蛇はまったく悠然としたもの。棒で払い落とすとあっさり退散したが巣の中はすでに空。この巣には数日前から親鳥が通っていたのを楽しみに見ていたので「かわいそうー、もっと早く気づいていたら・・・蛇なんて大っきらい!」と叫ぶ子どもには、でも蛇はそうしなければ生きていけないんだよ、とは言えなかった。あそこで言う必要があったかなかったか。今でも少し気になっています。いずれにしろ大変貴重ないのちの学びの場面でした。

2002.8.19
府中試験場にて丸一日、免停処分者の講習会。法規も事故の実例も勉強になりましたが、この6月から改正された道路交通法についての講義には生活態度の変更さえ考えさせられました。厳しい。向こう一年間で4点くらうと次は90日免停。先は長い。

2002.8.17
法話会に山崎龍明師に御出講いただく。「一番あてにならないものを一番あてにしている、嘘にしがみついて生きている私のありよう」を先生は軽やかに鋭く指摘していく。明日朝イチで北海道にいらっしゃるそうで。お気をつけて。

2002.8.13
このところ腹のあたりの脂肪が気になりだし、飲み始めていたのです。一部で話題のBOWS。中国のダイエット薬の話も気にしながら、まあ劇的な効果はないから危険もないだろうと様子を見ながら。そこに、近所の「古代」という料理屋の主人がどうもこのBOWSが遠因でぎっくり腰になったという情報が。メールによると「BOWS等での『カロリー制限』をしすぎると、身体の筋肉が飢餓状態になり、必要以上に栄養をとられまいとして、筋肉が硬直するそうです。そこへ、筋肉トレーニングなんかしたもんですから限界状態になり腰をこわした」とのこと。やはり地道に脂肪を燃やす方法を取りましょうか。

2002.8.9
『亜麻色の髪の乙女』の本家、ヴレッジシンガーズのボーカルと称してカラオケ大会の審査員をしていた男が逮捕された。ヴレッジシンガーズのボーカル、という選択が絶妙。歌のリバイバルヒットに加えて皆があまり覚えていない人選。この男は以前には横浜銀蝿のメンバーと称して詐欺をした経歴ありと聞いてまた唸った。この人の記憶の隙間を読む能力は生かせる場は他にあるはず。探す気はありませんが。

2002.8.7
もう20年近く続いている「学仏舎」学習会。テキストの輪読の効果はやってみないと想像できない。一人で読んでいるときと読み込みがはっきり違うのは不思議なほど。となると、今まで読んで来た本のいったいどれだけを読み飛ばしてきたんだろう。

2002.8.3
ウェブサイト上の文章や本などを読んで心から納得し、感銘を受け、これは他人にぜひ知らせたいと説明しようとしてはたと困ることがよくある。「あの本、絶対読んだ方がいいよ」「どういう内容なの?」「ええっと・・・」感銘を受けた記憶は鮮明にある。でも内容が思い出せない。文章が思い出せないだけでなく、凡その趣旨さえ出てこない。なんですかこれは。内容を覚えていない。しかし感銘したという記憶は強い。結果、中身を説明せずにただ、読んでくれと押しつけるばかり。説得力があるわけがないこのやり方は少なくとも僧侶としては問題に違いない(いや僧侶の悪癖か)。というのを前提にお薦めしますが、ネット上でズーニー山田氏が連載している「おとなの小論文教室」は必読ですよ。

2002.7.29~30
「同和問題」にとりくむ宗教教団連帯会議の研修会。研修内容は部落差別にとどまらず、暮らしの中で散見される偏見を自覚できるようにするもの。人権問題研修もまた、参加型学習の導入が進んでいる。課題はファシリテーターの養成。

2002.7.26
劇団「希望舞台」のスタッフ来寺。秋に予定している八王子公演の打合せ。演目『釈迦内柩唄』は全体のほぼ七割が主演女優の一人芝居という、ちょっとくせが強いネタ。チケット販売目標300。どれだけ協力者を広げられるか、まだ見えない。

2002.7.23
多摩組サマーキャンプで富士子どもの国へ小学生48人を引率して一泊。ここ、ただただ広いのに加えてアップダウンが大きく、プログラムにそって子どもを会場に移動させるだけでもスタッフは息があがっている。にもかかわらず走り回る子どもたち。あいつら、なんであんなに走り回れるんだ?

2002.7.20
去る13日にTBSアナウンサーの林美雄氏が病死していたことを知る。かつて氏が担当していた深夜放送『パックインミュージック』がどれだけ自分を育ててくれたかを思う。全然売れなかった荒井由美を強力にプッシュし、自前のイベントも企画していたこと、邦画の奥深さを繰り返し語り、『八月の濡れた砂』が不朽の名作であることを世間に納得せしめたこと、ミドリブタの名で軽妙で絶妙な間のギャグを連発していたこと・・・

2002.7.18
近隣の小学校のPTA役員との会議。今年始まった学校週五日制ヘの対応にどこも戸惑っている。土曜日にPTAで何かしろという「外圧」が大変、という発言には苦笑してしまった。ゆとりとか総合学習とか生きる力とかの言葉が独り歩きして分かりにくくなってしまったけれど、要は大幅に保護者側に渡された自由を持て余している過渡期が今なわけですよね。本来はここで攻めに入るとこなのでしょうが・・・。

2002.7.15
外房の御宿へ通夜。どんなに遠方であろうと日帰りする私ですが、台風が近づいていて雨風にめっぽう弱い外房線沿線となれば用心するしかありません。宿を用意していただくこととなりました。そんなこんなで慣れない土地、少しでも早く着いておこうとの気持ちが働いた、ということにしておきましょう。途中の路上、ネズミ取りに捕まる。33キロオーパー、一発免停。なぜこんな走りやすい場所で取り締まるのよ、と文句も浮かびましたが、取り締まりは危険な場所ではなく、取り締まりをしやすい場所で行なうのが常道。駐禁のレッカー移動も、駐車が危険な場所よりもレッカー移動をしやすい場所でまずされますもんね。などという不公平感をどうやってかわすかは事故防止の大きな要件ですねー。

2002.7.14
延立寺盂蘭盆会。『100万回生きた猫』を題材に法話。しかしこの本、読み返す度に涙が湧いてくるのにはまいります。

2002.7.13
PTAの本部行事で防災訓練。消防署の方の全面的協力をいただく。防災訓練って楽しいですよねえ。非常時の高揚感への待望感って普遍的なものと思う。それをわざわざ呼び起こそうとするバカが絶えないのも困ったものですが。

2002.7.10
台風が近づく中、六本木にて国際刑事裁判所の勉強会。これは世代的なものあるかもしれないと思うのですが、戦争犯罪の判断への理性的理解が難しい。戦争における反人道的行為とは?心情においてはそれ自体が反人道的でしかない戦争における「人道的」とは?

2002.7.4〜6
東京教区の夏期僧侶研修会。参加者の割合を見ると、寺院出身の僧侶に対して、寺院以外の出身の僧侶の参加者が年々増えている。寺院が忙しいのか、他の理由があるのか。もちろん答は後者です。ではその理由とは?

2002.7.3
先月末のクラス会では泥酔したあげくに何処かで定期券を紛失してしまった。心当りのところすべてに電話をしても見つからない。あきめらめていたところに成城署から届いているとの電話。しかも届けてくださった方は一切のお礼を放棄されているとのこと。有難く受け取りに行く。が、当日の帰宅ルートから大きく外れている成城署になぜ届けられていたのか、聞けませんでした。

2002.7.1
八王子小学校PTA連合会のブロック長会議。子どもたちがまだ土日連休に慣れておらず、月曜日の子どもの様子が明らかに違うとの校長の報告あり。土日が生きていない。宗教界も含めて。

2002.6.29
渋谷じょあんにて毎年やっている高校のクラス会。決して酒は弱い方ではないと思うのだけど、毎回ここでは泥酔してしまう。私の場合、酔い具合はどのようなシチュエーションかが決定的に影響する。一升飲んでもまったく変わらない場合もあれば、ワイン数杯で記憶を無くすことも。気がおけないときほど酔いが早い。それを許してくれる場所がある幸福(は周りの不幸でもある)。

2002.6.26
寺報『ポピンズ』発送。予定より一ヶ月遅れ。いつものことですが。

2002.6.22
伊東・宝専寺の前坊守様の葬儀。ちょうど一ヶ月前に築地別院の降誕会でお会いしたばかり。ただお念仏申し上げます。葬儀では入堂退堂に仏教讃歌を歌った。

2002.6.17
子どもの学校は一日通しての授業参観日。一日通してというのは学校としては初めてとのこと。先生もお疲れだったでしょう。昨年の池田小事件の時は学校の危機管理策として警備強化が当然のように言われましたが、小学校にあっては保護者の日常的な参画の方が現実的な危機管理に違いありません。別に今回が危機管理を目的にしたものではなかったでしょうが。

2002.6.14
中学校時代の友人の通夜。白血病だった。このところぽつぽつと同年輩の友人の病没の報が入る。そういう歳になったということ。このところは本人よりも親しくしていただいていた御両親に御挨拶。かわす言葉のどれもが彼からの贈り物に他ならない。

2002.6.12
八王子いちょうホールにて有事法制反対集会へ。妙に元気な20代くらいの若者の一群。二十年前の辻本清美を見たような。パレスチナの集会時にも感じたことだけど、集会やデモの持ち方に、かつての左翼系の定型運動ではない形がやっとでてきている。労組系のおじさんにはまだ違和感があるようですが。

2002.6.9
テレビでワールドカップ日本×ロシア戦。動悸が高まり呼吸が浅くなって意識して深呼吸。テレビの前での不安まじりのこの緊張は遠い昔に経験したはず。そう、ボクシングの輪島功一の試合前がこうだった。なんであんなに感情移入ができたんだろう。

2002.6.8
10年ぶりくらいに中学校の同期会。どうにも思い出せない顔がかなり。でも昔ワルかった奴はどれもこれもすぐに分かる。ワルってのつまり大人ぶりたいってことだから、昔がフケていたわけですね。

2002.6.7
車を走らせていると何か落ち着かない自分がいる。街が妙に静かだ。いったいどうしたんだろうと思うまでもなく原因はあきらか。カーステレオが壊れたので修理に出したのです。私は運転中はまず必ずラジオ(その95%がTOKYO FM )をかけているのが身に染み込んでしまって、ラジオのBGMがない街中の風景に欠落感を感じてしまっています。はっきりとヘンなのですが。

2002.6.5
今日、仕事上で数年来の大失敗をした。呆然。血が足元にずーんと引いていく思いを久々に感じながら、無意識に子どもにあたっている自分がいる。いつもなら笑って聞き流していることを問い詰めたりして。あーーーー、児童虐待なんて本当に他人事じゃない。そうしないでいる自分はただラッキーなだけなのだろう。
などと思っていたら、子どもは子どもで、今日の学校の連絡帳に、お父さんは嫌なことがあると自分にあたる、と書いていたらしい。見抜かれている。こちらが面倒を見てもらっているということですね。

2002.6.3
来日しているスリランカ仏教の最高指導者4氏によるスリランカ和平に向けての共同宣言会場へ。日本の仏教者と語り合いたいということで出かけたものの、会場は日本側スリランカ側であらかじめ用意されたスピーチを読んだだけのもの。なぜ今までこのような動きがなかったのかの説明がほしかったのですが・・・。

2002.6.1
重度障害児へのサポート団体こあらくらぶの応援団の会に出席。思わぬ顔いくつかと嬉しい挨拶。マジックや馬頭琴を楽しむ。応援団に入会。

2002.5.29
全国青少年教化協議会の発足40周年記念の集いの手伝い。思わぬ顔といくつも出会う。夜は光明寺での江戸糸あやつり人形の会パレスチナチャリティ公演へ。26日に続いて見ても飽きない。いつか延立寺にもお呼びしたいです。

2002.5.26
築地本願寺で江戸糸あやつり人形の会。パレスチナへ人形を携えて渡り、現地の子どもたちの笑いを誘っている上條氏のチャリティ公演です。アーユスが共催したのに動員には協力できずに申訳ない。芸は本当に繊細かつ力強い表現。豊かな時間を過ごさせていただきました。

2002.5.25
炎天下で小学校の運動会。ほぼ最後までつきあって通夜へ。真っ赤に焼けた私の顔を見て、ゴルフ帰りと思われた節有り。

2002.5.21
古書店へ手元のダブリ本を売る。思っていたよりはるかに高額で引き取ってくれた。クズ本は新古書店に持ち込むけれど、やはり多少なりとも愛着のある本は価値を知ってくれている専門店にお世話になります。

2002.5.19
築地本願寺で講演集会「イスラエル人の証言---私たちはなぜ、シャロンの戦争に反対するのか?」。講演者は、占領地での兵役を拒否する予備役兵の団体のスポークスマン。このような催しに築地が使われることの意味は大きいと思う。

2002.5.16
朝、自転車で通学途中の大学生の大群とすれ違う。ふと気になって彼らが乗る自転車を見てみると、サイクリング車やマウンテンバイクがただの一台もない。みごとに100%、実用車、いわゆるママチャリ。大学に通うには高級自転車で格好をつける必要もないのでしょうが、それ以上に、自転車の盗難が日常化しているほどに多いということなのか。

2002.5.12
親鸞聖人降誕会・永代経法要。富田富士也氏の講演は笑わせ泣かせ感銘させ、一流の芸をみせていただきました。アトラクションの大由鬼山氏。迫力の尺八はジャズも童謡も古典も鬼山ワールドにねじ伏せる。なんて心地好い午後。

2002.5.10
ADSLの開通予定日。以前申し込んだときは応対に出た女性があまりにあっけらかんと繋がらないことがありますよー、と言うのに呆れて見送った。でも高速の魅力には抗い難く、再度申込。今度応対に出た女性はこちらの住所を確認すると申し訳なさそうに、その地区では繋がらない例が報告されているという。その割合は2割とか。この程度のリスクなら試す価値はありそう。ということで本日いよいよ回線接続。あっけなく繋がりました。非常に安定して、スピードも1.2M出ている。定額の常時接続生活に入ります。

2002.5.7
永代経法要に向けてのおみがき。続いて婦人会例会。

2002.5.5
しばらく本堂裏に放置していた自転車にまた乗るようにしようと取り出して洗ってみる。雨にこそあたらないようにはしていたものの、埃と錆にまみれ、かなりの部品の交換が必要だと思っていたんだけど、錆さえ気にしなければそのまま使える。タイヤも空気洩れなし。これだけメンテナンスフリーというのはモノトして大変な完成度の高さの証。

2002.5.3
子どもを連れて青梅の鉄道公園へ。模型を動かしてくれたり本物の新幹線や蒸気機関車の運転席に座ったりと楽しめたんだけど、一日遊ぶつもりが思いの外規模が小さくて2時間で退園。空いてしまった時間は友人宅へ行き、夕食は皆で居酒屋へ。そこは客席脇にチャイルドルームを用意してあって子どもが自由に遊べる。客席を置けば10人くらいは入れられそうなスペースをつぶすのは決断だったと思うけど、親にとってはとにかく有難い空間。チャイルドスペースを目当てに店を選ぶ人はかなりあると思う。親も子も満足して、結果的に最高の一日。

2002.5.2
PTA総会。出席者はほぼ100%が新旧の委員。それだけで80人くらいになるからまあよしとしましょう。PTAの行事を土曜日にしてもよいかとの質問あり。土曜日の使い方はこの一年、試行錯誤をすることになります。

2002.5.1
今迄使っていたコーヒーメーカーで淹れたコーヒーにどうにも癖を感じてしまい、まったく壊れていないのにフィリップス性に買い換えてしまった。コーヒーメーカーってただお湯を落とすだけの仕組だと思うんだけど、味が違うんですよ。不思議。

2002.4.29
代々木公園の野外音楽堂でのパレスチナの平和を求めるピースウォークに参加。主催者発表で1500人が集る。集会の後は表参道から明治通りへデモ。しかしデモというのは誰に何を訴えるのかが見えにくくて難しいもんです。今回はパレスチナの方々が参加してくださったのでいくらか説得力もあったかと思いますが。

2002.4.24
アーユス事務所にて「非武装平和協力隊」の大畑豊氏と鞍田東氏のお話を伺う。「非武装平和協力隊」とは単に非戦を叫ぶにとどまらず、具体的なアクションをもって紛争の事態を回避する試みを志向している団体。パレスチナへも市民監視団を派遣する予定とのこと。今後協力できる場面がありそう。注目していきます。

2002.4.23
多摩組総会。その後に八王子駅南口の「遊」へ。ここで働いていたマキオくんが西荻に店をオープンしたことを伺い、そこで使っている有機栽培野菜を作っているのが実はうちの御門徒の安田さんだったことに驚き。お見えになるときはいつも農業の楽しさをめいっぱい語ってくださいますが、知らずに接点があったのですね。

2002.4.21
公立学校の週五日制に伴っての、サタデースクール事業の説明会に市役所へ。土曜日に子どもを地域の人に面倒を見てもらおうと市教育委員会が呼びかけたもの。どうも趣旨がよくわからない。週末は子どもを地域に返すというのが週五日制の趣旨のはず。で、受け皿ができるまでは教育委員会がお手伝いしますよ、ということらしいがそれにしては教育委員会側の希望が多すぎませんか。それに、週休二日にして親子で過ごす時間を増やせというなら、その分学校は知育に特化しますと言ってほしい。子どもを家庭に返す時間を増やしました、だからその時間で親は徳育・躾の責任を負ってくださいと言ってしまった方がいろいろクリアになりませんか。

2002.4.16
五年間使っていたISDN回線をアナログに戻す。いやしかし、ISDNって何だったのでしょう。これからはデジタルだ、と勘違いして乗り換えた私って・・・

2002.4.15
八王子は30゜を越えた。でも真夏の苦しさはない。湿度が違うのでしょうね。

2002.4.13
八王子エルシイにて星川光義氏を偲ぶ集いに出席。亡くなったのは昨年10月15日、「死者は生者を煩わせず」という遺言に基づき葬式も行なわず、死亡の知らせもしなかったということ。でも葬式は死者のために営むものではありません。残されたものが学ぶ場所。そのことが如実に現れた集いでした。スピーチのどれもが星川氏からの学びの反芻であり、理論家であると同時に現実家でありえた稀有な運動家との出会いに感謝するものでした。会場には思わぬ顔もいくつか。

2002.4.11
豊田市のTIAにて在日外国人へのサポート事業の現在を伺った後、法雲寺にてINEBの杉浦明道師より犯罪に巻き込まれた在日タイ女性の救出活動を伺う。所轄警察があてにならないという話にも軽いショックを受けたが、御家族の理解のもとに体を張っていらっしゃる事実にはただ唸るばかり。

2002.4.8
次男の小学校入学式。自閉的傾向が強い彼には新しい環境はどう映るのか。不安の方が大きいけれど、本人は素直にうれしそう。なんとかなりそうな気も。
PTA会長として挨拶。

2002.4.4
平成4年4月4日仏滅からなんと10年目の結婚記念日。ここのところ「スイートテンなんたら」のコマーシャルが流れなくなって有難い。ま、婚約指環もあげなかったんですけど。

2002.4.2
文京区民センターにて「平和をつくり出す宗教者ネット」発足集会に参加。モスク「マスジド大塚」事務局長の方や神職の方も参加したのは半歩前進とはいえ、うーん、先が見えない。運動の発想が20年前から変わっていないようで。

2002.3.31
ビデオにとっておいた『3年B組金八先生』の最終回を観る。いくらファンタジーだとしても設定もセリフのいちいちも苦しすぎる。が、それに耐えても観るだけの価値が若い役者たちの今だけの一瞬には、ある。

2002.3.29
八王子献血センターにて成分献血。一年で6回以上すると貰える記念品を期限ギリギリでゲットです。貰ったのはカタログギフト。予想よりはるかに上物。他所の献血センターでは一回毎に図書券をくれるところもあるそうだけど、合計額はこっちが勝っている。ちっちゃな達成感もあるし。

2002.3.28
注文していた花祭り用の花御堂が届く。浄土真宗は花祭りをあまり重視していないもので今まで持っていなかったのですが、華やかなネタはもっとあっていいと思いまして。届いた品は当然組立式だろうと思い込んでいたところがバラシ不可。価格の安さにつられたものの、かさばってしょうがない。返品も考えたが置場所がないでもないし組立てバラシの手間がないのでまあいいか。しかし甘茶を購入しようとお茶屋に行っても仏具屋に行っても扱っていない。とりあえず麦茶で代用して甘茶探しは続く。基本でつまずいています。

2002.3.24
お彼岸の最終日。にもかかわらず寺にいないで八王子駅南口前の広場にて『多文化共生コンサート』を主催。昨年九月にやった『多文化共生防災実験』に続いての企画です。ストリートミュージシャンたちには平和・共生をテーマにした歌の演奏を。加えてエスニックミュージックのコーナーではタイ舞踊、龍笛、尺八、モンゴル音楽、ダンスなどなど。ストリートミュージシャンも思いの外快かったし、期待していなかったエスニックミュージックもまるで宴会ののり。タイ、韓国、フィリピンの各国料理の屋台もそこそこ賑わい、こりゃ恒例にしてもいいかもしれない。入場者約300人。ま、成功でしょう。

2002.3.22
陶鎔小学校卒業式。自分の卒業式以来だから30年ぶりか。まとまった送辞や答辞ではなく一言づつのリレー方式の思い出語りが興味深い。ちょっと冗漫に感じましたけど。PTA会長としてお祝いのスピーチ。

2002.3.21
延立寺彼岸会法要。文春新書『21世紀への手紙』を題材に法話。

2002.3.16
築地別院にてビハーラ協議会及びビハーラ講座に参加。東京ビハーラにはずっと名前だけの非活動会員でした。でも次年度からビハーラ(仏教ホスピス)病棟を現実に作ることを活動方針の柱に据えると聞き、これからは主体的に関わる所存です。

2002.3.15
来年度のPTA本部役員がやっと決定。本部役員の仕事が周知されていないことによる不安が引き受けることを躊躇させていることがやっと分かった。もうちょっとかしこい情報の流し方が必要。本部役員自身が楽しそうに仕事をしている様子を見せることも大事ですねえ。寺報『ポピンズ』発送。

2002.3.14
アーユス仏教国際協力ネットワーク幹事会。10周年を前にして初めて?まともに事業の見直しをする。基本的なスタンスや事業は継続するが位置づけを大幅に組み替える。これまでさんざん、何をやっているか分かりにくい、と言われてきたのが新年度からはいくらか改善されそう。見直してみて改めてこの会のユニークさ、存在する意義を認識する。

2002.3.8
しなければならないことがあると掃除をしたくなるのは高校の試験前から変わらない。閉め切りを過ぎた原稿3本を横目に片手にはなぜか毛バタキ。おかげで書斎がさっぱりとしました。原稿取り合えず2本仕上げて送る。

2002.3.4
ビデオで『みんなのいえ』を観る。三谷幸喜自身がモデルのココリコ田中がいじましい。中でも、対立していた棟梁と設計士が意気投合していきそうな気配に嫉妬してもだえるところなど。唐澤寿明はうまいぐあいに幅を広げている。下手をすればただの好青年でしかない役しか回ってこない可能性は高かったのに、狂気をちらつかせる場面も無理がなくなった。拍手。

2002.2.27
ロップリーのエイズホスピス寺院へ行く。9年前、3年前に続いて3回目。初めて訪れたときはエイズホスピスの活動を始めて一年目くらいの頃。小さな二階建ての建物にベッドが8床並んでいるだけの施設が、6年後に訪れるとコテージはあるは治療施設はあるはの大発展。それが3年経ってみるとまた設備他が格段に向上している。9年前病床だった建物が現在はなんとここで亡くなった方の骨の博物館となっている。それに加えて隣の建物では遺体の陳列展示をしているのはいかがなものか。悲惨さを強調して寄付を仰ぐやり方は明らかに差別の固定化を助長している。行き場のない人々を無償で受け入れている尊さをくさすつもりは一切ありません。しかしなあ。

2002.2.26
私はタイは9年前、3年前に続いて3度目。バンコクからウボンへ移動し、3年前にも訪れた県立病院でHIV感染者グループと交流。以前訪れた時と比較して格段に環境整備が進んでいる。感染者グループの活動も着実で喜ばしい。午後はシェアの活動地へ入って村人と交流会。感染者グループが演じる偏見解消を狙っての芝居に、東青僧メンバーも特別出演。大受け。私もマジックを披露しました。ウケていたとは思うのですがどうでしょうねー。村人の皆さんが振舞ってくれたウボンの料理はあまり香辛料をきかせずに、ラオス料理に近い。満喫。

2002.2.25
東青僧主催のタイ・スタディーツアーに出発。テーマはHIVの現在を学び・いのちを考えるもの。成田空港に着くと既に皆そろっていたが参加者の一人がパスポートを忘れたことが判明。どう算段しても間に合わない。仕方なく一人だけ一日遅らせての出発とする。波乱の幕開け。

2002.2.23
築地別院にて『ダルマトーク・ダルマライブ 反戦から非戦へ』で歌うお坊さん・北條不可思氏とともにしゃべるお坊さんとして出演。150名以上の入場者にしてアフガンへの募金が10万円を超えたので大成功と言えるのではないでしょうか。入場者から好意的な反響のメールをいただきました。

2002.2.20
東京教区基幹運動役職者合同協議会。80余名が一同に会しての会議ではある種の退屈さは避けらないと割り切った方がいい。この退屈な会議が教区を確かに変えてきた事実があるのだから。

2002.2.19
新宿シアターサンモールにて青年劇場『ケプラーあこがれの星海航路』を観る。ここ10年ほどの青年劇場の舞台でうたがいなく最良の部類。今上演するという説得力も十分に感じられる。

2002.2.17
横浜のホテルにて知人の結婚式。今は媒酌人を立てないのが主流だそうで。10年前の私自身の披露宴もそうでしたが、当時はまだ非主流だったような。形式もレストランでのパーティー。時代は私たちの後追いをしている。なんちゃって。

2002.2.14
八王子仏教協会主催の涅槃会がいちょうホールにて開かれる。音楽法要と御詠歌・仏教讃歌の集い。浄土真宗には御詠歌はないため、ふだん聞きなれない耳には、ハーモニーを取り入れた浄土宗のご詠歌に新鮮な感動を覚えた。しかし重ねて聞いていくうちに、ユニゾンのよさもまた知らされる。今やハモリ全盛ですけど、下手なハモリだったらユニゾンの方がずうっと気持ちいいですよ。

2002.2.12
先日申し込んだADSL8Mの確認の電話が入る。こちらの加入者の名前を確認した後、相手の女性は「はい、では手続に移らせていただきます」のすぐ後、にこやかに「ところで、そちら様の地区ですと速度が遅くなったり切れてしまう場合がありますので御了承ください」とシラっとおっしゃる。え?切れちゃうの?そりゃまずいでしょ?「はい」はい、じゃなくてさ、切れちゃうのを御了承くださいと言われて、はい分かりましたとはふつう言えないでしょ。「そうですね」いや、そうですねじゃなくてさ、1.5Mならまだいいわけ?「それは変わりません。ADSLはまだ不安定なところが多いものですから」おいおいそういうものを売っているのか?いやー、これ、見送らせてください。「はい、ではこちらで申込取り消しの手続をしておきます。どうもありがとうございました」ありがとうって言われてもなあ。

2002.2.9
中組門徒推進員養成連続研修会の講師を勤める。与えられたテーマは『環境破壊・脳死・エイズの問題は信心の生活とどう関わりがあるのでしょうか』まるで三題話のテーマをどうにか関連付けた準備をしていったところ脳死を語っただけで予定の時間を大幅にオーバー。あげくにテーマの関連性も結論さえもすっとばしてしまった。スミマセン。ご迷惑をおかけしました。

2002.2.6
冬期僧侶研修会。尾野義宗師をお招きして『歎異抄への新視点』。師の提示する歎異抄像は蓮如上人御文章に直結する。善鸞再評価も含めて説得力ありました。企画担当としては今回もなかなかのものだったと自画自賛。

2002.2.4
八王子北ロータリー例会にて卓話。「国際協力」について。つい偉そうな口調になってしまう私の欠点が露呈して反応悪し。反省。夜は3月に予定している多文化共生コンサートの実行委員会。ストリートミュージシャンに出演してもらうのに、実行委員会のおじさんおばさん(私を含めて)は彼らのことをなーんにも知りません。いやはや。

2002.2.1
小学校で道徳の公開講座。6年生の授業を見学しました。最初配られた教材を見て、あまり面白くない素材と思ったのですが、児童の反応は非常に興味深いものがありました。学級会に、特定の子にいつも独占されているクラスのボールをみんなで使えるようにしたい、という議題が提案された。しかしその独占している子は学級委員の親友だった。学級委員の少年は迷いながらも議題にあげて、親友を傷つける結果となってしまう。これを皆さんはどう考えますかという教材だったのです。はじめに発言したのは学級委員の子は正しいことをしたんだから胸を張って欲しい、これで怒るようなら本当の友だちではない、というもの。ああそうだろうなと思ったら反対意見がありました。友だちならわざわざ学級会の議題にしなくても直接言えばいいこと。学級会の議題にしたのはマイナスだった。いったい本当の目的は何なのか、クラスのボールを共有することか、皆の前で特定の男子の行動を糾すことなのかを考えなくちゃいけない。こういう意見が児童から出たのです。参観の父母からもほおっという声があがりました。この授業は単に善悪を考えさせるのではなく、問題解決の技術を身につけさせるところまで達していたようです。人間関係の技術修得というのはもしかしたら「道徳」の本道だったようにも思います。

2002.1.27
延立寺役員会新年会。今年は寺基移転30周年。その記念行事の企画会議です。予算がないので大げさなことをするつもりははなからないのですが、看板だけは一年間掲げ続けます。たいした区切りではないのですが、この一年間は何かにつけて「30周年記念」です。

2002.1.22
昼は築地本願寺にて「同和問題に取り組む宗教教団東京地区連帯会会議運営委員会」会合。その後夜は大森法人会の新年賀詞交歓会にて雅楽演奏。肝心の音の調子が少々悪かったのが申し訳なかったのですが、その分トークでカバーできましたでしょうか。

2002.1.19
犬目の財産である焼き肉屋、臥龍苑が今月一杯で閉店と聞き、友人家族と共に夕食。話を聞くと閉店ではなく、若い店主に譲るそうだが、あの御夫婦がいない店が変わらないわけがない。狂牛病の影響(七割減!)で思い立ったそうだがそれがなくてももう歳だから閉めることを考えていたとか。うちの子どもたちはここの肉で生れる前から育てられました。感謝。

2002.1.15
成分献血をする。10年前は趣味の欄に「献血」と書いていた私。献血60回の表彰まではハイスピードで達成しましたがここ数年は思い出した頃にする程度。でも不惑を越えた身には、ただで血液検査による健康診断をしてもらえるのが有難く、また意識的に通います。

2002.1.14
世間は成人式。私は自分の成人式には出ませんでした。当時京都住まいで式のために帰る気もせず、興味も全くなかった。その日は昼からバイト先の喫茶店でウェイターしていました。成人式で騒ぎたがるのは成人式に意味を認めている裏返しなのでしょう。賑やかしとぶち壊しの境を判断できるのが成人。バカだねーと笑わせていただくのは私嫌いじゃないんですが。

2002.1.13
消防団の出初め式。存在自体にいろいろ批判や不要論も多い消防団だけど、私は地域防災に消防団の役割は非常に大きいと思います。が、私が10年以上消防団にいてずっと思っているのがあまりにも無駄が多いこと。その象徴が毎年新年の早朝からの出初め式。寒い中長時間団員を立たせて、愚にもつかない挨拶、しかもそれらのほとんどが同じ内容の繰り返し。規律や行進訓練にも何の意味もない。それはポンプ操法訓練も同様。一秒を競う訓練など一利もない。これらが消防団への入団を拒ませたり、存在を不要視させている部分はあると思う。
夜は消防団の新年会。地元の居酒屋「徳さん」にて。器がどれも面白いので聞いてみるとここのご主人、元は焼物を納める箱の職人だったとか。当然一つづつオーダーメイド。作者の箱書きつきの作品のために、箱ごと納める箱も作るとか。あの中島誠之助と若い頃から親交があり、みんな偉い先生になっちゃって・・・と笑う話が楽しい。いやー、地元にこんな店があったとは。迂濶でした。

2002.1.12
ビデオデッキの回転系がおかしい。早送り&巻き戻しに異常に時間がかかるなと思っていたら再生もできなくなった。修理のため八王子の修理専門店、A&Vテクニカルへ持ち込む。修理よりも買った方が安くて早いけど、あえて修理に出すのは意地からじゃない。楽しいから。別にそれほど思い入れのある機械でもなんでもないんだけど。

2002.1.8
今年第一回の延立寺婦人会。恒例の新年会です。盛会。踊りあり、カラオケあり。この日のために買ったe-Karaが活躍です。これ確かに手軽ではあるけれど、ある程度の曲数がないとカラオケは苦しい。でもカートリッジを揃えるのは大変だしなあ。

2002.1.6
午前中、本堂での読経中に風邪ウイルスが足の裏から登ってくるのがはっきり感じられた。明らかに風邪の悪寒がするが熱はない。しかし昼食を抜いても夕方になってもまったく空腹感がない。胃腸にくるという今年風の風邪そのまま。葬式からかえってすぐ布団へ直行です。

2002.1.1
初詣での御門徒をお迎え。お正月は皆さん御家族連れというのが嬉しいですね。朝方は少々曇ったものの、穏やかな歳明けです。

 

住職雑記2001

他力本願に生きる寺・延立寺
HOME