住職雑記

最近見聞き考えたことなど



2001.12.31
うちの寺は幸い梵鐘がないので、除夜の鐘も撞かずに年末恒例の友人家族との歳またぎ忘年会。中学時代から数えて三十数回、大晦日にそれぞれの家族揃ってという形式になってからも十数年になる。酒量は落ちた。でもこの時間は私の財産のひとつです。今年のテレビは何と言っても「猪木まつり」でジェロム・レ・バンナを破った安田だ!テレビ局の掌の上を思うように転がされましたが全然不快じゃない。

2001.12.28
地元消防団の年末警戒。しかし消防団というとなんで「宴会で乱れる」という印象を持たれているんでしょうね。少なくとも私が所属している第6分団はそんな楽しい?宴会は経験したことないぞ。

2001.12.27
大森東急インにて、仏教と雅楽について一時間ほどインタビューを受ける。坊さんが雅楽をしている、というのが奇異に思われるというのは、指摘されて初めて知った。確かに、耳にするときはほぼすべて宮中関連だから神社の音楽と思われても仕方ないのかもしれない。日本は神仏習合ですからね、などと勝手に納得されることもありますが、雅楽は日本古来の音楽ではなく、外来音楽です。輸入された時期もほぼ仏教と同じ。むしろ雅楽は寺にこそふさわしいのですが。

2001.12.26
寺報「ポピンズ」86号発送。これ、1カ月前に発送しているはずだったのが・・・

2001.12.20
府中ルミエールにて歎異抄勉強会。平日の午前中ということもあり、参加者は見たところ70代が中心に20人ほど。岩波文庫版をテキストに、正確に、精緻に読み進んで行く。この進め方では一般の方にはちょっと難しいのではないか、との危惧をよそに、みな熱心に二時間の講義に同行している。講師の元大谷大学助教授、三明智彰師の人がらが人に足を運ばせ、導いている。

2001.12.16
厚生年金会館にて小坂忠を聴く。・・・渋い!それに、聴衆の年齢層の高さも嬉しい。ゆったりと楽しませていただきました。

2001.12.12
東京教区青年僧侶協議会にて現在のエイズ事情をタイの例を中心に講演をしました。HIV/エイズは薬価に代表される南北問題、差別、いのちを考える上で様々な切り口を与えてくれます。一応2月のスタディーツアーの事前学習という位置づけだったんだけど、あれで参加者増加に効果ありましたでしょうか。

2001.12.9
渋谷クワトロにて吉田美奈子を聴く。オールスタンディングというのに一抹の不安は感じたが、その通り体力的に厳しいものがありました。曲も頭から最後までファンク。楽しいのは楽しいんですけど、STBのバラードナイトにすればよかったなあ。日程上そちらには行けなかったんですけどちょっと悔しい。

2001.12.8
延立寺本堂にて『テロにも報復戦争にも反対します 12.8市民集会』開催。話を頂いてOKはしたものの、こんな不便なところに人があつまるものか疑問でした。20人くらいの内輪の会でいいじゃない、というつもりが40人以上のご参加。年齢層は中年以上の方ばかりでしたが、寺で反戦集会というのは好感をもっていただいたようです。

2001.12.5
紋谷洋子さん七五三。細野ヨシさん帰敬式。どちらも本堂にて御祝いの儀式です。喜怒哀楽をお寺と共に過ごしていただきたいのが寺側の希望です。あ、怒は困るか。

2001.12.3
原宿クエストホールにてイッセー尾形を観る。ロビーにはこの20年間のネタの衣装を展示し、オークション。懐かしいー。展示してあった中で最も古い部類の『医者の新築』の衣装に入札参加(無事落札)。

2001.12.1
PTA行事で餅つき。はじめのうちは蒸気が蒸篭の上にあがらず、脇から洩れている。餅米の量を減らしたり、米の中央をくぼませたりしてみたが結局最大の原因は米の底に敷いていたさらしが蒸気を遮断していたことを発見。目の荒い布に替えて事なきとなった。蒸しあがりの悪かった米はいくらついても餅にならない。でも豚汁にいれるとキリタンポの風情でなかなかの美味。ちゃんと蒸せるようになってからは、つきあがると同時に子どもたちのお腹に消えていきました。

2001.11.29
地元の学校の運営協議会へ出席。来年度からの完全週五日制実施にあたり、子どもたちの受け皿を地域の方々にお願いしたいという趣旨の会議。しかし地域で町会などに関わっていらっしゃる方々が持つ、児童の保護者への不信感は相当なものと迂濶ながらはじめて知った。自分たちが汗をかかないで子どもだけ地域でお願いしますと言うのは無責任極まるとのこと。気持ちは分かります。でも児童を(広い意味での)地域で見ていくことは大きな危機管理に他ならないのですが。完全週五日制というのは、児童を地域に返す、というのが趣旨なわけで、その受け皿を学校主導でやるのは筋違いなのです。でも、現実的には軌道に乗るまではしかたないけど。

2001.11.28
新宿・常圓寺での『アジアン・フェスタ』にアーユスとしてブースを出して参加しました。。日蓮宗というのはセンスがいいのか悪いのか分かりにくい。NGOと協力して、という視点は評価できますが、目的とするところが実に不明。これ、よく企画が通りましたね。実際、一般客の動員は寂しかったし。

2001.11.23
「達」の字のしんにゅうの上にあるのは「幸」だと本日まで思っていました。法名に使ったところ御門徒から横棒が一本たりない、との御指摘。ええっ、と辞書で調べると御指摘の通り。25歳の時、「雄」の偏が「広」ではなかったことを教えられて以来のこと。なんで気づかなかったのでしょう。こういう思い込み、まだまだありそうだなあ。気づいた方は遠慮無く御指摘いただけると有難いです。

2001.11.16
福岡甘木へ日帰り。水の里のテーマパークはいくらバブルの絶頂期とはいえよく企画を通しましたね。思うに、盛りには車のヘッドライトもいらないという蛍に幻惑されたのでしょう、冗談じゃなく。5月末から6月半ば、その誘惑は流星群に数倍する。

2001.11.12
加藤晴之スピーカーの二組めが届く。音の良さとハイファイとは必ずしもイコールではない、ということを身をもって教えてくれるスピーカーです。足りないところはいくらだって挙げられる。ハイハットの突き刺さる音、バスドラムが震え唸る音に快感を求める人とは無縁。でもバランスの良さ以上に欲しいものはそんなになかったのかもしれない。

2001.11.11
延立寺の報恩講。今年はアイルランド音楽の演奏をお招きしました。アイルランドと聞いてエンヤを想像してはいけません。素朴。曲によってはモンゴル音楽を思わせる。似た旋律の繰り返しを少しづつ変化させて次第に聴衆をのせ、またリラックスさせていくのは民族音楽に共通した形ですね。ごく自然に手拍子もわき、ゆったりとした楽しさの、図らずも昼下がりにぴったりの演奏会となりました。

2001.11.8
既に入手していることを承知しながら重ねて本を買ってしまうことがある。場所はブックオフ。本の中身を問わずに美醜と発行年で値付けをしていく手法は、めったにあるものではないが確かに掘り出し物も誕生させている。先日見つけたのは井上鋭夫『一向一揆の研究』3.000円。持ってはいる。しかしこの本はどうみてもこの棚には不似合いだ。君はこんなところにいちゃいけないよ、と買い求めた私って、キャバクラで店の娘にこんな仕事辞めなさいと説教しているオヤジと同類のような気がする。

2001.11.5
NHK『ウォーター・ビジネス 水を金に変える男』を観た。インドでの水事情の悪さに頷く。かつてインド旅行をした際に、ツアーのほぼ全員が強烈な下痢をし、その原因がほぼ間違無くバスに積み込んだミネラルウォーターだった。なぜならそのツアーの中で下痢をしなかったのはそのミネラルウォーターを飲まずにビールばかり飲んでいた私ともう一人の友人、酔いどれ二人きりだったから。番組によるとあれはミネラルウォーターではなくてたんに水道水(これは地元の子どもも腹を壊す)をボトルに詰めたものだったのね。
極めて公共性の高い水が、商品としてごく限られた企業に操られる状況は、今の戦争を導いたものと全く無関係とは言えまい。

2001.10.24
『キリスト教か仏教か』(山喜房)の訳者、金漢益師と会食の機会をいただく。『キリスト教か仏教か』は、1871年から1873年にかけてスリランカにおいて行われた仏教僧とキリスト教牧師との討論の記録。スリランカがイギリスの植民地になったとき、スリランカの人々に対してヨーロッパ人はキリスト教への強引な改宗誘導をすると同時に、仏教徒に対して厳しい活動制限を行った。その中で立ち上がった僧侶グナーナンダ師が行った宗教論争の記録がこの書。一世紀前の一地方での論争にどんな意味があるのか、という疑問に対して監修者の中村元師は世界思想的な意義があると断ずる。その通り、現在のレベルから見てもこの対論がもたらすものは大と見た。
この書、訳者金師の祖国、韓国でも出版を試みたが現在まで叶っていない。キリスト教を批判するかのような出版は憚られるとか。キリスト教の性格がかの地ではかなりファナティックになっているらしい。感情を表に出しやすい国民性を見ると言ったら偏見がすぎますでしょうか。

2001.10.18
久しぶりにいとし・こいし師匠の漫才をテレビで見た。いとし・こいしと言えばもう30年以上前の「がっちり買いまショー」を思い出す。懐かしいのがゲーム開始前のいとし師匠の早口口上「3万円5万円7万円運命の別れ道」。この金額は後に5万円7万円10万円になったと記憶するがそれでも、10万円である。この金額を使いきれない出場者が大勢いたのだ。「10万円コースなら、まず冷蔵庫を買わないとだめだよ」などとテレビの前で必勝法を語りながら、「あー、それを買っちゃ駄目だー」とはらはらしたものだ。最低額の5万円コースでも、その商品を獲得するために必死で走り回る出場者と一緒に、テレビの前でどきどきしていた。
あの気持ちを今いったいいくらに設定したら再現できるだろう。新しく再開した「タイムショック」では1000万、2000万の賞金が用意される。「がっちり買いまショー」の実に100倍以上であっても、当時のスリルにはまるで及ばない。まだほんとうに「欲しいモノ」があった時代、いや、「モノが欲しい」という感情が生きている時代には今は体験不可能な種類の確かな喜びが存在していた。もちろん、当時は体験不可能な喜びを今自分は享受しているのだろうが、それが何なのか分かるのはやはり30年ほどの時間が必要なのだろうか。

2001.10.14
刊行中の小林秀雄全集を読んでいます。とんでもない値付けと思いましたが何よりこの装丁の見事さだけで納得。充分もとは取れました。と言っても豪華というわけじゃない、背革の感触も本文の紙質もただ心地好い。本にかかっているパラフィン紙などいつも何の気もなくすぐに捨てている私ですが今回は意識して剥がしました。こいつには手垢を擦り込ませるのが礼儀のような気がして。いや、装丁もそうですが、小林秀雄の下世話とも思える評論作法がそうさせているのです。

2001.10.10
演奏中に突然回転が停止してしまうトラブルがたびたび発生し、メーカー(Marantz)に修理を依頼しても症状は確認したものの原因がまったく分からずに修理不能で帰ってきたCDプレイヤー。曲が途中でストンと切れてしまうのってストレスたまるんですよねー。ということでしまい込んでいたのを未練がましく2年ぶりくらいに使ってみたらこれが調子がいい。しかしなぜかスタビライザーが使えなくなっている。これはよしとしましょう。いずれも原因不明。ああ機械はホントにわからない。

2001.10.7
本願寺築地別院にて一年ぶりに北條不可思コンサート。歌うお坊さんである彼の声は確実に力強さが増している。そして、歌詞に具体が見えてきたことを喜びたい。とはいえ、まだまだ歌詞に抽象度が高すぎる。かなり前、彼に、もっと物語性のある歌を歌ってほしい旨伝えたところ、個人的なことは歌わないと決めているとの返事。普遍的なことのみを歌いたいという気持ちは理解できるが、普遍的な言葉ばかり使えば普遍的なメッセージになるとは限らない。むしろ、極具体的なディテールを描写する中に映し出された普遍の方が遥かに人の心には深く響くもの。今のままではどうしても語彙に限りがでてしまうのも難点。ぜひ、物語から普遍へというスタイルも取って欲しい。

2001.10.6
渋谷「スペースじょあん」にて、店主土井和代さんの還暦パーティー。最首悟氏、小森陽一氏をはじめとする錚々たる面々のサービス精神を堪能しました。「俺は本の営業のために全国行脚するぞ」と叫ぶ小森氏。受け取り手を考慮しない学問に生きる場はないことを実感しているようす。

2001.10.4
浄土真宗はすがすがしくも、奇跡話を一切語りません(真宗が、ではなくて本来は仏教がそうなのですが)。でもそれがいわゆる宗祖の御旧跡寺院などにとってはちょっとやっかいなものがあるようで。やはり歴史のあるところには怪しげな伝説が生れるのはしょうがないもの。それを第一の売り物にするのはどうかと思いますが話のタネに紹介するのはありじゃないですかね。今回、延立寺旅行会で茨城の親鸞聖人御旧跡を巡りました。参拝した大覚寺、西念寺、浄光寺はそれぞれ興味深い言い伝えが残っています。それがあまり生きていないような印象がありました。もっと活用する方途はあると見ましたが。
参拝後は益子焼共販センターへ。ここ、こんなに店が集中しているとは知らなかった。さっと見てまわるだけでも予定の45分ではぜんぜん足りない。目移りばかりして結局何も買えなかった。子どもを連れてきても退屈させるだけだろうし、今度来ることができるのはいつになることか。

2001.9.30
相原勇、今井美樹、吉田美和とはからずも口の大きい女性にばかり心を寄せてきた私としては今日の高橋尚子の快挙(記録をとりに行ってその通りとってしまった。そのプレッシャーはいかばかりか)とゴール直後の満面の笑顔にはいくら御祝儀をはずんでもいいような心地です。
それはともかく、今晩の臥龍苑(八王子犬目の焼肉屋。名店!)は日曜夜にも関わらず客がいない。狂牛病の影響でしょう。海外であれだけ騒がれながら肉骨粉の流通を認めていた者たちの責任は大きい。薬害エイズ、古くは森永砒素ミルク、水俣病と同じ構図か。

2001.9.28
御門徒、中尾信氏のお葬式を延立寺にて勤める。柳宗悦を師として民俗学を中心とした日本文化を海外に紹介する仕事を長くお勤めでした。また、平和運動への思いも篤く、私が関わった市民運動のイベントにも必ず顔を出していただいてメッセージを残された。延立寺で法話会が始まり続いているのもこの方の助力によるもの。私の恩人。突然の御往生に呆然としながらお念仏申し上げます。

2001.9.25
「平和を祈念する宗教者たちの集い―暴力の連鎖を断ち切るために―」に参加。神谷町の光明寺にて。宗教者が集って法要して何になるの、というあまりにもまっとうな問いに対しては、参加者の誰もこれで何とかしようなんて思ってない、とだけお答えしておきましょう。宗教を何か目的達成のための手段としか考えられない方には無力なこととしか見えないでしょうが、示威を目的としない行動も存在するのです。集いの参加者は300人。

2001.9.22
紀伊国屋ホールにて青年劇場『カムサハムニダ』を観る。この劇団の作品は主題を台詞でしゃべりすぎなことがよくある。今回はまさにその欠点が露。役者の表現力や観客の理解力を信頼していないような。それが親切という見方もできますけど。韓国からの客演者は好演。だが生きていない。場面転換も不必要に多い。こんなことは劇団員も皆分かっているはず。脚本にダメを出すことはできないのでしょうか。

2001.9.18
千鳥が淵墓苑にて本願寺主催の全戦没者追悼法要。昨年のこの日、法要が終って内堀通りに戻ると目の前をレッカー移動されていくミラジーノ。「ああっ」と慌てる私を横目にした助手席の作業員は明らかに笑っていた。あそこで降ろしてくれれば、レッカー代はともかく、駐車料は発生しなかったのに。あれから一年の間に違反を重ねてすでに免停リーチ状態ですので、今年はちゃんと駐車場に入れました。でも、あそこに車を停めて誰の邪魔や危険になるのか、レッカー移動すべき車は他にいくらでもあるんじゃないかと今でも疑問。

2001.9.15
知人が出演するので水道橋の宝生能楽堂にて能を観ました。演目(でいいのか?)は春日龍神。知人がつとめるのは、唐・天竺に渡ろうとする明恵をとめる宮守の翁と龍神。あらかじめコピーしてくれたあらすじとみどころを片手にした初めての能は思いの外娯楽性が高く、楽しめました。退屈するだろうと構えていったのですがうれしい誤算。つまらない先入観など持つものではありません。

2001.9.7
宮崎及び鹿児島にて薩摩かくれ念仏の史跡を駆け足で巡ってきました。1597年の島津義弘の真宗禁止令に始まり1876年に至るまでの実に300年間にわたっての念仏停止。なぜ薩摩藩のみが弾圧をしたのか、そしてなぜ拷問などを受けながらも真宗念仏が絶えなかったのか、現在も定説がありません。一向一揆に見られる団結力を恐れたとか真宗信心の平等性を忌避したとかの説を採りたいところですが、当時の本願寺教団はすでに体制内集団でしたし、薩摩藩のみ、の説明とはなりません。しかし「首の飛ぶような念仏」を今私がどのように頂いているかは常に振り返っておきたいことです。

2001.9.3
携帯電話を機種変更しました。今まで使っていたのはDoKoMoのN203。実に、というほどのこともないですが丸4年のお付き合いでした。よくバッテリーがもってますね、と感心されましたが、不要の時は電源を切っていたのが功を奏したのでしょう。メールを使うつもりがないので機種変更をしないできたけど、最近感度の悪さが気になって。でも店頭でどれがいい機種だか判断のしようがない。で結局、一番売れているらしいという理由でN503iにしてしまいました。つい先日の雑記で、「売れている」から売れる状況の貧しさを嘆いたばかりなのに。私もやっぱり付和雷同。

2001.9.2
八王子駅南口駅前広場にて『多文化共生防災実験・ローカルアクションinはちおうじ』開催。辛淑玉さんがかけつけてくれて、神戸の市民放送局、FMわいわいの方とのかけあいを一時間。その爽快なこと。在日の仲間が炊き出しをしていたら、「私ら日本人なんですけど・・・頂いていいですか」と尋ねられて絶句。じゃああんたらの炊き出しは在日は排除してるってこと?とか。ふだん触れていないもの、慣れていないことへはやはり非常時には対処できませんよ。バリアフリーの現場は日常以外にはありません。それにしても辛さんはほんとにすてきな方ですね。
参加者は300名弱。人数としては少ないけれど、準備会立ち上げから一ヶ月でここまでできたのは良しとしましょう。山ほどある反省点も含めて、来年へ向けて早くもアイデアが出ています。

2001.8.31.
質は量に付随する。
しかし質は量に比例しないのも確か。
ゲーム作家・さくまきら氏によると、新作ゲームを発売したその日に当のゲーム会社が倒産してしまうという例はめずらしくないそうな。いまやゲームの売上は発売初日に分かってしまうそうで(競艇のようなものですか)、何人もの制作者が一年二年かけて作ったゲームが発売初日の売上不振で総倒れ。
ゲーム、CD、出版その他において、一部の売れるものとまったく売れないものの差が甚だしい状態が続いています。情報が溢れるほど、ものを選ぶ基準がただひとつ「売れている」だということなんですね。


2001.8.30.
歌人・枡野浩一氏の才能は、「私も短歌をよみたい、それはなんとか出来そうだ」とひとに思わせる点にもっとも発揮される。それはもちろん作品の力そのもののわけですけれども。自分もできると思ったのが錯覚だったとしても、錯覚を抱いた人数が多いほど歌人が生れる可能性は高まります。『ハッピーアイスクリーム』の加藤千恵の作品群は二度三度読みかえさせる力がありますもん。
間違いなく、質は量に付随する。


2001.8.28
八王子市役所記者クラブにて記者会見に臨む。駐車違反から逃れようとした謝罪会見、ではなくて、9月2日(日)午前11時から八王子駅南口駅前広場での「多文化共生防災実験・ローカルアクションinはちおうじ」の代表としてです。
昨年から始まった東京都の「ビッグレスキュー」が明らかに自衛隊の有効利用=ハード主導を柱に位置づけたのに対して、ソフト整備・環境の重要さを訴えるというのが趣旨のイベント。昨年の新宿に続いて、八王子では初めての開催です。
記者会見は新聞記者の方からの質問で企画の穴に気づかされたりと思わぬ益のある機会でした。
「多文化共生防災実験・ローカルアクションinはちおうじ」は、外国籍、障害者、女性、高齢者、子どもなど、災害時に二の次になってしまうことが予想される社会的弱者・少数者に視点を置いた実験です。中国・韓国・タイ・フィリピンなど多文化の屋台も繰り出します。災害時のバリア構築を許さないのは、日常の関係構築以外にはないのですから。


2001.8.24
『通販生活』で注文した加藤スピーカーが到着。さっそくつないでみる。
能率はかなり低め。というより現在使用中の長岡D-55が高すぎるのか。いつもBGM代わりに聴いている音量では音に広がりも艶もなし。しかし音量を上げていくとみるみる表情と艶と深みを加えていく。これ、ペアで27,000円は破格の安さじゃないの。ただしある程度の音量が出せる環境が欲しいですが(これはどのミニスピーカーにも言えることで、ミニスピーカーを好きな方は皆、大音量派みたいですね)。もう一セット買おうかなあと思案中。


2001.8.20
原宿クエストにて、イッセー尾形と桃井かおりの二人芝居を観ました。
イッセー氏の芝居はドラマ性のない日常に潜む濃いドラマ性を提示するのが一貫したスタイル。それが今回は殺人という極めてドラマ性の強い題材を扱いますが、スタイルはむしろ際だちます。殺人を犯した息子を案じる夫婦をはじめとして、とんでもない事態に遭遇した人間のまぬけで哀しくて愛すべき姿。胸にしみてしみて。桃井かおりも絶妙のノリ。

他力本願に生きる寺・延立寺
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