想像できる? (1998.9)
けい蛄 春秋を識らず、
伊虫 あに朱陽の節を知らんや (教行信証)
秋は突然やってきます。それは空の高さだったり、雲の細さだったり、風の軽さだったり、彼岸花の朱だったり、キンモクセイの香だったり、明け方の冷気だったり、トムの食欲だったり様々ではあるのですが。
セミは夏を知っているか
中でも、やはり虫の音の主役がセミからスズムシほかに交代したことは季節の切り替わりの最も鮮明な姿でしょう。
親鸞聖人は、著書『教行信証』の中に、中国の曇鸞大師という方の「けい蛄春秋を識らず、伊虫あに朱陽の節を知らんや」という言葉を引用されています。「けい蛄」とはセミ(ヒグラシ)です。「伊虫」は「この虫」、つまりセミを指し、「朱陽の節」とは夏のことです。
長い間土の中で過ごし、やっと地上に姿をあらわしたかと思えば、体力の限りを尽すかのように鳴き続け、わずか数日でその命を終ってしまうセミは、夏に生まれ夏に死んでいくから、春という季節も秋という季節も知らない。
夏しか知らない、他の季節を知らないということは、更に言えば夏自体さえも知らないということです。何かを知る上では、他との差異・他との関係を認識することは不可欠なのですから。
流されて
もちろんこの言葉は、セミの儚さや愚かさを哀れんだものではありません。実際にはセミは他の季節も充分知った上で、自分の短い地上生活を過ごす期間として夏を選択しているのでしょうから。
むしろ、繰り返し四季を体験し、季節を楽しむ術も持っているはずの私たちは、はたして本当にそれぞれの季節を知っているのか、そして今という時を確かに知っているのか、受けとめているのかと省みると、どうもセミより数段頼りないと言えそうです。
私たちは無意識のうちに、自分はなんでも知っている、分かっているという前提で毎日を生きています。しかし、実際には分かったつもりになって生きているだけではないでしょうか。あるいは分かろうとすることを避けて生きているだけではないでしょうか。
それは先の善導大師の言葉の「春秋」を「死」に、「朱陽の節」を「生」に置き換えてみると一層鮮明になります。都合の悪いものと対峙することなくやり過ごす生は、自ら深まりを拒否し、セミのような(と言うとセミに失礼ですが)虚勢の鳴き声を響かせるだけのものにならざるをえないでしょう。
関係したい
死と対峙しない生。昨今はそこから引き起こされる事件が多発しています。
今年の夏は続発する毒物混入事件にやりきれない思いをさせられました。事件の背景は一様ではないのでしょうが、不特定の人々に向けて毒物をばらまくという心理には、暗い悪意より先に、淀んだ孤独を感じずにはいられません。
痩せ薬と称してクレゾールをクラスメイトに送り付けた少女は、「まさか飲むとは思わなかった」と話しています。それは嘘ではないでしょう。彼女にとってクレゾールは、他者を傷つける武器ではなく、他者と(彼女なりの)コミュニケーションを取るための道具だったように思えてならないのです。同様に、他のいわゆる愉快犯や模倣犯にとっても、自作自演の狂言少女にとっても、毒物は「コミュニケーション」の手段であり、あるいは「社会参加」の一形態だったのではないでしょうか。
他との距離感を測れないまま関係を持とうとした結果が、歪んで逸脱した行動となる。哀しい喜劇です。
「けい蛄・・・」の一文は「春秋」を「他者」、「朱陽の節」を「自分」と読み替えてもいいかもしれません。他者の存在を無視していくことは、空回りしながら自分の存在を希薄にすることに直結します。また、自分の存在の希薄さは自分のいのちを軽んじ、同様に他者のいのちをも、たかを括ることとなってしまいます。
新鮮な生き方
私たちの目には映らないまま、私たちが生きているこの場を支えている大きな世界。それを多くの先輩は「浄土」と呼び表してきました。それは単なる「場所」ではなく、全体をもって私たちに常に問いを差し向けるはたらきそのものです。そこから問われていることは、どうやって見えない世界を見るか、という「手段」や「能力」ではなく、敢えて言えば、見えていない私、という自覚の深まりということのように思います。
他者も自分も見えていない私、という自覚を保つということは、そこに居直ることでは全くありません。見えていないという自覚のもとに、常に想像力を働かせて物事に相対する。仏教が教える「生きる」とは、そのような謙虚で、かつ新鮮な歩みなのでしょう。☆
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