救いの形 (1998.3)


 あの、中学生による神戸連続殺人事件の第一の被害者、山下彩花さんが襲われたのは三月十六日。それからちょうど一年が過ぎました。
 事件については一事件としてはかつてないだけの言説を生んだにもかかわらず、そのいずれもが言葉の至らなさと空しさとを伴わずにはおけないのは、少年の抱える闇の深さが、私たちが作り上げ、支えている社会の闇に通底しているという居心地の悪さが皆にあるからなのでしょう(だからといって少年の罪がいささかも減免されるものでないことは言うまでもありません)。
 そしてまた、言説の多くが興味本位の域を出るものではなく、それにより被害者が新たに苦しむ状況が生まれたことも忘れてはならないでしょう。

 事件に関わる言説の中で、おそらく初めて事件の当事者による手記が今年一月に出版されました。『彩花へ「生きる力」をありがとう』(河出書房新社)は、彩花ちゃんの母親、山下京子さんがあの事件からどう生きたかが綴られたものです。
 ここには被害者としての訴えがあるのは勿論ですが、それはもっぱらマスコミなどからの二次被害に向けられます。一方、A少年を語るときのまなざしは被害者という立場を脱して、驚くほどの深さを見せます。山下さんはこう記します。娘の死を通して何倍も深い人生を知ることができた。そしてその姿勢を教えてくれたのは事件から逝去までの一週間の娘の姿だった、と。

 三月十六日、尋ねられた道を案内する彩花ちゃんの頭部に少年がハンマーを降り下ろしたのは十二時二十五分頃。事件後およそ三十分後に病院に運び込まれた彩花ちゃんは、すでに意識はありませんでした。
 生きているのが不思議と医師に言われながら、彩花ちゃんは昏睡状態でいのちの姿を母親に示し続けます。その娘に寄り添いながら、いのちと向き合い、「死」の意味を見つめる日々。その中で山下さんは娘に促されるように気づきを重ねていきます。一週間を数え、細い息が途絶えたとき、山下さんの胸にあったのは絶望ではなく、たとえば次のような思いでした。
 「生き残った私たちが、どう希望をもって生き抜いていくか。悲劇さえも滋養に変えていけるか。そこにしか、彩花の人生を荘厳する方途はないように思えるのです」そして、「生と死をひとつのものとして力強く受け止めていかなければ、結局、いつまでたっても人間は根本的な不幸の足かせをはずせない」。
 
 この本の巻末で、山下京子さんは、加害者にむけて「最後にA君へ」と語りかけています。加害者と被害者という関係を超えて発せられたこの言葉を山下さんは「彩花が教えてくれた」そして、亡くなってまで、私に教えることを忘れない娘に、ただただ感謝の思いが溢れると結んでいます。

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