ぼくたちの好きな「陰謀」(1995.9)
信とはすなわちこれ審なり、験なり (教行信証)

『トンデモ本の世界』(と学会・編/洋泉社刊)という本が売れています。「トンデモ本」とは、とんでもない本のこと。「古代、アメリカは日本だった」とか、「月にUFOの基地がある」とか、ま、要するに、どう見ても常識とはかけはなれた話を、著者本人は大真面目に論陣をはっているんだけど、読者はあまりの与太話に爆笑するしかないという代物なわけですね。
 これらの本に共通しているのは「自分だけが世界の実相を知ってしまった」という興奮と、これを世に知らしめたい」という情熱です。しかし、もちろんそれらの珍説はまともに受けとられることはありません。そこで彼等は叫びます。「これは陰謀だ!」

私がモテないのも!

 数多いトンデモ本の中で、一般にも支持を受けている(売れている)ものに「国際謀略・陰謀」論があります。「競馬の着順はJRAが操作している」あたりはかわいいですが、非常に多いのが「裏でユダヤ組織やフリーメーソンが暗躍している」というもの。
 と言うと何ごとかと思うでしょうが、陰謀論者の言うには「外国人力士が増えた」のも「国鉄をJRと改称した」のも「フロンガス問題」も「マンガの隆盛」も、果ては阪神淡路大震災さえも秘密組織の仕業。彼等によると、五千円札をデザインしたのはフリーメーソンの人達だそうで、これにより我々を日々洗脳しているんだそうな。

世界を受け入れるため?

 これほどひどくないにしろ、正直言って私達は「○○は実は××が裏にいる」といった類の「ここだけの話」陰謀話が大好きです。
 自分だけが知っている「世間の裏側」。それが持っている魅力とは何だろうと考えると、少なくとも二つの要素があげられると思います。一つは、自分の責任を回避する道筋として。一つは、「答」への欲求です。
 真面目に暮らしているのに何か自分だけが損をしているんじゃないかという淡い不満感。それなりの努力はしても一向に世の中はよくなっていないという不信感。だれもが漠然と持っているこんな思いに対して、陰謀話は、甘美な香を持ってするすると忍び込んで囁きます。「それは君の責任じゃないんだよ。裏の力が-------」
 その声に興じながら世界を見たような錯覚をしている私たちは、オウム真理教に現在も残っている一般信者たちを決して笑うことはできません。

都合のいい答への誘惑

 実は、先ほど挙げたユダヤ陰謀話のほとんどは、オウムの出版物に繰り返し紹介されたもので、現在も教団に残る信者たちの多くはこれらの陰謀論を支えにしていると聞きます。
 世界を裏で動かしているのはこういう勢力で、だから我々は弾圧されているのだ------それは現状の自分を受け入れるための一つの答(説明)ではあります。しかし、この例に顕著のように、安直に与えられた「答」は、結局受手を思考停止させる方向に向かい、現在のオウムの信者のように「信用できる筋から仕入れた」情報に自閉するか、自分は事件に直接加わっていないので関係なしと言ってのけられる精神構造を作り出すこととなってしまいます。

問いを引き受ける

 前回のポピンズで、インチキ宗教の見分け方を紹介しましたが、もっと端的に言いましょう。どんな宗教団体にしろ、安易な答を与える宗教はインチキです。宗教の役割は、「答」を与えることではなく、「問い」を恵むものです。自分が生きていく上での様々なレベル、さまざまな場所での「問い」を、埋もらせることなく、目をそむけることなく、引き受けて育んでいく、その力を恵むのが宗教の働きだということは覚えておいてください。■

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