理解するということ(1993.12)
自力といふは、わが身をたのみ、
わがこころをたのむ、わが力をはげみ、
わがさまざまの善根をたのむひとなり。(一念多念証文)
今年もあと数時間を残すばかり。振り返ると連立政権誕生、奥尻島沖大地震、サッカーワールドカップ予選最終戦(あの瞬間、「人生」という筆文字が頭のなかを占領した)、コメ市場開放・・・重大ニュースばかり挙げてもきりがない、まったく、なんて一年だったんだと改めて思いますが、それらに隠れながら、決して忘れたくない出来事も多くありました。
しかたがなかった。何が?
そのひとつが服部剛丈君射殺事件への無罪評決と、事件への日米の反応です。
私がこの事件で印象に残ったのは、銃暴力が日常化しているアメリカの異常よりも、人が物事を理解しようとする時に必ず陥る「思い込み」と「レッテル貼り」についてでした。
昨年十月、パーティー会場と誤って他人の家を訪問した日本の留学生が、家人に射殺されたこの事件の評決が出たのが今年の五月。異例に短い協議の末、陪審員全員一致で被告は無罪となりました。
この事件は、日本では発生直後にも評決時にも大きく報道はされたものの、実際の日本国内の反応は非常にさめたものだった感があります。「アメリカは銃社会であり、少しでも過失があれば撃たれても仕方がない」こんな意見が何回も聞こえました。そして「フリーズ(止まれ)」という言葉を知らなかったのが悲劇だった」などと学校の英語教育の方へ問題がそれてしまったりもしました。
「思い込み」ゆえに
「郷に入らば郷に従え」が浸透しているのか、不思議なくらいの物分かりのよさ。私も始めは、アメリカじゃしょうがないな繙繧ニ服部君の運の悪さと軽率さに同情しただけの感想しか持たなかったのが正直なところです。しかし、人が一
人殺された事件について「アメリカだから」と単純にくくって分かったような気分になってしまう、それこそが悲劇の元だったのではないかと、最近あいついで発行された二冊の事件記録を読んで考えさせられました。
『アメリカを愛した少年』(講談社)と『フリーズ』(集英社)。
無罪評決を導いた大きなポイントは、事件がおきたルイジアナ州がアメリカの中でも保守的な風土が色濃かったことです。アメリカにおける「保守」とは即ち、銃の所持の肯定と、根強い白人優先意識にほかなりません。
そこでの裁判は陪審員の隣人と異邦人とのトラブルという形に誘導され、陪審員の(保守的な)感情がそのまま評決に表れてしまったのでした。
道を開く
事件全体に人種差別的色彩が強かった感は否めません。それがアメリカ?しかし、服部君の両親、政一・美恵子夫妻は、この事件が「アメリカだからしょうがないこと」という諦めの仕方は全く考えませんでした。また、被告ピアーズ個人への憎しみをどこまでもつのらせるという納得の仕方もとらなかったのです。
服部夫妻は、銃が野放しになっていること、銃の被害に人々の感情が麻痺してしまっている現状の打開運動を裁判に並行してはじめました。
そのひとつはアメリカでの銃規制に向けての日米での嘆願署名活動、そして、銃がなくても安全な生活が可能なことを アメリカの若者に日本の生活で体験してもらうための「YOSHI」基金の創設でした。
署名運動はアメリカでは内政干渉ではないかとの反発を受けながらも、わずか半年間に日米合わせて二百万人の署名が集まりました。アメリカの学生との対話を重ねる服部夫妻のもとには、評決がアメリカ全体を代表するものではないことを伝える声も数多く寄せられています。
生きているから
この十一月にアメリカの議会では、長年の懸案であった銃の販売を規制するブレイディ法案がとうとう上院を通過しました。
またつい先日のテレビニュースでは、家庭にある銃と好きなチケット(映画・コンサート・スポーツなど)二枚と交換するサービスや、玩具の商品券と交換するサービスが試みられ、大反響をよんでいると報道されていました。
アメリカ各地で具体化しはじめた銃規制の動きには、服部君事件での日本からの反応もいくらかは影響していると見ていい。
理解しえない現状を「文化の違い」で済ませてしまう物分かりのよさは、一見理解を示しているようでいて、実は全く逆に、理解する努力を放棄した怠慢でしかないのではないでしょうか。理解したつもりの「思い込み」は「理解」へは最も遠い位置にあります。人は物事に接する中で変わりうる可能性を持っています。それが「生」の内容だとおもうのですが。■
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