メメント・モリ〜死を思え(1993.6)
生死無常のことわり、 くはしく如来の説きおかせ おはしまして候ふうへは、 おどろきおぼしめすべからず候ふ。(御消息) 伊丹十三監督の映画『大病人』を観ました。どんな題材でも娯楽作品として仕上げてしまう伊丹氏の手腕は、はたして病気・医療・死といった重たいテーマをどう軽やかに料理するか。 さあ、ゆっくり楽しませてもらいましょう、と観ているとまもなく、どうも今回は様子が違うぞ、と座り直すことになります。軽やかは軽やかだけど決してジャンプはしない。淡々と進行する中にセリフのひとつひとつが尾をひいて、(ほんとに、名セリフがいっぱいです)こいつは・・・マジだ。 大病人は誰? 吐血により胃の異常を知ったとき、主人公・武平(三国連太郎)の癌はすでに相当進行していたのでした。しかし、主治医・緒方(津川雅彦)はそれを告げずに、胃潰瘍と説明して治療を進めます。 だんだんと衰退していく自分の体への疑惑と不安。 武平「何が最善だ、人の人生滅茶滅茶にしやがって。責任とれよ!俺の人生返せよ!」 緒方「おいおい人生なんか持ち出すなよ。人生は私の仕事じゃないよ。私の扱うのはあくまでも病気や体であって・・」 武平「俺の体だ!お前がメスを入れているのは俺そのものだ!俺の人生だ!俺のしあわせだ!」 主人公は、病院内で悲惨としか言いようのない延命治療の実際を目の当たりにして、こんなことなら、と自殺未遂をおこしてしまいます。 それをきっかけに、緒方と武平の妻、万里子は武平に癌の告知を踏み切るのでした。 癌の告知は医師の緒方にとっても、大きな試練でした。告知することは、それ以後の患者の(病巣だけではなく)人生そのもののいささかを引き受けざるをえないことを意味するからです。はたして、武平は告知を受けて、延命のための治療を拒否します。 緒方「しかし・・・」 武平「どうした?」 緒方「こわい」 武平「・・・」 緒方「治療をやめるわけだから・・・俺、そういうの習ってないから・・・治すほうなら信念持ってるけど、死なすのはなあ・・・」 武平「死なすと考えるなよ。死ぬまでこのじじいを一番よく生かすと考えろよ」 そして武平は自分が監督・主演を務める映画のラストシーンの撮影に臨むのでした。 いのちが見えてきた 伊丹氏自身が語っている通り、『大病人』は以前このポピンズ上で紹介した『病院で死ぬということ』(山崎章郎著・主婦の友社)がヒントになっています。延命医療現場の悲惨を描き、患者自身に自分の死と生を取り戻すことを訴えたこの本が出版されたのはもう3年も前。それからじわじわと売上を伸ばして、この夏には同名の映画が公開されます。 この本がひとつのきっかけになったのでしょう。ここのところ急に「死」に光があたってきました。今年6月に創刊した朝日ワンテーママガジンのしょっぱなのテーマが『死よ!!』であったり、NHKの人間大学では7月から『死とどう向き合うか』という講座が開かれたり。 明らかに、人々が「死」を意識しはじめたようです。決して『大霊界』のようなオカルト的にではなく。 おかえりなさい。 先日、あるところで『大病人』の話に関連して、「人々が死を見つめだしてきたのはいいことだ」という話をする機会がありました。その時、こういう意見をいただいたのです。「人々が死を意識するようになったのは、世の中が混沌として先が見えなくなってしまったことから関心がそっちに向いてきただけのことで、あまりいい傾向ではないのでは」 その方の言うのはおそらくこういうことでしょう。 特に日本では、この百年の間で、世間が混乱しているときに新宗教が隆盛になっています。維新期、戦後期、そして先頃のバブル期にも。それらは混乱した世間からの逃避行動といってもいい部分も確かにありました。それと現在の「死」への関心は同じではないか、と。しかし、私はそうは思いません。 私たちは無意識に、人生は明るいのがあたりまえ、と考えてきました。様々な健康法が絶対善として奨励され、その結果として「死」は巧妙に病院の中で「消去」され、芝居がかった儀式によって「解消」させてきたのです。 ここで「死」が関心内に入ってきたことは、人生は明るい、という思い込みが幻想に過ぎなかった、という気づきゆえではないでしょうか。明るいのが幻想なら、人生は暗いと考えるべきなのか。そうではありません。明るい、暗い、の判断はあくまでも自分の都合のいい価値観に基づいたものですが、そこでは都合の悪い要素にはあらかじめ目をつぶってしまっているものです。その最大の要素が「死」でした。 自分の「死」を再獲得すること。それは「死」によって照らしだされる「生」を再獲得することに他なりません。そうしてはじめて、分断された「生」と「死」ではなく、「生死」する者としての私の全体像が獲得できる。私たちはやっとその一歩にたどりついたのかもしれません。 『大病人』の中で、最後の撮影に向かう武平は、緒方にこう呟きます。 「俺は死なないつもりで生きてきた・・・結局生きてなかったんだ・・・俺はね、先生、今、生まれて初めて生きているよ。俺はしあわせだよ」■ |