立場が変わってはじめて分かった(2022.9)


光雲無碍如虚空 一切の有碍にさはりなし
光沢かぶらぬものぞなき 難思議を帰命せよ   (浄土和讃)

 八月三十一日朝のNHK番組『あさイチ』で、「医者が患者になって初めてわかった実際に役立つ『患者術』」という特集がありました。
 紹介された方のお一人、上野直人先生。乳がんの専門医です。がん治療では世界の最高峰とされるアメリカ・テキサス大学MDアンダーソンがんセンターの教授をお務めの上野先生は、ある日に体の不調を覚え、検査をすると骨髄異形成症候群(血液のがん)だと診断がくだります。治療法として勧められたのが骨髄移植。成功率は七割で、失敗した場合は命を落とすことになります。上野先生は迷います。不安に陥ります。そうなって初めて、患者の気持ちが分かったというのです。

  出来ないものだな

 実は上野先生には、病を発症する前に書いた著書があります。『最高の医療を受けるための患者学』(講談社+α新書)。患者になったらこうしたらいいですよ、と医師の立場から書かれたものです。
 「患者学」の第一に挙げたのが「分からないことは質問しよう」。医師の説明で分からないことや不安があったら何でも聞いてください,と書きました。
 しかし実際に自分が患者になってみると、質問が出来ませんでした。出来ないものだなあとつくづく思ったというのです。「質問をしたら信用していないように感じさせて不快にさせてしまうのではないか」「忙しい中を余計な時間を取らせて迷惑なのではないか」と考えてしまったからです。上野先生を診察するのは、上野先生が勤める病院の同僚です。仲間に対してさえそう思ってしまう自分に驚いた上野先生。親しくない医師に質問などなかなか出来るものではないと思い知ったとのことです。
 また、上野先生はかつて著書に「根拠の確かな治療をしよう」と勧めていました。病になると不安になります。疑心暗鬼になります。もっといい治療法があるのではないかと民間療法やサプリメントに頼る人は珍しくありません。それを戒めた上野先生でしたが、自分が患者になってみると、インターネットで自分の知らない治療法を探すようになったというのです。さすがにそれは同僚や家族から窘められたそうですが。
 上野先生は、患者の不安を今までの自分は全く分かっていなかったと振り帰ります。病から回復して診療活動に復帰した上野先生は、ご自身の経験から、患者学を更新されました。そこでは、「医者への質問は大事。だけどそれは難しい。だから、できるだけ一人ではなく誰かと一緒に受診しましょう。そして、何でもいいからまず一つ質問をするよう習慣づけましょう。質問が思い浮かばなかったら、医師の説明をオウム返しに確認するだけでもいいんです」と提言されています。

  命も気持ちも第一

 『あさイチ』で紹介されたもう一人、高尾洋之先生は脳神経外科医です。高尾先生はある日突然、体が全く動かない状態になってしまいます。検査の結果に下された病名はギラン・バレー症候群。末梢神経の障害で体が動かなくなる病気です。この病気の患者はこれまでも高尾先生は診てきましたが、自分の症状は診たことのない重篤でした。体が全く動きません。聴覚は正常に機能しているので診察をする医師の呼びかけや言葉はすべて聞き取れ理解できるのに、それに反応が全くできない。意識があることも伝えられない。周りの人からは、ただそこに物体として横たわっているとしか見えません。その孤独感。不安感。絶望感。それは今まで想像したこともないほど苦しいものでした。
 高尾先生は三年間の治療の後、退院して車椅子での研究生活に復帰されました。「以前の自分は患者の命を助けることが第一で、患者の気持ちは二の次でした。でも患者の苦痛は病気だけではないと知りました。孤独や不安は病気自体と同じくらい患者を苦しめます」とおっしゃる高尾先生は、ご自身の経験から、障害を持つ人たちがよりよい生活を送るためのさまざまなサービス開発に関わっていらっしゃいます。

  雲を光にすればいい

 病にかかるということが良くないことであることは間違いありません。しかしそれによって得られるものもあるのも事実です。特に当人が世界最先端の医師だったら。
 親鸞聖人にこんな和讃があります。
光雲無碍如虚空 一切の有碍にさはりなし
光沢かぶらぬものぞなき 難思議を帰命せよ
「雲は光となって碍(邪魔)でなく、虚空(さとり)と同じである。光らないものはなくなる。それが難思議(阿弥陀仏)のはたらきである」とおっしゃるのです。
 光は仏さまのはたらきです。雲はそれを邪魔します。なら、雲を散らすか。どかすか。消すか。いえ。雲をそのまま丸ごと光にしてしまえばいいのです。邪魔が邪魔でなくなるどころか、かつての邪魔者が自他を導くようになるのです。
 病という雲をそのまま、患者の気持ちを理解する光と受け止めた上野先生と高尾先生。気づきはご当人だけにとどまってはいられません。(住職)


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