「転ずる」意志と智慧(2021.3)


悪を転じて 徳を成す正智(教行信証)

 アメリカの大統領就任式ではケネディ大統領以来、詩が朗読されるのが伝統となっています。今年の1月20日、ジョー・バイデン新大統領の出発において、朗読を任されたのは22歳の黒人女性詩人、アマンダ・ゴーマンさん。その詩は、就任式の2週間前に起きた、トランプ支持者によるアメリカ連邦議会議事堂占拠事件に突き動かされて書かれました。アメリカの分断状況の深刻さを見せつけた事件に対して、アマンダさんは暗示や比喩や引用により応答してみせたのでした。  中にこんな一節がありました。
「うつむいた顔をあげ、人と人とを分かつものではなく、私たちの先にあるものを見つめよう。人びとの間に入った亀裂を塞ごう。未来を第一に考えるなら、互いの差異はまず脇におくべきと学んだのだから」
 ここでアマンダさんは、トランプ前大統領の政策を象徴する「第一=first」という言葉を、肯定的に捉え直しています。また、その他の箇所では「arms」という単語を続けて使い、それぞれに「武器」と「手をつなぐ」という別の意味を持たせて、「武器を置いて互いに手をつなごう」と訴えてもいます。これらから読み取れるのは、今ここにあるネガティブなものを、排除や消去ではなく、そのままポジティブなものへ転じていこうという明確な意思と智慧です。
 就任式ではアマンダさんが最も注目されましたが、他の発言者たちにも共通して感じられたのは、言葉への責任と信頼を回復させようという強い意向です。前政権の4年間は言葉からの信頼剥奪の連続でした。フェイクの言葉を量産し、他の言葉をフェイクと断じ続けました。思えば、前大統領の就任式で詩の朗読がなされなかったのは、その後の4年間の予告だったのです。
 翻ってわが国。責任ある立場の人物からたびたび、軽口・愚見が発せられます。当人の個性や年齢に原因を求める向きもありますが、それは間違いです。問われるべきは、無責任や無見識、あるいは差別的な言葉が発せられた時に、それを容認・看過する環境(を構成している者)に他なりません。
 アマンダさんの詩は、こう結ばれています。 
「光はいつもそこにある。私たちにそれを見る勇気さえあれば。私たちが光になろうとする勇気さえあれば」(住職)■

※参考にした和訳はこちらです。
https://courrier.jp/news/archives/229523/

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