「助けて」と言えたら(2020.3)万事について善き事を思ひ付くるは御恩なり。悪しき事だに思ひ捨てたるは御恩なり。捨つるも取るもいずれもいずれも御恩なり。(蓮如上人御一代記聞書) 新型コロナウイルスの感染防止策として安倍晋三首相が小中学校の臨時休校要請を打ち出したのが二月二七日(木)の夕方。文部科学省大臣さえその方針を聞いたのが当日の昼近くとのこと。現場は大混乱したであろうことは部外者にも容易に想像できます。 休校要請があった二日後の土曜夜、たまたま私は知り合いの、八王子市立某中学校教職員と顔を合わせる機会がありました。大変だったでしょう、と話題を向けると、「いやもう冗談じゃない。お上の言うことに従うのが自分らの立場だから仕方ないけれど」と心底疲れた顔で言ったあと、笑いながらこう付け足しました。「でも悪いことばかりじゃないんだ。今回の要請のおかげで、どうでもいい書類の提出や不要な会議がだいぶなくなったんでね」。 教職員が極めて多忙であることはよく知られるようになりました。その中でも時間をとられるのが膨大な書類の作成を代表とする事務作業。それを少しでも軽減して、子どもたちと向き合う時間を取りたいとの願いが現場にあることは前々から言われながらもなかなか改善が見られなかったのが、今回は大幅に認められたというのです。子どもたちとの時間も失ったのですが。 怪我の功名 新型コロナウイルスの影響はまだ底が見えません。気温が上がれば蔓延が収まるという期待はどうやら薄そうです。経済に甚大な影響を与えて気分もつい沈みがちですが、何事も、すべてがマイナスということはありません。新型コロナ関連でプラスになったことも無理やりにでも探してみましょう。 先ほど紹介した、無駄な書類作成提出が省略されたことは明らかにプラスでしょう。「不要不急の用事は謹むように」と言われて、さて、いつも考えもなく惰性でこなしていた作業が、必要か、急を要するのか、あらためて振り返るいい機会です。必要だが不急、というものは当然あるでしょう。急ぎだけれど不要なものはあるのかな。 そして、明らかに良い傾向を示しているのがインフルエンザ罹患率です。今シーズンの患者数は例年に比べてはっきりと少数です。これは今年が暖冬だったからという見方もありますが、暖かかった昨年末には例年並の患者数だったのが、新型コロナが騒がれると時期を同じくして数を減らしていったのです。これは、新型コロナウイルスが、インフルエンザウイルスを駆逐したことを示しています。ということではなくて、新型コロナ対策として広く推奨されている手洗い習慣が、インフルエンザ予防にも有効だったと見るのが妥当でしょう。新型コロナは期せずして、インフルエンザ予防の社会実験を全国レベルで実施することに寄与したことになります。 デマとは分かっているけれど そして新型コロナは、困ったときの対応を考えさせてもくれました。 感染拡大予防としてマスクの品薄が続いています。加えて次にはトイレットペーパーがなくなるとの噂が広がり、スーパーの棚はたちまち空になりました。トイレットペーパー不足はデマであることがすぐにメーカーからも表明され、事実数日のうちにお店の棚には潤沢に戻りました。 しかし不足はデマであっても一時期補充が間に合わず、店の棚から消えた時期があったのは事実です。その時にたまたま自分の買い置きがなくなることはありえます。デマと分かっていても開店前の店に並ばなければならなかった人を笑う気にはなれません。 そんな中での、あるラーメン屋さんの話。トイレットペーパーの在庫がなくなりそうになったことをネットに書き込んだのです。「うちの店にトイレットペーパーがあと一巻しかなくなりました。トイレットペーパーを持参してくれればラーメンを一〇〇円割引します」と。これを読んだ人がトイレットペーパーを持って店に向かうと、先に持参した人が多数いて店には充分な量になったので、必要な人にタダで差し上げますと店の前に積んであったとのこと。そう、困った状態からの脱出法は第一に、「困っています。助けて」と声をあげることだったのです。 それは窓になる 助けて、と声に出すことがはばかられる風潮があります。助けてと言っても、困難な状況に陥ったのはあなたの自己責任、と責を問われるだけだと怖れる人がいます。一方で、困っていることを可視化することで困難が緩和した例も続々と見られます。 ライブハウスでの感染が報道されたこともあり、ライブの自粛が続いています。突然の中止・延期により音楽事務所や演奏家たちが被った直接的損害は少なくありません。それへの支援をクラウドファンディング(ネット経由での寄付募集)で呼びかける例がいくつも見られ、良い反応を見せています。クラウドファンディングの運営会社にも、内容に応じて手数料を割り引いたり無料にしたりの対応が見られます。 「『助けて』と言えたらもう助かっている」と言った人がいます。自分には弱点がある。それを自認でき、他者に開示出来た時、もう弱点は弱店ではなく、他者とつながる窓となります。しかし「私は弱い」とはなかなか言えないのがこの私。そのために仏さまは「南无阿弥陀仏」というお念仏をご用意くださいました。(住職)■ |