死で終わりではない、いのち(2019.9)


還相とは、かの土に生じをはりて、奢摩他毘婆舎那方便力成就することを得て、生死の稠林に回入して、一切衆生を教化して、ともに仏道に向らしめたまふなり。(教行信証)

  NHK朝の連続テレビ小説『なつぞら』が今月末に最終回を迎えます。
 物語は昭和21(1946)年に始まります。戦災孤児の主人公・なつが、父の戦友に引き取られ、北海道・十勝で高校時代まで過ごし、その後は東京でアニメーターとして活躍するまでを描いた本作品。登場人物が美男美女揃い過ぎたり、主人公の周囲にいい人が揃い過ぎたりという欠点はありながら、私はこの作品を有難く思いました。「人は死して終わりではない」「人は死してなお人を支えるし、人は亡き方に支えられながら生きる」という人のいのちの真実の姿を示してくれたからです。

「いつでも、どこでもさ」

 なつは父を戦地で、母を空襲で亡くします。なつの父は戦地から遺書代わりに娘へ向けて手紙を書きます。それが戦友の手を通してなつの手に渡ります。その手紙にはこう記してありました。
「この手紙をお前が受け取った時には、父さんはもうこの世にはいない。だけど今も一緒にいる。だから悲しむな。(略)これからは、いつも一緒だ」  なつはこの手紙を常に身近に置いて、折りにふれて読み返しています。それにより生きる力を与えられているのです。手紙が生きる支えになっているのです。そのシーンにナレーションがかぶります。「なつよ。私は約束通り、今もおまえと一緒にいるよ」。そう、この作品のナレーターはなつの父という設定です。物語が死者のまなざしの中で進行していたのです。
 そして物語の終盤、幼なじみの画家・山田天陽が病気で急死します。天陽はなつがアニメの世界に進むよう背中を押した恩人であり同志でもありました。弔問のために天陽のアトリエを訪れたなつは、キャンバスに描かれた天陽の自画像の前に座ります。大きな喪失感とともに仕事への迷いもあったなつでしたが、天陽と向き合い語り合う中で、自分の進む道を確認していきます。天陽にまた背中を押されたのです。ここにナレーションが入ります。「なつよ、まだ何も終わってはいなかったな」。その声になつは確かにうなずきました。なつがナレーションに反応したのは、作品中ただこの一回だけです。
   なつは家族に宣言します。「天陽くんと話して、仕事をやるって決めた」え?いつ話したの?訝しげな家族になつは微笑んで、こう応えました。「いつでも、どこでもさ」。

私たちにも届いている

 なつの父からの手紙や山田天陽の自画像は、なつの生きる力となり、支え導くはたらきをはたしています。それらはもちろんフィクションの設定ですが、実は現実の私たちにも手紙や自画像は届いているのです。私たちが読んでいるお経はまるまる、仏さまからのお手紙です。その内容はまさに先のなつの父が書いた手紙と一緒。「私はいつもあなたと一緒にいます」という仏さまのお心を繰り返し言葉を変えて伝えてくださっているのが、お経なのです。
 また、本堂やお仏壇の中心に安置されている阿弥陀さまの姿はそのまま、仏さまの自画像です。その前に座れば、座っているときだけでなくいつでもどこでも語りかけてくださっていることを思い出せます。

それは浄土真宗だからです

 嬉しいことに、天陽はご門徒という設定でした。法名は「釋浄陽」。
 放送直後、ネットでこの法名が話題になっていました。短すぎるんじゃないかと。「戒名の短さに山田家の貧乏さが滲み出る。そこまで下げる必要あるのかなぁ」「戒名が素朴(金がないのか)」「戒名が短いの。 高名な画家さんなら絵にまつわる文字を入れて貰えそうだけど貧乏だから仕方ないわね(・?ω・?) 」
 三文字の法名について、山田家がお金を出していなかったからと邪推する人が少なからずありました。もちろんこれらの感想はネット上でもすぐ指摘が入りました。浄土真宗の法名の基本の形ですよ、と。
 浄土真宗の法名(「戒名」はありません。浄土真宗には「戒」がないので)は「釋○○」が原則です。「釋」は「おしゃかさまの弟子・仏教徒」の意味で、「みな仲間・平等」を示している文字でもあります。「浄陽」は「強く清らかな日の光」。つまり「アミダ」を表していると思われます。ちなみに、山田天陽のモデルとなった画家・神田日勝の戒名は「晴耕院画道日勝居士」。それをわざわざ浄土真宗に設定を変えたのは明確な意図があるとしか思えません。私が想像するにそれは、「いつでも・どこでも」といういのち観を描くうえでよりふさわしかったのが浄土真宗の世界観だったのでしょう。それを思うと、登場人物がいい人揃い過ぎなのは、彼らは菩薩だったのですね。いやそれは我田引水が過ぎました。(住職)■

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