願いをたくして(2018.6)


生死の苦海ほとりなし 久しく沈める我等こそ 弥陀弘誓の船のみぞ 乗せて必ず渡しける(高僧和讃)
 今年の五月二日、延立寺墓地の頂上に一本の苗木が植えられました。高さは三十cmほど、一cmに満たない幹から四本の枝を伸ばした、アオギリ。遠く広島から贈られたものです。
 このアオギリは被爆二世です。七十三年前の八月六日広島。原爆の熱戦と爆風を爆心地から一.三qの場所で受けたアオギリの木がありました。枝葉はすべて失い、幹も半分が焼けて枯れ木同然になってしまいます。しかし翌年春には芽ぶき、その姿は被爆と敗戦の中で虚脱状態にあった人びとに生きる勇気を与えたと言われます。
 その被爆アオギリは現在、広島市が保護をしており、市は、つけた種子から育った苗木を「被爆アオギリ二世」として、戦争の惨禍とそれを克服していく願いの象徴として国内外に届けています(公共のスペースや、一般の人が見ることができる場所であることが条件。個人は対象外)。その数はこれまでに七千株以上とのこと。
 国外の代表としては、原爆投下命令を下したアメリカのトルーマン大統領が建てたトルーマン図書館の庭に植えられたそうです。  八王子には長く核兵器廃止運動を続けている被爆者の方がいらっしゃいます。その方とのご縁から、昨年にはアミダステーションで被爆アオギリを題材にした映画『アオギリにたくして』を上映。そしてこのたびの被爆アオギリ二世の受け入れとなったものです。
 成長すれば十〜十五mになるとのこと。延立寺を見守る平和のシンボルとして紹介出来る日を楽しみにしています。(住職)■
 
広島市からのメッセージ
 
 昭和20年(1945年)8月6日、爆心地から北東へ役1.3q、広島市中区東白島街の旧広島逓信局の中庭で被爆したアオギリは、爆心地側の幹半分が熱戦と爆風により焼けてえぐられましたが、樹皮が傷跡を包むようにして成長を続け、焦土の中で青々と芽を吹きました。
 その後、被爆アオギリは昭和48年(1973年)に平和記念公園に移植されましたが、“平和を愛する心”“命あるものを大切にする心”を後世に継承するため、この被爆アオギリが実らせた種を発芽させて育て、成長した苗木を「被爆アオギリ二世」と名付けて配布しています。
 皆さんの手で大きく育て、平和の尊さを伝えていってください。

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