死は負けではない。別れでもない。(2017.9)


ただ念仏の衆生を観そなはして、摂取して捨てざるがゆゑに、阿弥陀と名づく (教行証文類)
  六月二十二日、タレントであり歌舞伎役者市川海老蔵さんのお連れ合い、小林麻央さんがお亡くなりになりました。
小林さんはご自身の病気を公表されてからは、闘病生活をブログに綴っていらっしゃいました。それらは現在でもネットで公開されています。
ほとんどがなにげない日々のひとときを綴ったものですが、それだけで普通の日常の輝きを伝えるものでした。時には不安な心も正直に吐露していらっしゃいます。そしてしばしば、ご自身の写真を添えています。
タレントとして活躍をされていた麻央さんが、病気で衰えている姿を公開することに抵抗がないとは考えられません。しかしそれ以上にご自身の人生への自信が公開を可能にさせていたのかもしれません。
 最後に書かれたのは六月二〇日でした。
「オレンジジュース おはようございます。ここ数日、絞ったオレンジジュースを毎朝飲んでいます。 正確には、自分では絞る力がないので、母が起きてきて、絞ってくれるのを心待ちにしています。 今、口内炎の痛さより、オレンジの甘酸っぱさが勝る最高な美味しさ! 朝から 笑顔になれます。 皆様にも、今日 笑顔になれることがありますように」
 お亡くなりになったのはこの二日後でした。
 ブログは、ご当人にとっては回復への記録だったかもしれません。しかし誤解を怖れずに言えば、死にゆく者の記録とも言えるものでした。そしてそれは、負けていく記録ではありません。尊厳あるいのちの事実の記録です。
 
  いま支えられている

 麻央さんの死に、多くの方が追悼のメッセージを発していらっしゃいます。その中で私が特に感銘を受けたのは仲代達矢さんのツイッターの文章でした。麻央さんが亡くなって五日後、六月二十七日に書かれたものです。
「私事で恐縮ですが、今日は女房の命日です。 二十一年もたつのに、いまだに彼女に支えられて生きております。一体どれだけ先の事まで考えて逝ったのかと、感謝に加え、年々お疲れさんという気持ちになっております。 でもこういう共存の仕方もある。海老蔵さんにも頑張ってもらいたいなと不意に思いました。陰ながら。    仲代達矢」
 仲代さんは二十一年前に妻の宮崎恭子さんを膵臓がんのため亡くしています。女優だった恭子さんは、仲代さんと一九五七年に結婚してからは、仲代さんをサポートするために女優を引退し、脚本家・隆巴として映画『姿三四郎』『いのちぼうにふろう』などで筆をとられました。さらに一九七五年には、仲代さんと共に自宅の稽古場で無名塾を立ち上げて後進の指導にあたるなど、仲代さんを支え続けの人生でした。
 その恭子さんが亡くなって後も二十一年間、仲代さんはずっと恭子さんに支えられてきたとおっしゃいます。それのみならず今、お疲れさんと声をかけていらっしゃいます。
 これは仲代さんの実感だと思います。恭子さんは、決して思い出の中だけ、写真の中だけにいる方ではない。魂とか霊魂とかでもない。いのちの事実として、今自分とともにある。それはまさに,仏教の「仏」のありようにまるまる重なります。
 
  すわらせて 

 仏教では先立たれた方のご命日をご縁に、法事を営みます。亡き方のために、残された者が営んであげる、それが法事だとお考える方が少なくないようですが、実は方向が逆です。お念仏のものに亡くなられた方は、仏さまとなって、阿弥陀さまと同体となって、迷いや悲しみの中にある私を支え導くお仕事をしてくださいます。阿弥陀さまは「他人」ではないのです。
 阿弥陀さまは、今ここに、はたらいてくださっています。私の口から溢れ出るお念仏は、私を思い続けるいのちの響きです。それは、先だったあの人の、いのちの響きです。私が思うより先に思ってくださるはたらきがあるのです。それに遠慮をしなくていい世界があるのです。
 そのことを教えている詩をご紹介します。作者の矢崎氏は、世間から忘れられていた金子みすゞの作品を発掘して、世に知らしめたことでも知られます。
 いす   矢崎節夫
いすは ひとを すわらせて
こころの おもさを はかります
きょうは かるいか おもたいか
ひとは いすに すわって
こころの おもさを あずけます
かるいも おもいも そのままに
             (住職)

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