カッコいいとは、こういうことさ(2015.12)


何事もみな念仏の助業なり   (和語灯録)

今年度のノーベル賞は、医学生理学賞に大村智・北里大学特別栄誉教授、物理学賞に梶田隆章・東京大学宇宙線研究所長の二人の日本人が受賞しました。
大村氏の受賞理由は、「寄生虫病に対する新しい治療法の発見」です。熱帯地方に広まっていたオンコセルカ症(河川盲目症)は、ブヨが媒介する寄生虫病で、猛烈な痒みを引き起こし、網膜に入り込んでしまうと多くが失明してしまいます。これにより、かつてはアフリカでは毎年5万人が失明、感染者は数千万人いたと言われています。 大村氏は微生物の研究から家畜用動物に有効な菌を発見し、それを人間向けに改良した薬剤「イベルメクチン」を開発したのでした。
額にして数百億円とも 大村氏の功績は発見・開発にとどまらず、それを普及させたところにもあります。特許権の一部を放棄したのです。それもあってWHO(世界保健機構)はアフリカや中南米など、十億人以上にイベルメクチンの無償提供を行うことができました。大村氏が医学生理学賞だけではなく平和賞にも値すると言われるゆえんです。
大村氏のノーベル賞受賞が報じられた同日の新聞には、大村氏の写真に並んで、「TPP大筋合意」の記事が大きく報じられました。長年協議が続けられてきたTPP(環太平洋経済連携協定)は、日本では農作物への影響が懸念されますが、交渉の中で最も難航した分野が「知的財産権」、特に医薬品のデータ保護期間でした。高額な開発費を長い期間で回収したいアメリカを強欲と見るのは単純すぎるとしても、人の命に直結する分野での経済戦略には釈然としないものを覚えます。この時期に大村氏へノーベル賞が授与されたのは、公益分野での知的財産権へのノーベル財団のメッセージとも思えるのですがいかがでしょう。

「偉いのは微生物」

大村氏はノーベル賞受賞決定後のインタビューに答えて、「私の仕事は微生物の力を借りているだけのもので、私自身がえらいものを考えたり難しいことをやったりしたわけじゃなくて、全て微生物がやっている仕事を勉強させていただいたりしながら、今日まで来てるというふうに思います。そういう意味で、本当に私がこのような賞をいただいていいのかな」 と語っています。偉いのは微生物であって自分ではないと。いやもうしびれます。
また、大村氏の関心は美術にも深いものがありました。開発した薬品のロイヤルティーで日本画を収集し、それらコレクションを新築の美術館とともにそっくり山梨県韮崎市に寄贈しています。その理由は「芸術品は自分で持っていても意味はない。こどもたちに見せてあげることで初めて価値がある」んー、どこまでカッコいいんだろう。

知らずにすくっていた

大村氏は研究者になる前は定時制高校の教師でした。夜間の工業高校で、生徒は近辺の工場から仕事を終えて駆け込んできて勉強する人がほとんどです。
あるときのこと。大村氏が期末試験の監督をしていると、飛び込んできた生徒の一人が、手に油がいっぱいついていました。それを見た大村氏、「私は一体何なんだ。ショックだった。もっと勉強しなきゃいかん。本当の研究者になろう」。
疲れながらも勉強をしようとする生徒の姿が大村氏を研究者に進ませ、それがやがて何億人ものいのちをすくう成果を生んだのです。当の生徒は自分の姿がそんなことにつながるとは全然知らずに人生を送ったに違いありません。人は自分の気づかないうちに、意図しないで、人をすくってしまうこともあるのです。自分が生きているということの影響は自分の思いや想像を遥かに超えて広がっているのです。

おかげさま

大村氏の生きる姿勢の原点は幼少期にありました。小学校教師として忙しかった母の代わりに面倒を見てくれた大村さんの祖母が「とにかく人のためになることを考えなさい」と繰り返したといい、「研究者になりましても、分かれ道に来たときはそういう基準を考えた」とのこと。
大村氏は人生を一貫して「おかげさま」で生きてこられた方のようです。微生物のおかげ、美術品のおかげ、定時制高校の生徒のおかげ。いっしょに研究を続けてくれた共同研究者のおかげ。おかげさまで生きるとこんなに人生楽しいよ、と身をもって示してくださっています。
すべてをおかげさま、といただくところには孤独はありません。世界がどんどん広がって行きます。逆に、俺が、私が、と我を張っていくと世界はどんどん狭まります。 南無阿弥陀仏という響きは、おかげさまだよ、という仏さまからの呼びかけです。おかげさまを忘れているよ、と心配してくださっている声です。おかげさま、おかげさま、そのものの声です。 ■

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