法事をしよう。(2013.12)


 願わくはこの功徳をもって、平等に一切に施し、同じく菩提心を発して、安楽国に往生せん(帰三宝偈)

 延立寺では、毎年暮れから年明けの二月くらいまでの時期に、該当するご門徒へ年回法要のご案内を差し上げています。
 お亡くなりになってから一年後に勤めるのが一周忌。丸二年後に三回目の命日を迎えての三回忌。それ以降は七回忌十三回忌十七回忌と、一桁が三と七の年に年回法要を勤めるのが通例です。

何回忌まで?

「法事というのは何回忌まですればいいのですか」とのお尋ねをいただくことがあります。
 Yahoo!知恵袋などのインターネット上での相談室をのぞくと、そういう質問はけっこう寄せられています。そこにはさまざまな答えが寄せられていて、地域差も大きいようですが、三十三回忌か五十回忌を区切りとするのが多く見受けられます。中には「十三回忌までが普通です」と断言しているのもありましたが、これはまだ少数派。
 では、何回忌まで勤めればいいのでしょうか。答えは、「いつまででいい」ということはありません。身近なところで言えば、昨年は浄土真宗の宗祖・親鸞聖人の七五十回忌が各地で勤まりました。親鸞聖人の場合は五十年毎に勤まり、八百回忌も勤まるでしょう。
 しかしすべての人の法事を延々と勤めるというのも現実的ではありませんので、ある程度の線引きはしていいでしょう。延立寺のご案内は一応五十回忌まで差し上げています。

法事は洗面

 いつまで勤めればいいのか、という疑問は、法事を義務的なものと感じるところから生まれるのでしょう。あるいは法事を勤める意味が、故人(への追善)のためとお考えだからということもあるでしょう。
 その見方はちょっと転換していただきたいのです。
 法事の主役は誰か、と問われたらどうお答えになるでしょうか。多くの方が命日を迎えた故人と考えがちです。あるいは阿弥陀如来とお考えの方もあるかもしれません。お坊さんが主役、という方は・・・ありがたいですが、いずれも違います。
 法事の主役は、そこに参集した人ひとりひとりです。浄土真宗の法事は、故人を縁とする人(々)が、わが身わが姿わがいのちをふりかえり確認する機会に他なりません。故人のために勤めるのではなく、仏さまとなった故人に呼びかけられている身として、自分のために勤めるものです。
 法事を勤めるとは喩えれば、寝坊した自分が親に起こされ促されて、顔を洗うようなものです。いつまで顔を洗えばいいのですか、という問いには、汚れなくなるまで、と答えるしかないでしょう。洗面は義務ではありません。顔を洗わなくても生きるだけならさして支障はありません。しかしよりよく気持ちよく生きるには、たまには顔は洗う方がいいのではないかと思います。

法事は贈り物

 法事という場所と時間は、仏さまである故人からの贈り物です。
 人が何かを贈る時には、必ず理由があります。お祝いとして贈ることもあるでしょう。あるいはお礼として贈ることもあります。そして、そのものが相手にとって必要と考えたから、あるいはそれが相手に足りないと思ったから贈ることがあります。脚が弱った年配の方に杖を贈ったり、被災地に支援物資を贈ったり。相手にとって必要であり、足りないものを贈る。仏さまが法事を贈り物とされたのは、それが参詣者にとって必要だからであり、足りないからです。
 私たちは、ふだんは生活や家事や育児や遊びに追われて、心静かな時間をなかなか持てません。そんな中ではわが身わが姿わがいのちのありようなど、考えようともしないのが正直なところでしょう。そんな姿を誰よりも心配してくださっているのが仏さまです。私たちの様子を見かねて、せめて自分の命日くらいには、心静かな時間を持って、仏の教えに触れてくれよ、と呼びかけてくださり、その応答により実現するのが法事の場所と時間です。
 さらには、ふだん顔を合わす機会がなくなった人と法事を縁として再会するということもあるでしょう。これもまた法事の大きな役割です。法事は、自分が都合をつけるものではありますが、仏さまからの貴重な贈り物だとお受け取りいただくことを願います。

その場で終らない

 法事は仏さまからの贈り物と説明したときに、「ではなぜお布施を払わなくてはいけないのですか」と問われたことがあります。贈り物に対して対価を払うのはむしろ失礼、と。お布施が法事の対価や料金であると考えると当然でてくる疑問でしょう。布施は対価・料金ではありません。法事を機会・きっかけとして、他の人にも利益を広めようとする寄付行為です。ここでの他の人とは寺の人ではなく、その先につながる人々。寺や僧侶は媒介として預かっているものです。延立寺の内外での諸活動はそのような思いが形になったものです。法事はその時その場所だけで完結しているものではありません。四方八方十方に影響は広がります。
 どうぞ法事をお勤めください。■

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