生き心地の良さは(2013.10)


 大小の聖人・重軽の悪人、皆同じく斉しく選択の大宝海に帰して、念仏成仏すべし(教行信証)

  東京では毎日、人身事故で電車が止まっています。事故の原因では携帯電話に気をとられてホームに転落するというケースが少なくないそうなのですが、自ら身を投げるケースが多くあるのも事実です。
 年間3万人が自ら命を絶つ現代日本。その中で、人口に対する自死(自殺)率がきわだって低い町があります。徳島県の海部町。地図上では四国の右下。和歌山の向かいの海沿いの町です。
 人が自死に向う原因はさまざまです。経済や健康の問題はもちろん、気候や地形などの外的要因も影響しているとも言われます。しかし外的条件が全く変わらない両隣の町は自死率が全国平均より高いのに、海部町は全国で最も低い自死率を示しているのです。いったい何が違うのか。それを明らかにしたレボート『生き心地の良い町』(岡檀著・講談社刊)からは、この町の人々の興味深い姿が浮かび上がります。

いろいろでいい

 まず質問です。海部町と隣のA町とを比べてみます。
 住民の絆がしっかりしているのはどちらでしょう。具体的には、老人クラブの加入率が高いのはどちらでしょう。
 もう一つ、続けて質問です。赤い羽根募金額が高いのはどちらでしょう。
 答は、両方とも、海部町は低く、A町は高いのです。これは、海部町の人々が横並びを嫌うことを示しています。
 老人クラブへの加入率が高いのは、一見、人々のつながりが密接な証のように見えます。そしてそれは自死の抑止につながるような気もします。しかしクラブへの加入はしがらみで仕方なくということもあるのではないでしょうか。赤い羽根も、横を見ながら、多からず少なからずと募金しているケースが多いのではないでしょうか。しがらみは、時に、人間関係を固定化し、人を窒息させます。
 海部町の人々はケチなのではありません。使用目的が明確な寺の寄付などにはポンと応じたりもしています。しがらみから自由なのです。
 しがらみから自由だと書くと、人間関係に淡泊なのだと思われがちです。でもそうでもないのです。海部町の人々が町を出て他所の土地に住んだ時に、例外なくこう感じるそうです。「なんでみんな他人に無関心なんだろう」と。海部町の人々は、他人には関心があるのです。その上で、それぞれの人を許容する風土があるのです。いろいろな人がいて当り前。いや、いろいろな人がいた方がいいのだと。

病は市に出せ

 また質問。鬱病の患者が多いのは海部町とA町のどちらでしょう。
 答は、海部町です。意外ですね。これは、鬱病の人の数ではなく、鬱病で病院にかかっている患者の数というところがポイントです。つまり、海部町の人は鬱病で病院にかかることに抵抗がないということなのです。自分が病気持ちだということを恥じないということであり、悩みを開示できる環境があるということです。病を知られたくない、自分の弱さを認めたくないという心根が、苦しいのに医者にいかず、自らを滅ぼすというケースは少なくありません。
 海部町にはこんな言葉が伝わっています。「病は市に出せ」。市とは市場。マーケット。つまり病気は人前に公開せよ、それが病を癒す近道だというのです。
 私たちは、隣人との関係が薄くて絆が弱いと自死率が高くなると思いがちです。しかし前述の通り、海部町とA町とで隣人とのコミュニケーションを比べると、海部町よりもA町は住民どうしが強い絆に結ばれているように見えます。調査からは、その強い絆が、外に向っては排他的にもなり、内に向っては自分の苦しみや問題を開示できない作用を生んでしまっているようすが窺えます。

幸せですか
 
 さて、最後の質問です。自分は幸せと感じている人が多いか少ないか。
 海部町では、「自分が幸せだと感じている人は少ない」という結果がでました。自死率が低い町に住んでいる人は自分を幸せだと感じているだろうと思ってしまいますが、違ったのです。実は海部町は、「自分が不幸せだと感じている」人も少なく、「幸せでも不幸せでもない」人の割合が一番多かったのでした。海部町の人はこう言います。「今の自分がちょうどいい」。往々にして幸せは、他との比較によって決められます。この人より自分はこれだけプラスだから幸せ、あの人より自分はこれがないのは不幸せ、と。その比較癖から自由になったところに、自分への承認と肯定感が生まれるということでしょうか。
 海部町の人々の気質や風土は、歴史的背景があって生まれたもののようです。宗教の影響は見られないのですが、しかし私はどうしてもそこに念仏が開く社会の姿を重ねてしまいます。
 いろいろな人がいることが認められ歓迎さえされて、自分の弱さや苦しみをさらけだせ、世間との比較などに価値を置かない社会。その実現はそれほど難しいことではないのかもしれません。■

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