談志を今聴きたかったら(2011.12)


 さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまいもすべし(歎異抄)

 立川談志さんが亡くなりました。十一月二十一日。七十五歳。
 今年亡くなった有名人の中で、贈られた弔意の量においては西のスティーブ・ジョブズは別格として日本では談志さんがトップに違いありません。病気のために近年では満足な落語ができなくなったと伝えられていました。病気で先は長くないと思っていながら、現実に死を迎えた時のこのぽっかり穴のあいた感覚もジョブズと共通すると思うのは私だけではないはずです。

だんしがしんだ

 死後、談志さんの凄さが多方面から語られているために、今まで談志さんの落語に興味がなかったけれども、あらためて聴いてみたいという人が少なくないようです。そのためにDVDやCDもずいぶん売れているようです。
 そんなひとりが、談志さんのお弟子さんにこう訊いたそうです。「いろいろある中で、どれを聴いたらいいんでしょうか。これが談志だ、と言えるような噺をひとつ推薦してください」それに対するお弟子さんの答えはこうでした。「それなら、志の輔の落語を生で聴いてください」
 そのお弟子さんの言いたいことはこうです。談志の落語の凄さやおもしろさは生で聴いて初めて分かるもの。いや、談志に限らず落語というのはそういうもの。たしかにDVDやCDで落語を聴くのもいいが,それはもはや記録でしかない。でも、談志の生きた落語は、志の輔に、志らくに、団春に、団笑に、その他の弟子の落語の中に確実に生きている。だから、談志の落語を今聴きたかったら、その弟子の落語を聴いてほしい。そこに必ず談志は生きている、と(コラムニスト堀井憲一郎氏の発言より)。

いのちは私物化できない

 このお弟子さんのことばを私は、とても仏教的いのち観に重なるなあと受け止めました。
 ここでの「落語」を私は「いのち」と読み替えます。談志さんのいのちは記録や思い出の中にではなく、弟子のいのちの中にあります。談志さんのいのちは弟子をはじめとする多くの方々が共有しているのです。
 「君のいのちは誰のもの?」と問われたらどうお答えになりますか。「ぼくのいのちはぼくのもの」小学生でなくてもほとんどの人がそう答えるでしょう。でも仏教的にこの問いに答えるなら、「誰のものでもありません」。仏教から見たいのちは、その身ひとつの中にちいさく収まっているものではなく、大きくひろがり大きくつながっているものです。到底私物化できるものではないのです。

どこにいった

 親しい人が亡くなった時に、遺された者は亡き方の行き先を案じます。どこに行ったのだろう、と。ある人は、草葉の陰で眠っていると考えます。ある人は、雲の上の花園の安らかで穏やかな時間の中にいると考えます。ある人は、風となり光となって漂っていると考えます。ある人は、思い出となって遺された人の心の中にいると考えます。ある人は、死んでしまえばすべて消えてしまうと考えます。
 では仏教はと言えば、亡き方は「浄土へ往く」と表現します。と言うと多くの方は先の例の中の「雲上の花園」を連想するでしょう。しかし浄土はそういう「場所」ではありません。
 親鸞聖人は浄土を「無量光明土」と表現し、「虚空の如く広大にして辺際無し」とおっしゃっています。
 「辺際」がないと、そこに行こうとする者は途方にくれます。なぜなら際がないということは入り口がないということです。もし入り口があったとしたらそこが「際」になってしまいますので。
 ですから浄土とは、「場所」というよりも「状態」と言った方がいいかもしれません。辺際=一切の限定がなくなる状態。ひらたい言い方をすれば、自由になることです。では何からの自由か。貪欲、怒り、愚痴、それらのいわゆる煩悩からの自由でもありますが、それより何より、その大本である「私」という縛りから解放されることが「浄土に往く」ことの内容なのだとのお示しです。「私」から自由になった私のいのちは、縁のある無数の方向へ大きくひろがり大きく生き続けます。

人間の業の肯定

「落語は人間の業の肯定である」。談志さんのこのことば以上に落語を一言で表わしたことばを知りません。ろくでもない人間のろくでもなさを、どうしようもねえなあとひっぱたきながら抱き取る。「肯定」と言ってしまうと開き直りのようですがそうではなく、みっともなくしか生きられない人間への静かなまなざしがここにあります。そこに私はどうしても親鸞聖人のまなざしを重ねてしまいます。「さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまいもすべし」そんな我が身を賢しらに厭うことなく隠すことなく、我が身であったと肯いていった親鸞聖人のことばが先の談志さんのことばに重なります。
 談志さんの公式ウエブサイトは今も開設中です。タイトルは「地球も最後ナムアミダブツ」。■


 

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