声がないのか 出せないのか(2011.6)


 さまざまのものは、みな、いし・かはら・つぶてのごとくなるわれらなり(唯信抄文意)

 震災と原発の報道が増えることによって、必然的に他の事件や事故の報道は少なくなったこの3ヵ月間でしたが、それでも4月に栃木県鹿沼市で起きた交通事故を覚えていらっしゃる方は多いでしょう。集団登校中の列にクレーン車が突っ込み、児童6人が死亡した事故。運転手は持病のてんかんの発作を抑える薬を飲み忘れていたと供述しました。この運転手は以前も同じような事故を起こしたことがあり、そのことも持病も会社には報告していなかったとして強い非難をあびています。
 その事故の直後、同じ病気を持つ方が自身のブログにこんな文章を掲載しました。長いですが、全文を転載します。


書きたくなかったエントリー

飲んでいる薬が抗てんかん薬だと会社に知られた
まず部署の課長と部長に呼び出され
次は人事部に呼び出され
「そういうことなら、会社にはいられないよ」
と言われた
私は発作を起こしていない
会社にも取引先にも世間にも迷惑をかけていないのだが

「いつ倒れるかわからんやつを会社に置いておくわけにはいかない」と人事部長
「倒れなくても、ふらふらしてるのと違うか」とも言われた

会社には自他ともに認める酒豪のA君がいる
A君は酒を飲むと意識が飛ぶという
気が付いたら知らない街の公園で寝ていたとか
酒を飲んでいるときやったこと
喋ったことをぜんぶ忘れていたりとか
こんなのは日常茶飯事
ちょっと酒乱ぽくて店で大騒ぎになったこともあったし
口臭を消す錠剤を飲んで二日酔いを誤魔化して
ふらふらしながら仕事をしている日もある

上司はA君に言う
「ほどほどにしとけよ」
と笑いながら
ほどほどにしとけよと言った口が
「こいつは酒豪で、男らしいやつで」
とA君のことを紹介する
「どうですか、Aを連れて飲みに行きましょう」
と得意先を接待する

私は抗てんかん薬を飲んで失神しないようにしてきた
A君は酒を飲んでは失神している
私は会社をクビにされる
A君はクビにはならない
これは差別ではなく区別なのだと私は私に言い聞かせる

会社をクビになった私は仕事を探した
履歴書にてんかんと書くとどこからも面接の声がかからない
書かないときは面接にこいと呼ばれる
面接でてんかんの話をすると採用されない
これは差別ではなく区別なのだと私は私に言い聞かせる

生きて行くにはてんかんを隠さなければならなかった
だから今度の会社では
トイレの個室に隠れて抗てんかん薬を飲んでいる

ある日
B君が仕事中に突然倒れた
先月の健康診断で発作を起こしやすい病気が見つかっていたという
でもてんかんではない
てんかんは健康診断では検査しないから

B君はみんなから「大事にしろよ」といたわられ
療養期間は休職扱いになるけれど
休職があけたら元の部署で今まで通り働くことが決まっている

私のてんかんと
B君の病気はどこが違うのだろう
首から上に原因があるてんかん
首から下に原因があるB君の病気
たぶんこれくらいの違いだ
世の中にはきれいな失神ときたない失神
都合のよい発作と不都合な発作があるらしい
これは差別ではなく区別なのだと私は私に言い聞かせる

デスクの上にコーヒーがある
いま私が発作を起こしてコーヒーのカップを倒し
こぼれたコーヒーがコンピューターにかかって
大切な仕事のデーターが消えたらどうなる

私はてんかんを隠していたことを嘘つきと責められる
世の中を欺いて生きてきたと見られる
やっぱりてんかんは危険ですねと囁かれる
ここで働いたらいけない人間なんだと言われ解雇されるだろう
そしてまた
これは差別ではなく区別なのだと私は私に言い聞かせることになる

生きているのがつらくなるから
差別ではなく区別なのだと私は私に言い聞かせる

http://ameblo.jp/moonsun3/entry-10870953302.html より


 ここに書かれていることはすべてが事実に基づいており、個人が特定できないように書き直したものとのことです。
 事故を起こした運転手を擁護しようとするのがこの文章の眼目ではないことは瞭然と思います。自己管理を怠ったために命を奪う事態を引き起こしたことの責任はこの上なく重大です。
 しかし一方で、患者が持病を隠したい、隠さなければ生きづらい環境がまだ堅固にあり、またそれを想像できない人が少なくないのも確かなことです。さらには、差別をされた人がそれを不当であると訴えることがとても困難な時代になってしまいました。
 人々は、従順な弱者には優しい目を向けます。しかしその弱者がひとたび権利を主張しようものなら、態度を一変させます。「思い上がるな」「誰の金で食っているんだ」「そんな態度だから差別されて当然だ」と。
 弱者が従順を強いられている社会。このたびの被災の中で、愚痴も言わないと称賛されている東北の方々にも、押し隠されているさまざまな感情があることも想像してみます。■


 

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