見せつけられてやっと(2010.7)


 未だ天眼を得ざれば、遠く観ること能わず    (観無量寿経)

 先日の朝、本堂の扉を開けると、そこに崩れた土の塊がありました。それはツバメの巣でした。
 当寺本堂の軒下には毎年、この季節にはツバメが巣を作ります。コンクリートの垂直な壁に少しづつ土や木の枝を貼り付けて半球形の巣を造っていくのは毎年のことながら感心します。平らなコンクリートですから、土を塗り付けるにしても不安定で巣を造るのは大変だと思うのですが、屋根があるというのは魅力らしく、毎年必ず巣を作る、孵化させて飛び立っていきます。
 今年も巣は作られました。そして、親鳥がずっと巣にこもり、卵を温めていた姿を毎朝確認するのがここのところの日課になっていたのです。
 その巣が、足下に崩れています。 あー、落ちちゃったのかー。

見せつけられないと

 土の中を見ると、薄い殻が割れてひしゃげています。その殻の間から、孵化を前に育ちつつあった赤ちゃんが3体、くたっと横たわっていました。
 たぶん巣の設計に無理があったのでしょう。ここまで大きくなっていたのに、と巣を片づけながらとても寂しい気持ちに沈んでしまいました。
 しかし考えてみれば、自然界の中では、孵化の前にいのちが閉ざされてしまうことはめずらしくないことでしょう。今回のように事故で巣が壊れることもあれば、外敵に襲われることもある。当寺の本堂軒下に作られる巣にしても、ずっと前のことですが、蛇に狙われたことがありました。蛇が巣を標的に壁を垂直に登っていった(!)のです。まして木の枝に作られた巣なら、外敵に襲われるのは日常的なはずです。
 事故や天災や外敵やその他もろもろの危険や障害や事情に常にさらされて、いつでも途絶える可能性があるのがいのちの厳しい事実です。だからこそその誕生は尊く、喜びをもって迎えられるのでしょう。その厳しく尊いいのちの有り様は、実は私たちのすぐ周りで常に繰り返されていることなのですが、私たちは日常的にはそんなことに思いを至らすことはありません。私にしてもそうです。目の前に壊れた巣と小さな亡骸を見せつけられて初めて、その事実を思い出させられたのでした。自分の鈍感さへの鉄槌のようにも思える出来事でした。

かわいそう

 動物の死と言えば、この春に巻き起こりまだ収束していない、口蹄疫問題が思い浮かびます。
 四月に宮崎県で確認された口蹄疫はまたたく間に感染を広げ、殺処分となった家畜は、六月末までに二十七万六千頭にのぼりました。畜産農家の困窮苦悩は察するにあまりあり、官民ともにの支援が待たれます。
 ちょうどその渦中の五月三十日、こんな報道がありました。
「せめて最高の餌を 処分前に『我が子への愛』『感染防止』交錯」という見出しの
毎日新聞の記事です。
「川南町の移動制限区域で約九百頭を飼育する養豚農家、Kさんも二五日朝、いつも通りバケツいっぱいの飼料を豚舎に運んで食べさせた。『豚が腹をすかせて泣くのがうるさいのではなく、かわいそうでしょうがない』。二四日にワクチン接種を受けたが、殺処分の日まで餌をやり続けるという。『これまで豚に食わせてもらってきた。元気なうちはなるべく長く生きながらえさせてやりたい。』」
 このKさんは、殺処分の日まで豚に餌をやり続けると言うのです。さらに「なるべく長く生きながらえさせてやりたい」と。
 ではもしこの豚たちが口蹄疫感染の可能性がなくなったとして、彼らが向う先はどこでしょうか。もちろん食肉処理場、いわゆる屠場です。Kさんはおそらくふだんでも豚たちを送りだすときには愛情の眼を向けるのでしょう。そしてこれも推測ですが、口蹄疫の疑いで殺処分される豚を不憫だと思っているに違いありません。

割り切ることなく

 念のために申し添えますが、私は先のKさんの矛盾を嗤っているわけではありません。その矛盾を日々抱えているだけでなく、矛盾から目を背けているのは他ならぬ私なのですから。
 食と殺を考える時にいつも思い出す逸話があります。昔、香川に念仏者で知られた庄松さんという方がいました。庄松さんはある日、他所で夕飯をご馳走になった時にこうもらしたそうです。「殺生はうまいなあ」。
 「殺生」という言葉には一片もいい意味は込められていません。念仏者であれば忌避したい第一の言葉です。それをしている自分、という痛みをまず感じながら、一方でそれを「うまい」と感じてしまう自分もいる。矛盾を生きている自分なんだとの思い当たりの言葉と言ってもいいかもしれません。矛盾をそのまま見つめ、安易に割り切らない。それはまさに信心に生きるということです。
 作家の亀井勝一郎氏はかつて「割り切りとは、魂の弱さである」と言いました。これを私なりの言い変えをすれば「割り切りは、精神の怠慢」です。信心は、その怠慢を糾すとともに、割り切ることなく丁寧に生きていく道を照らしだす光です。

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