邪見(2009.12)


邪見驕慢悪衆生 信楽受持甚以難  (正信偈)

 「新聞を作っていて、いちばん怖いことってなんだと思いますか」
 以前に、某全国紙の社会部のデスク(編集責任者)をお務めだったKさんから聞かれました。
 誤報をしてしまうことかな、あるいは取材先からさまざまな圧力や攻撃を受けることかな、といろいろと考えてみたのですが、どれも外れです。
 「それはね、紙面が埋まらないことなんですよ。毎日締切に追われながらとにかく紙面を作っていくのがデスクの仕事なんです。それが新聞に載せるべき記事が足りなくて、穴が空いてしまう。そんな夢を今でも見てうなされることがあります。これまで新聞が白紙で出た日はないんだから、と先輩にもよく言われたんですがね」

 思わず思った

 そんなKさんが、忘れられない体験があるというのです。
 「記事が足りなくて本当にどうしようもない日があったんです。どうしよう、どうしようと考えても全然だめ。あと何分でもうタイムリミットというギリギリになった時、電話が入ったんです。交通事故が起きた、五人死亡って。私、思わず、しめたっ!て思っちゃいました。ああよかった、これで紙面が埋まるって」
 しめた、と思った次の瞬間、Kさんは愕然とします。いったい俺は何をしているんだ、何を思ってしまったんだ、と。
 Kさんはけっして冷酷な方ではありません。いのちの尊さを一貫して訴えることを記者の使命と考えてきた方です。誰よりもいちはやく自死(自殺)問題を提起し、自死者遺族への取材を続け、自死予防運動へも関わってきた方です。ハンセン病差別も以前から告発してきた方です。そんなKさんがデスクに座ると、死亡事故の報に喜ぶようにさえなってしまった、いのちへの見方が変わってしまったと述懐されていました。
 その心労からかKさんは病に倒れ、入院するまでになってしまいます。

 倒れてから

 Kさんは、退院されてからはデスクを外され、一編集局員として自死問題等の取材に戻りました。その頃を振り返ってKさんは「記者生活の中では、退職前の窓際状態だった時が最も充実していました」とおっしゃっています。「動きまわっていた時は、世間が狭かったです。何しろ、取材先だけでしたから」と。
 マスコミの記者として第一線で働いていた頃の方が「世間が狭かった」とは意外にも思えますが、時間に追われていた中では、人との関係も交わす話題も記事になるかならないかという判断で優先順位を付けて、紙面に反映されない交友は二の次になってしまうようなことがあったのかもしれません。
 病気をされた後のKさんは、小さな集会にもこまめに顔を出すようになり、さまざまな人とのつながりを二重三重に広げていらっしゃいました。その縁は、新聞社を退職された後も切れることなく続き、かえって忙しくなってしまったと笑います。
 また、Kさんはお寺の法話会にも通うようになり、すでに帰敬式を受けて法名をお受けになってもいます。
 念のために申しあげますが、法名は死者の名前ではありません。仏法を聞いている者の名前であり、名前という形となって届いてくださる仏の教えです。どなたにも、生きているうちに法名を受けていただきたいと強く願います。私の名前に姿を借りた仏の眼は、私の「邪見」を常に射ぬき常に糾してくださるのですから。

 痛みとともに

 『正信念仏偈』で親鸞聖人は、人の姿を「邪見驕慢悪衆生」と見抜かれました。「邪見」、よこしまな見方とは、ひねくれて見るということではありません。あるひとつの立場からものごとを受け取るということです。
 私たちのものの見方や考え方は、善くも悪しくもその時々の立場や環境に大きく影響されています。そのことに無自覚なまま、自分の判断を疑うことなく(驕慢に)進んでいった先にあるのは、たとえばかつてのKさんのような、人の事故死さえ歓迎する姿でしょうか。それは決して他人事ではありません。
 邪見・驕慢は私たちの皆に内在しています。それは誰よりもまずその心性を持つ本人を傷つけます。しかし多くの場合は、自らを傷つけている自分であることに気づいてさえいないかもしれません。お念仏は、その危険を指摘してやまない声なのです。
 悲惨な事故を報道するのも新たな事故を生まないための予防と抑止に益する大切な仕事です。その中で、思わずしめたっと思ってしまったことを忘れてはいけないと思うとKさんはおっしゃいます。それはとても痛いものではあるけれども、人間としてのKさん自身を支えている柱ともなっているようでした。 

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