言葉を発せよ、言葉を聞け(2008.7)


わがこころのよくてころさぬにはあらず。また害せじとおもふとも、百人・千人をころすこともあるべし  (歎異抄)

 六月八日の秋葉原連続殺傷事件。
 日曜日の白昼、トラックが歩行者天国に突っ込み、さらにナイフで通行人や警官が刺され、死亡者七人。
 事件自体の特異さ・残忍さもさることながら,私が興味深いと思ったのは、事件直後の、事件に対する世間の反応でした。一夜明けた月曜日の朝、テレビのワイドショーは当然この事件を多くの時間を割いて報道していたのですが、そこに共通して私が感じたのは、犯人に対するある種の同情です。それらはもちろん、彼は悪いという大前提に立ったもので、だから免罪や減罪をするということではまったくありません。しかし、彼が抱えていた絶望感、疎外感、閉塞感、不安感、劣等感、被害者意識、怒り、やりきれなさを醸成したのは、ワーキングプアを切り捨て、格差を認めてしまったこの社会であり、彼の行為はそこへの一種の復讐だったという見方はそれほど特異なものではなかったでしょう。

永山事件との類似

 私がこの事件と、この事件に対する世間の反応を見た時に、まず思い出したのが、永山事件でした。
 一九六八年、当時一九歳だった少年、永山則夫が、米軍基地から盗んだピストルを使って、四人を連続殺害した事件です。犯行の動機は僅かな金銭を奪うためという身勝手で短絡的なものでした。それが「永山事件」と特別な名称で呼ばれるようになったのは、ひとつにはこの事件の最高裁判決が、死刑か無期かを判断する基準となってしまったこと、そして、永山則夫の劣悪な生い立ちと彼の思いが広く世間に知られたからです。
 永山は一九四九年、北海道の網走に八人兄弟の七番目として生まれます。父はギャンブル好きで家庭を放棄。困窮ために兄弟は離れて暮らすこととなり、この頃のことを後に永山は、自分は母親から三回捨てられたと語っています。貧しさからのいじめが続く中学校を卒業後に上京。職を転々とした末に殺人を犯してしまった彼は、犯行時の一九歳でも読み書きも満足にできなかったと言われます。
 そんな永山が獄中で綴った手記『無知の涙』は、一九七一年に出版されるやベストセラーになりました。彼の東京地裁での発言、「事件を起こしたのは無知で貧乏だったから」には、少なからぬ人が、これを身勝手な責任転嫁として聞き流せない何かを感じていたのです。
 
彼らをモンスターにしているのは

 ここ数年の、世間の注目を浴びた凶悪な事件をあげてみます。光市母子殺害事件、池田小児童殺傷事件、地下鉄サリン事件。いずれも、世間の厳罰化と監視化を進めた事件と言っていいでしょう。池田小児童殺傷事件の犯人はすでに死刑が執行され、他の二件もいずれも死刑判決がでています。
 それらの犯人に対して、皆さんはどのような感情や印象をお持ちでしょう。おそらくはどれも、同情の余地がない極悪人、というところではないでしょうか。少なくとも今回の秋葉原連続殺傷事件や永山事件への反応とは異なるものがあるように思います。
 その違いはどこから生まれたのでしょう。それは第一に、当人から発せられた「言葉」です。
 秋葉原事件の加藤智大が、犯行の数日前からその鬱屈した思いを携帯電話の掲示板に綴っており、それは逮捕直後からマスコミに大量に流れました。永山則夫の思いは『無知の涙』、そして小説『異水』『華』『木橋』となって世に出ました。それらは、「許されることではないが、分からないでもない」という感情を呼び起こしたようです。
 一方、光市事件や池田小事件やサリン事件の、いずれにも圧倒的に足りないように見えるのは、犯人・容疑者当人の言葉です。そのことが彼らをいたずらにモンスター化しているように思えます。
 当人が発していないから仕方がない、と言われるかもしれません。しかし実は裁判の過程で、あるいはルボライターの努力で、当人の生い立ちや犯罪に到った動機など、明らかになったことは少なくないのです。でもそれらはほとんど報道されていません。現在の報道は「分かりやすさ」が第一の使命であり、それを乱すものはノイズと見なされてしまったり、視聴者が望まない傾向があるからでしょうか。存在していないのではなく、聞こうとしないだけ。耳を閉ざしているのは私たちの方かもしれないのです。
 
欠如していないか
 
 現法務大臣下における死刑執行はこの六月で一三。異例の多さです。死刑制度の是非は置いておいても、背景として社会の厳罰化があり、さらには世間に、加害者(そして、被害者)の言葉に耳を開く感性が欠如しているのではないかとふり返ることは重要と思います。他者の言葉が私にもたらすもの。それは、他者への共感や同情より以上に、自らへの問いに他なりません。        ■

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