「偽」考(2007.12)


真の言は偽に対し仮に対するなり。(中略)仮といふは、すなはちこれ聖道の諸機、浄土の定散の機なり。(中略)偽といふは、すなはち六十二見・九十五種の邪道これなり。(教行信証)

 暮れで賑わう東京・銀座。その人ごみに最近際立って中国系の方々の団体が増えているのを感じます。先日のニュース番組でもそれに注目した報道がありました。インタビューを受けていたのは香港から来た若い女性です。銀座で何を買い物されるのですか、との問いかけへの答が「高級ブランド品」。え?たしかに銀座には名だたるブランド店が集中しているけれど、香港ならこちらよりずっと安く売っているじゃないか、日本人はブランド品を求めて香港に行くのにと重ねて聞くと、いいものは日本で買った方が安心で信頼できるとか。なるほど。

ブランド商法

 しかし、今年の日本では、ブランドへの信頼を失わせる数々の偽装が明らかになりました。賞味期限切れ材料を使用した洋菓子店から始まったこの告発は、牛肉と表示しながら豚肉鶏肉の混入をする極端なケースを頂点として、賞味期限表示偽装や地鶏・ブランド牛・黒豚・鰻などの産地表示偽装はもう数えきれない数にのぼりました。まさに今年を代表する文字が「偽」であったというのも納得するしかありません。
 それらの偽装はたしかにルール違反であり、批難されても仕方のないところです。しかし少しだけ留意しておきたいことは、これらの偽装が明らかになったのは、すべて内部告発によるものだったということです。食した消費者が、どうも味が違う、これは但馬牛という表示とは違うんじゃないか、とか、どうも風味が悪い、これは賞味期限を過ぎているんじゃないか、と訴えたのではありません。報道の前までは、「さすがに船場吉兆はいいネタを使っているねえ」と大喜びして高い料金を払っていた私たちだったということです。偽というのであれば、老舗のブランドがあれば何であれ納得してしまう私たちの味覚もまた偽かもしれないとも考えた方がいいでしょう。

真とは

 「偽」という言葉は、親鸞聖人もまた重要な場面で使っていらっしゃいます。
 親鸞聖人は一切の宗教を、真・仮・偽の三種類に分類しました。
「真の言は偽に対し仮に対するなり。(中略)仮といふは、すなはちこれ聖道の諸機、浄土の定散の機なり。(中略)偽といふは、すなはち六十二見・九十五種の邪道これなり。」(教行信証信巻)
 真とは「南無阿弥陀仏」、他力本願の念仏です。仮とは他力念仏以外の仏教を指し、偽とは仏教以外の教えを指しています。
 と言ってしまうと、なにやら誤解されそうです。つまりは自分(の教え)が一番偉くて、他はみんなダメなんだと見下しているんじゃないかと。
 そうではありません。真・仮・偽と並べた時に、真は何かと言えば「念仏の教えをいただいている私」ではありません。念仏そのものです。ではなにゆえに真なのか。それは念仏が、意志も弱く知識もなく身体能力も劣るこのどうしようもない私にまで至り届こうとの方向性を持つからに他なりません。その念仏をただ手にして高みに立ったつもりになってしまっては、ブランド名に酔って中身がなんであろうと奉る姿と変わりありません。親鸞聖人がここで宗教を分類してみせたのは、宗派や教えの優劣を示したのではなく、自分の都合によって宗教さえも変質させてしまう人間自体(すなわちこの私)が陥りやすい溝を示したものと受け取るべきでしょう。ここでの宗教批判はそのまま、人間批判です。だから親鸞聖人が作られた和讃の矛先は、自他ともに向かい容赦ありません。
 五濁増のしるしには
 この世の道俗ことごとく
 外儀は仏教のすがたにて
 内心外道を帰敬せり
(今の世の乱れを象徴しているのは、僧侶も一般人も含めた皆が、我が身の都合や欲望に執着している姿だ)
 他宗は、でも、他教は、でもありません。私を含めた皆がことごとく濁っている、というのです。そこにあって念仏は、ひとり濁っていないというのではありません。濁りを消してしまうというのでもありません。濁りを濁りとして知らしめる、そういう「気づき=覚り」をもたらすはたらきそのものなのです。

食べ物とどうつきあうか

 賞味期限に話を戻します。食品の表示が製造年月日から賞味期限・消費期限に移行したのが一九九五年、もう十二年以上経ちます。ものごころついた頃には賞味期限・消費期限の世界になっていた今の若者に話を聞くと、期限表示への依存感が意外なほど高いことに驚くことがあります。中には、「表示がされていなかったら怖くて食べられない」と言う者も。それ以前は、食品の様子を見、匂いをかぐことで食品の状態を判断することが当り前でしたし、そういう中での味の変化も面白く感じることもありました。食べ物に期限という名の線引きをして、ここまでよし、ここからダメ、とデジタルに二分してしまう在り方は、法の適用上はいいとして、どこか生き物として偽っぽい感じはしてしまいます。

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