見る、という力(2007.9)


自力のこころを捨つと言ふは、やうやうさまざまの大小の聖人・善悪の凡夫の、自らが身をよしと思ふこころを捨て、身をたのまず、悪しきこころを賢しくかへりみず。(教行信証)

 今年はじめに起こった納豆ダイエット騒動。それがおさまったかと思えば、春には、激しい運動を集中的に行って脂肪を燃やすという軍隊仕込みトレーニングのDVDが大ヒット。通販では売り上げ上位に名を連ねるのは常にダイエット関連商品です。この傾向は最近のことではなく、遡れば、一九八八年に出版された『こんなにヤセていいかしら』(著者は俳優の川津祐介氏)は年間ベストセラーのトップでした。まことに日本人は長年、慢性的に「痩せたい」観念にとりつかれているようです。
 減量法も常に流行が移り変わりますが、現在一番注目されているのは「レコーディング・ダイエット」でしょう。サブカルチャー(オタク)評論家の岡田斗司夫氏が著者『いつまでもデブと思うなよ』(新潮新書)で提唱しているものです。現在書店で平積みにされているその本の帯には、一年で五〇キロの減量に成功!という大文字とともに、かつてNHKBS番組「マンガ夜話」などに出演していた当時とは別人のようにスマートになった岡田氏自身の写真があります。このインパクトは強烈ですよ。

  本当に、これだけで

 岡田氏の減量法は基本的にはカロリー制限によるものですが、それを成功させる鍵となるのが「レコーディング」、すなわち、記録することです。
 岡田式「レコーディング・ダイエット」で一番大切なのは、カロリー制限に入る前の助走期間だといいます。短くても二週間、長い場合は二ヵ月かけてもいい。その間は(痩せるための)運動もカロリー制限もまったくしなくていい。することはただ記録することだけ。何をかと言えば、その日に口にしたものを、ポテトチップ一枚やコーヒー一杯にいたるまですべて。そして、毎日の体重。食べたものと体重をメモ帳に記入していくだけで、岡田氏の体重は五ヵ月で一〇キロ減となったのです。
 そんなバカなと思うかもしれません。しかしこれは事実です。なぜ私がそう断言できるかと言うと、私自身がこの「レコーディング・ダイエット」の体験者であり、運動もカロリー制限もしないで五ヶ月で一〇キロ減をした事実があるからです。
 私の場合は岡田式をさらに簡略化した、体重だけを記録するものでした。これは雑誌『暮しの手帖』やNHKの番組『ためしてガッテン』などで「体重計ダイエット」として紹介されています。

  反省するな。それより

 では、なぜ、記録するだけで痩せられるのでしょうか。それはまず第一に「目にする」ということの効果でしょう。自分の体重の変化を毎日目にして、それを意識に上らなくなるまで日常化する。すると、無意識のうちに大食や間食を控えたりといった自己管理が出来てしまうのです。
 目にすることにより、自覚が促されます。自覚とは、自らの今を知ることです。自らの体が今どういう状態にあるのかを記録して客観的に目にすることにより、自分の思いと自分の在り様とは必ずしも一致するものではないことが身にしみていきます。
 また、社会生活をしていれば、つい、飲み過ぎ、食べ過ぎをしてしまうこともあります。岡田氏はそれらについて、反省することも後悔することも必要ない、ただ記録せよ、と指示するのです。私たちは反省や後悔が嫌いではありません。それをすることで自分の誠実さが担保される気持ちになれるからです。そして懲りずに同じ過ちを繰り返していきます。反省や後悔が大切な場面はあるでしょう。しかしそれ以上に重要なことは、その事実をしっかりと十全に受け止めることなのです。
 親鸞聖人は、信心をいただく姿はどういうことかを説明して、「自らが身をよしと思う心を捨て、身をたのまず」、そして「悪しき心を賢しく省みず」と記しています。宗教というものは我が身の悪や未熟を反省するのが中心課題であると思い込んでいた学生時代の私は、この言葉に出会って愕然としたことを覚えています。
 私たちは往々にして、自分の小賢しさをもって事実を「判断」することによって、かえって事実から遠ざかることをしがちです。まず、ちゃんと見る。受け止める。宗教者のすべての営みはそこからしか始まらないし、それだけで変わるものは、弛緩した我が身だけではありません。

  そこにあること

 そして、「ふだんから目にする」ことの意味の大きさを、仏教では家庭でのお仏壇に託してきました。よく誤解されることですが、お仏壇は一族にひとつだけ設置して代表者が相続するものではありません。各世帯ごとに、各家の真ん中にひとつづつ設置するものです。ふだんから目にするためです。お仏壇の中心に安置するのは位牌ではなく南無阿弥陀仏。それは、私たちが思いを巡らせることのできるご先祖を包摂し、かつそれらを超えたはたらきです。
 まだご家庭にお仏壇を迎えていない方、小さいものでけっこうです(延立寺に見本も用意しています)。この秋にお迎えになってはいかがですか。

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