不安に踊るな(2006.12)


われ無始より三界に循りて、虚妄輪のために回転せらる。一念一時に造るところの業、足六道に繋がれ三塗に滞まる。              (教行信証)
 日本は安全な国ではなくなってきている。そうお感じの方は少なくないでしょう。今年三月の読売新聞の調査では、この数年の間に日本の治安が「悪くなった」と感じるという人は、「どちらかといえば」を含めると実に八九%となりました。
 さらに同じ調査で、「最近の犯罪の傾向として、どんな点がとくに問題だと思いますか。」という問いに対して最も多くの答えが「加害者の低年齢化が進んでいる」の五八,七%。それに続くのが「凶悪化している」の五五,三%です。
 これらの数字は私たちの実感を反映しているといえるでしょう。しかし現状を数字で見ると、まったく違った姿が現れます。

少年犯罪は増えていない

 まず、「加害者の低年齢化が進んでいる」と言われる少年犯罪を見てみましょう。
 凶悪犯罪といわれる『殺人・放火・強姦・強盗」について件数で見ますと、殺人は昭和二五年と三五年の四五〇件から減り続け、昭和五〇年に四分の一以下の百件を割ってから横ばいとなっています。他の犯罪も同様で、放火は昭和三五年の六〇〇件を最高として現在は三分の一の二〇〇件。強姦はさらに顕著で、昭和三五年には四七〇〇件にのぼったものが現在は二五〇件、実に一八分の一です。
 強盗は、戦後最も多かったのが昭和二三年の三八七八件。それが一貫して減り続け、平成二年には五〇〇件程度までになります。それ以降増加に転じるのですが、それでも昨年は一三〇〇人程度、ピークの三分の一です。この増加についても、数が増えたのではなく、この時期に警察の少年事件への厳罰化が進んだことにより、それまで窃盗と判断されていたものが強盗とカウントされるようになったことによる結果と見られます。
 統計から見る限り、明らかに少年は犯罪を犯さなくなってきたのです。加害者の低年齢化が進んでいるという事態にはなっていません。

安全にうるさくなっている

 犯罪が減少している傾向は成人の犯罪件数でも同様です。日本での凶悪犯罪は、昭和三五年頃をピークにして以降は減り続けています。それらのデータにもとずき、河合幹雄氏(桐蔭横浜大学教授)は著書『安全神話崩壊のパラドックス』(岩波書店)の中で、こう指摘します。「日本社会は安全でなくなってきているという認識は、全くの誤りであり、日本社会は安全にうるさくなってきていると言うべきであろう」
 また、「最近は子どもが殺される事件が増えてきた」という意見もよく耳にします。それも事実ではありません。警察庁の『犯罪統計書』によれば、殺人事件の被害者になった小学生は昭和五一年に一〇〇人、五七年に七九人、そして平成に入ってからは一五から三〇人の間で推移し、昨年は二七人でした。
 ここで重要な指摘をしているのが芹沢一也氏(京都造形芸術大学講師)です。
「(これらの児童被害について)問題とすべきはその内容だ。各種の統計データをつきあわせれば、その大半は家庭内での事件、つまりは家族・近親による虐待関係だと思われる。結論としては、家族・近親以外の他人に命を奪われる小学生の数は、年間ほんの数人にすぎないはずだ。『殺害される子どもたちが急増している』というのはじつのところ、実体のない捏造されたイメージでしかないのだ」(「毎日新聞」)

虚妄輪のために回転せらるわれ

 実態とかけ離れたところで醸成される「不安」。それはまず第一にマスコミにより増幅されてるのは間違いないでしょう。「不安」は売り物になります。「不安」は人を動かします。「毎日嫌なニュースばかりですね」と嘆く人も、ほのぼのとした話題ばかりのニュース番組にはチャンネルを合わせることはしないはずです。
 そして、そのようにマスコミを動かしているのは視聴者であるわれわれであることも忘れてはなりません。「脅える」という形で不安を享受している私たちは、いつしか不安に母屋を取られることとなります。
 存在しないものに脅えて相互監視を強め、かえって疑心暗鬼になり、あるいは自縄自縛に陥り、あるいは自ら危険の種を蒔く。それは単に通りすがりの不審者に対してだけのものではありません。隣国の所作にいちいち過剰反応して見せるのも、実質的な治安や安全とは反対の結果を生むだけのような気がしてなりません。
 「われ無始より三界に循りて、虚妄輪のために回転せらる。一念一時に造るところの業、足六道に繋がれ三塗に滞まる。」という『教行信証』(「註釈版P三六三」)のことばを心深くいただくものです。不安をもてあそばず、不安に躍らされず。不安を減ずるには不安自体を冷静に受けとめることが肝要なのです。

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