この国では、昨日も百人が自ら死んだ。そして今日も。(2006.6)


無量寿仏に八万四千の相有り、一一の相に各八万四千の随形好あり。(観無量寿経)
自殺は、減らせる。

(毎日新聞〇六年四月五日記事より)
「規制改革・民間開放推進会議(議長・宮内義彦オリックス会長)のワーキンググループは二〇〇五年六月、厚生労働省の担当課長を呼び、二〇〇二年通達(リストラで増えた過労死や過労自殺を防ぐ厚生労働省の通達)について『事業主に対する強制力はございません』と明言させた。」
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 この春、自殺対策の法制化を求める署名活動が、NPO法人「自殺対策支援センター ライフリンク」の呼びかけにより行われました。延立寺でもこの動きに賛同し、降誕会の時などに皆さまに署名をお願いしました。急な働きかけにもかかわらず多くのご協力をいただき、署名の総数は最終的に、目標をはるかに超えて十万一〇五五人分にまで達しました。これらの後押しにより、六月十五日、自殺対策基本法の成立に至ったものです。この場を借りて深くお礼を申し上げます。
 ご承知のように日本ではこの八年連続して年間自殺者が三万人を超えています。これは人口あたりの自殺死亡率でみるとアメリカの二倍、イギリスの三倍にもなります。
 自殺は個人の問題や選択や責任でしかないと思われがちです。しかし、現在の自殺数を押上げているのは中高年、そして男女比では男性が七割以上と偏っている現状を見た時に、彼らの死に社会的な影響を見るのはむしろ当然ではないでしょうか。社会的に追い込まれた人たち、職を失い経済的に困窮した果ての死、あるいは、老老介護で物心ともに疲弊した果ての死。もしそこに必要な情報が伝わっていれば、適切に相談できる場所があれば、そしてそれらが有機的に連携を取れていれば自殺に至らなかっただろうと見られるケースは少なくありません。社会的要因の自殺は、社会的な対策を講じることで減らしていくことが可能なのです。

なぜ法制化か

 署名をお願いしている中で、いろいろな質問をお受けしました。
 たとえば、
●法律を作って自殺が減るのか?自殺しようとする人を罰そうというのか?自殺しようとする人が法律があるからといって自殺を思いとどまると思っているのか?
●自殺防止って、借金苦にある人の借金を棒引きにするのか?税金で肩代わりするのか?
●行政に対応を求めるというが、ただ窓口やカウンセラーを増やすだけではないか?
 これらは、自殺があくまでも個人の問題だと考えたり、「自殺防止」と「法制化」が結びつかないことからくる疑問であろうと思います。
 法制化による効果は、児童虐待防止法をイメージしていただくといいかもしれません。
 非常に誤解されがちなのですが、児童虐待防止法は虐待している親や保護者を罰することを主目的とするものではありません。それは従来の刑法で十分に対応可能です。そうではなく、児童虐待が起きないよう、あるいは早期に発見できるよう、見逃さないよう、そして発見後に適切な対応ができるように(特に行政の)環境の整備をすることが児童虐待防止法が立法された趣旨なのです。
 自殺対策法もそれに同じく、「自殺してはいけません」と律するものではなく、「自殺に追い込む社会的環境」をターゲットとしているのです。
 冒頭に掲げた新聞記事は現状を端的に表わしているのではないでしょうか。自殺を防ぐことを目的とした通達はすでに四年も前に厚生労働省から出されています。しかしそれが、法的根拠がないためにまったくの骨抜きになってしまっています。同様に、現在も行政では形の上では自殺対策に取り組んでいるのですが、あまり有効とは言えません。自殺対策の基礎となる「実態調査」すら、省庁間の縦割りの弊害があって未だに実施できていない現状です。法制化はそんな行政のムダを改めることでもあると言ってもいいかもしれません。

縁起する私は

 いのちの私有化、それが人間の闇の多くを生み出しているように思えてなりません。と言うとそれは、自らのいのちを断つ、という行為への批難と思われるでしょうが、私は自殺者自身よりその周りにこそ、いのちの私有化の弊害を見ます。
 いのちの私有化はすなわち、いのち間の断絶の承認です。個のいのちが断たれることの影響がそこに止まれるとの考えは、近親者に自殺された者の悲苦に思い至れなくしてしまいます。それはこれほど自殺者の「数」が問題になりながら、自殺者も、その十倍と言われる未遂者も、さらに彼らにつながる多くの近親者の姿も非常に見えにくくなっていることの一因とも言えそうです。
 私に脈打ちながら、私の内を超えて拡がっているいのちのありよう。それを阻害しているのは何かという問は常に持ち続けていきたいと思います。

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