レッテル貼りから抜け出して(2005.12)


一切の悪行は邪見なり。(教行信証)

 ホームページを持っていると、いろいろな方からご質問やご相談をメールでいただくことがあります。
  先日も、一通のご相談が届きました。一読すると、確かに悩んでいらっしゃるのは理解できたのですが、それほど深刻なものとは受け取れないものです。その場でお返事をしてもよかったのですが、急ぎの内容でもないし、と後回しにしたのでした。
 先のメールが届いてから丸三日後、二通目のメールが届きました。文面は「相談したのに、返事がない!だから、坊さんはあてにならん。」正直、忘れていたんです。でもムカッときましたね。すぐに、そちらこそ失礼じゃないか、と怒りの返信をしようとしましたが思いとどまり、もう一度一通目のメールを読み返してみたのです。やはり、ご相談の文面からは緊急性は感じられません。しかしそのような深く考える必要のない事案だからこそ相手もすぐに返信されることを期待したのかもしれない、すぐに軽く対応すればよかったんだなと思い直しました。冷静になって、お詫びを添えた返信をしたのでした。
 そしてあらためて二通目のメールを読み返してみました。私はなんでこのメールを読んでムカッとしてしまったんだろう。始めは、勝手に相談してきて返事がないことを責める身勝手さに腹が立ったのだと思っていました。でもどうもそうではないようです。私が反応したのは「だから、坊さんはあてにならん」の部分でした。
 私の怠慢が責められるのはしかたない。でもそれが「だから坊さんは」と僧侶一般の無責任に帰されたことに不快感を覚えたのでした。個とそれが属している集団は、切り離して見ることはむしろ現実的ではないとは思います。しかし、それらを単純にイコールとしてレッテル化してしまうこともまた、多くの誤謬を生むことは確かでしょう。私自身がついしてしまいがちなことですが。

不安を煽られて

 広島の少女殺害の容疑者としてペルー人の男が逮捕された事件は、在日のペルー人たちを大きく揺るがせました。
 「年々物騒な世の中になってきた。これは外国人が増えてきたからだ」先日、ある方との雑談の中で出てきた台詞です。その方が特に外国人への偏見が強いということではなく、近年、来日外国人犯罪が増えている、それが日本の治安の悪化の元凶だというイメージが広まっているのはたしかでしょう。警察庁や政府関係者のコメント、そして扇情的なマスコミもそれを助長するものが見受けられます。しかし冷静になってデータを見てみましょう。
 日本全体の刑法犯検挙人員に占める「来日外国人」の割合は、二%台です。この数字は年によってばらつきはあるものの、この十年はずっと横ばいになっています。二%という数字は決して小さいと言うわけではありませんが、これをもって日本の治安悪化の原因とみるのは無理があるのではないでしょうか。
 また、私たちはある人が「検挙」されると即「犯罪者」というイメージがありますが、来日外国人が検挙される理由の多くは「超過滞在」が理由の入管法違反です。超過滞在とは、入国する際には空港または港で上陸許可を受け、在留資格を有していましたが、定められた期限満了後も出国せずにいることをいい、オーバーステイとも呼ばれます。それを大目に見よう、というわけでは決してありませんが、「犯罪者」というレッテルとは齟齬があるとお感じいただけるのではないでしょうか。

もう共にいる

 東京には現在、外国人登録者だけをみても、三十四万人の外国籍の人が暮らしています。在留資格のない人たちを含めると、その数はもっと増えるでしょう。異なる文化を持った人々が身近に増えることは誤解や摩擦を生むことともなります。しかし、私たちはすでに、彼らと相互依存をしていることも知っておきましょう。
 電気店に並ぶ一円の携帯電話。一日三回コンビニに入荷するできたて弁当。それだけ潤沢で安価なモノや、便利の享受を可能にしているのは、実は外国人労働者の存在があるからこそです。すでに生活の一部を委ねながら、一方で無関係だと思いたがる私の姿はあまり格好のいいものとは思えません。
 「あの人は○○な人」というレッテル貼りが、常に悪いというわけではないでしょう。しかし一旦それを固定化させてしまったときの弊害は、貼られた側だけではく、貼った側にも及びます。レッテルを貼らないことは、治安という意味でもはるかに有効でもあるのです。
 人の在り様は一片の「○○」に納まりきれるものではありません。そのことは御自身を振り返るだけで充分御理解いただけると思います。

 

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