出会うと、変わる(2005.9)
末代無智の在家止住の男女たらんともがらは、こころをひとつにして阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、さらに余のかたへこころをふらず、一心一向に仏たすけたまへと申さん衆生をば、たとひ罪業は深重なりとも、かならず弥陀如来はすくひましますべし。 (御文章)
『スーパー・サイズ・ミー』というドキュメンタリーを御存知でしょうか。監督自身が、三〇日間、一日三食マクドナルドだけを食べ続けた結果、ついに体重が十キロ増えただけでなく内蔵も壊してしまい、体を張ってファーストフードの害悪を証明してみせた作品です。
自ら実験台になったスパーロック氏が、アメリカのテレビで同じ手法のドキュメンタリー番組を作って話題になっています。題して『三〇日』。一般から公募したチャレンジャーを全く異質な環境に三〇日間放り込んで、その奮闘ぶりを紹介するものです。具体的には、最低賃金生活をさせたり、ゲイの人ばかりが住む地域へ住まわせたり、自給自足生活をさせたり、毎日遊び歩く娘と同じ行動を母親にとらせたり。
「野蛮人」の中に放り込まれて
その一つの回、敬虔なクリスチャンをイスラム教徒の家にホームステイさせる、という企画は次のような展開となりました。映画評論家の町山智浩氏のブログより引用します。
チャレンジャーは、ウェスト・ヴァージニア州に住む敬虔なキリスト教徒、デイヴ・ステイシー(三三歳)。ちなみにウェスト・ヴァージニアはかなりの田舎で、超保守的な土地柄です。彼が向わされたのは、アメリカでも最もイスラム教徒の多い町ミシガン州デアボーン。ここでデイヴはイスラムの慣習どおりに三〇日間生活することになります。初めに、イスラムについて何を知ってる?と聞かれたデイヴには「ターバン巻いて銃を乱射する奴ら」以外のイメージが浮かびません。イスラム教信者はみなテロリストと同類と思っているのです。
ホームステイ先になったのはシャマエルさん宅。シャマエルさんはパキスタン系ですがアメリカ生まれのれっきとしたアメリカ市民。おまけに医者で、奥さんは弁護士。二人ともデイヴ氏より学歴も年収もインテリジェンスも上。ここでイスラム・イコール野蛮な異教徒という先入観は早くも覆されることとなります。
罵声を浴びせたのはかつての
この番組には一つのルールがあります。その環境の慣習には従わなければならない、というもの。デイヴはそのルール通り、モスクでイスラムの儀式に参加しなければならないのですが、彼はできません。「僕はキリスト教徒だ。違う神に祈りを捧げるのは背信だ」するとイスラム教徒たちから「同じ神だよ」と教えられるのです。キリスト教の神エホバも、イスラム教の神アッラーも名前は違うけど同じ神なんだよ、元はユダヤ教のヤーウェだから、と。「全然知らなかった」呆然とするデイヴ。
デイヴはイスラム教徒たちに怒りをぶつけます。「九・一一テロをやったアメリカの敵だ!」ところがよくよく話を聞いてみると、アメリカに住むイスラム教徒の多くはタリバンのイスラム原理主義やサダム・フセインの圧制から逃げてきた人々だったりします。テロを支持している者などいません。それを知ってデイヴまた呆然。
実験二五日目、デイヴはイスラム教徒への差別に抗議する街頭署名運動に参加します。「イスラムへの偏見をやめましょう。彼らも人間です」しかし道行く人はデイヴに「お前らアメリカから出て行け!」と悪罵を浴びせるのです。それはまさに二五日前のデイヴの姿そのものでした。
我執を破る智
ここに登場したデイヴは無知が偏見を生んだ極めて典型のように見えます。しかしだからといって、知識や情報の量があれば偏見がなくなるかと言えば必ずしもそうでもなさそうだということは、今の日本を見て思わずにはいられません。
インターネットの普及は、私たちに圧倒的な情報量をもらたしました。どんな事柄でも、ネットで検索をするとたちどころにある程度の輪郭をつかむことは可能です。しかしその結果、ネット上では、近隣国民へのあからさまな蔑視的挑発的言辞が跋扈するようになりました。その有り様が、先のデイヴに重なります。
彼の偏見を取り除いたのは知識ではありません。生身の人と、出会ったことです。他者と確かに向き合うことで、自分の執われが解かれたのでした。知識自体は道具にすぎません。しかし私たちは、知識を弄するだけで世界を把握したつもりになりがちです。それは仏教でいう「我執」の姿そのものです。
蓮如上人の有名な御文章の冒頭にある「無智」は知識がないという意味ではありません。ここでの「智」は「我執を解くはたらき」であり、「確かな方向性」のことです。自分がどちらに向いているかもわからず、闇雲に知識や武器を抱えて身動き出来なくなっている男女。今の私たちそのものではありませんか。
隙あらば知識を害毒に転じようとする私であることを、常に智は警告しているのです。 |