世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい (2003.9)


汝はこれ凡夫なり。心想羸劣にして、いまだ天眼を得ざれば、遠く観ることあたはず。 (観無量寿経)


 知る人ぞ知る映画『A』そして『A2』がビデオとDVDになって発売されました。オウム真理教の一般信者を題材にしたドキュメンタリーです。『A』は教団の広報担当を中心として信者の生活に密着してその肉声を収め、『A2』はオウム真理教をめぐる地元住民との軋轢を記録したもの。共にオウムを題材としながら、それを取り巻く日本社会を見事に切開して見せた傑作です。
 両作品とも劇場公開時は話題とはなりながらも、オウムを絶対悪として描写せよという制作会社の方針に抗って撮った(特に『A』は公安警察のあからさまなでっち上げを記録している)ことが「オウム擁護の映画」だとの誤解を浴びて、上映会場も限られ宣伝も断られ、動員は散々なものとなりました。
 見た人が少ないため悪い印象だけが一人歩きしていきます。ビデオレンタルの最大手のツタヤでは発売後しばらく、社長の意向でビデオが店頭に並びませんでした。実は築地本願寺でも昨年、僧侶向けの研修会で『A2』を上映する企画があったのですが、一部の強硬な反対により流れてしまいました。

 我が貧困なる想像力を嗤え

 作品へはいろいろな評価があって当然なのですが、否定というより憎悪する人々には一つの共通点があります。作品を観ていないのです。ツタヤの社長も。築地本願寺の研修会をボツにした人も。劇場公開があまりなされなかったから仕方がない面もありますが、シナリオは書籍化されていますのでどういう内容かは伺い知ることは出来るのに、オウム、というだけで反射的に怒りとともに拒絶してしまう。思考停止。実はそのこと自体が『A』『A2』の主題なのだから苦笑するしかありません。
 作品中に登場するオウム信者はあまりにも普通の、不器用な若者たちです。そんな彼らが「殺人集団」と指弾される教団になぜ居続けられるのかという疑問から出発した撮影は、次第に、オウム信者と彼らを排除しようとする地域住民との双方にある共通した瑕疵を露にしていきます。それは、目前の他者への無関心です。関心がないから、想像力も働かない。
 出家した信者たちにとっては、世俗は自分の本来性を損なわせる世界に過ぎません。そこへの関心がなくなるのは当然とも言えますが、それが周囲の者にとっては自らの存在の軽視そして侮辱に通じるということへの想像力が、ない。
 一方、地域住民も、信者それぞれの事情など考えもせず、単に洗脳されている愚かな不気味な集団と見て、信者個人への関心が持てない。彼ら一人ひとりが別人格であることを想像しようともしない。

 一声、かけてみれば

 しかしそんな両者も、毎日顔を合わせていれば情も移るというもの。
 『A2』には、監視小屋を建ててオウムと敵対していた地域住民が、次第に信者と談笑するようになり、修行場が閉鎖になった時には互いに別れを惜しむ姿さえ描かれます。「悪魔教団撤退!」というプラカードを囲んで一緒の記念写真に収まる信者と住民。この奇妙な、呆れた、マヌケさはまさに「健全」そのものの絵のようです。
 住民の一人はこう語ります。
「テレビも新聞もみんな肝をつぶして帰るんだけど、記事になったことは一度もない。相変わらず洗脳が解けない信者と脅える住民みたいな記事ばかりでさ、どうして見たままを書かないのかなって俺たちいつも言ってるよ。あんたもマスコミの人間ならさ、もうちょっと自分が感じたことを正直に書かなきゃ駄目だよ」
 予定した報道しかしないマスコミの想像力の無さは即ち、それを楽しむ視聴者=私たちの想像力の無さの正確な反映にすぎません。
 そして想像力と言えば。
 これらの作品には被害者への想像力が欠けているという批判があります。しかし、今、巷で言われている「被害者への想像力」の中身はと言えば、被害者の悲しみへの寄り添いではなく、加害者への憎悪の増幅でしかないのではないでしょうか。それもまた、私たちの想像力欠如の表れに思えてなりません。

 私に内在するリスク

 想像すれば分かるというものでもないでしょう。被害者の気持ちも、加害者の気持ちも。他者のことなど何も分からないかもしれない。でも、想像する。想像し続ける。その営みだけが人が人であることを支えているような気がします。
 両作品の監督・森達也氏は指摘します。
「オウムの信者のほとんどが善良で穏やかで純粋であるように、ナチスドイツもイラクのバース党幹部も北朝鮮の特殊工作員たちも、きっと皆、同じように善良で優しい人たちなのだと僕は確信している。でもそんな人たちが組織を作ったとき、何かが停止して何かが暴走する。その結果、優しく穏やかなままで彼らは限りなく残虐になれるのだ。でもこれは彼らだけの問題じゃない。共同体に帰属しないことには生きていけない人類が、宿命的に内在しているリスクなのだと思っている。つまり僕らにもそのリスクはあるのです」(『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』晶文社刊より)
 ツタヤは今ではこの作品を扱うようになりました。築地本願寺での『A2』上映会も今年の十二月開催が決まりました。
 流れの中で、思考停止に陥っていないか。見ているつもりで目を閉じていないか。問おう、繰り返し、繰り返し、繰り返し。  ■

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