そのままでいい、といわれて (2002.12)
慈悲方便して凡夫を引く、一切衆生皆度脱す (教行信証)
先日、アンケートの年齢の欄に書き込もうとして、ふと、あれ、今俺はいくつだったっけ、とペンが止まってしまいました。もちろんすぐ思い出すのですが、それが一度ならずあるのです。学生の頃、自分の歳を忘れると言う大人を見て、なんでそんなことが有り得るのかと不思議だったのですが、早くも自分が実際に体験してみると、ああこういうことだったのかと納得してしまいました。健忘症とはちょっと違うようです。躊躇する感じでしょうか。
自分の歳が(一瞬)出てこなかった原因を考えてみると二つ思い当たります。一つが歳へのこだわりがなくなったから。そしてもう一つは逆に、歳への強いこだわりがあるから。
前者から言えば、学生時代は一歳の違いさえギャップを感じないではいられませんでした。特に大学時代は私は体育会(日本拳法部)に所属していましたので自分と三歳も違えば大先輩大後輩で別世界の人。一緒に飲みに行っても言葉遣いにも共通の話題探しにさえ困ったものです。それが三十歳を越えたあたりからでしょうか、数歳の年齢差は気にならなくなり、自分の年齢への意識も薄れてきたということはあります。誕生祝もしなくなったし。
こんなはずでは・・・
それはまあいいとして、一方で、歳へのこだわりが私にはあったのですね。こだわりというか、歳が持つイメージへのとらわれですが。
私はこの九月で四十二歳になりました。四十にして惑わず、と言われた歳からも更に歳を重ねて、押しもおされぬオジサンに違いありません。それが嫌だとか若く見られたいとか言うんじゃないんです。むしろ逆です。私、昔から大人になりたかったのです。十代は常に五歳は上に見られることが嬉しかったし、二十代の後半には三十歳と自称していました。坊主という職業上では歳くっていた方が都合がいいこともあって。
それが今自分が四十二と書こうとすると、少なからずの違和感を感じてしまうのです。それは、「あれ、四十二歳ってもっとちゃんとした大人だったんじゃないか?」十分な分別と知識と経験があり、動じず、それこそ惑わず。昔描いていたそんなイメージからほど遠い今の俺が、おいおい、四十二なんて言っちゃっていいの〜。
あるべき姿にどうも自分はなっていない。まあ考えてみれば、現在あるはずだったような姿に自分を持っていく努力など何もしてこなかったわけで、ただその歳になれば立派になれるなんてなんで思えていたのか不思議なくらいです。つまりは私が接してきた立派な方々がそれまでに積んできたであろう努力や経験に思いが及ばなかった、あるいはその方々に「あってほしい大人」という幻想を投影していただけだったのでしょう。いずれにしても相手には失礼な話でした。それに気づいただけでも成長したということにしておいて。
慈と悲
どうも「成長」とか「向上」とか、まして「努力」というのは浄土真宗には馴染まない言葉と思われがちです。そのままでいいんだよ、無理に変わらないで、貴方のあるがままを抱きとるよ、というのが阿弥陀如来の心。それはそうなのですが、実はそれは一面でしかありません。仏教語で言えば「慈悲」の「慈」がこれにあたります。
仏教にはもう一つ重要な「悲」の立場があります。「悲」は本来性から外れている者への厳しい批判の心です。
あるべき姿から乖離している自分。それを仏教では「凡夫」と呼んできました。凡夫はただびと、というよりもっと強くマイナスの意味を持っています。否定される者を指す言葉なのです。これはたぶん人間自身の心からは出てこない、阿弥陀如来の眼差しの中に映し出された我が身の姿なのでしょう。親鸞聖人は御自分を「凡夫」だけでは足りずに「罪悪深重の凡夫」とまで表白されました。自分で自分をそう評したのならただのマゾですがな。そうじゃなくて阿弥陀様の眼に照らされて明かされる、私たちの内なる闇。闇の存在が知らされたときに悲嘆するのは私たち以上に、それを知らしめた阿弥陀如来です。そして、そんなお前だから抱きとらずにはおけないという行動の全体が「慈悲」と呼ばれるのもです。
凡夫からの立ち上がり
ある青年は「アミダさま」と題してこんな詩を書いています。
ぼくがぼくであることを
認めてくれてありがとう
そのままでいい
といわれて
このままではいけない
と思うようになった
(雪山俊隆)
凡夫の自覚は、必然的に凡夫からの立ち上がりを促します。立ち上がったからと言って凡夫が凡夫でなくなるということはないのかもしれません。しかし私たちはすでに、凡夫から抜け出さないと救われない自分ではないことも教えられています。答や成果を得てやっと意味のあるいのちではないのです。凡夫という痛みを保持しながら生きるすべての有り様が意味をもって輝く、往生(あるべき姿=仏教では「仏」といいます)への道はそのようなものなのでしょう。
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