賞賛が刺となる時 (2001.5) われ無始より三界に循りて、虚妄輪のために回転せらる。 (教行信証) あれあれと思う間に「雪崩現象」で小泉首相が誕生しました。変化・改革への過大な期待にどう応えるのか注目するところですが、今回の話はその自民党総裁選挙中のこと。 候補者の一人、麻生太郎氏が外国人特派員協会での講演でこんな発言をしました。 「金持ちのユダヤ人が住みたくなるというのはいい国です」「その条件である人種差別がないという点は日本は充たしている」 日本をどういう国にしたいのか、いい国とはどういう国か、という話の流れの中での一節なのですが、これに対してすぐにAP通信の記者が「あえてユダヤ人を取り上げること自体が人種差別ではないか」と質問しました。麻生氏はその場で、「そういう風に受け取るあなたの方に問題があるのではないか」と反論しています。 麻生氏としては、自分はユダヤ人のことをこれっぽっちも悪く言っていないのになぜ糾されなければならないのか、と反発を覚えたのでしょう。 しかしこのやりとりは海外で大きな波紋を生むこととなり、驚いた麻生氏は「誤解を受けたので反省する」というコメントを出すこととなりました。「オレは悪くないのに・・・」という不満の気持ちがありありと伺えますがともかくは落着。 見ようとしない ここで思い出したセリフがあります。 ステレオタイプに足を繋がれて 先の麻生太郎氏の発言に対して、アメリカの人権擁護団体はこう批判しました。 われ無始より三界に循りて、虚妄輪のために回転せらる。一念一時に造るところの業、足六道に繋がれ三塗に滞まる。やや、願はくは慈光われを護念して、われをして菩提心を失せざらしめたまへ。 親鸞聖人は、一念一時(=常に常に)虚妄(自分が強固に作りあげた思い込み、レッテル、ステレオタイプ)を重ねている自分であることの悲嘆をつづられました。虚妄により迷いの世界に滞まっている私がここにいる。しかしそれは同時に、そんな自分を知らしめ、決して離れることなく生きる方向性を示してくださる阿弥陀さまのはたらきへの信順の表白でもありました。 |