1999年5月

 うちの長男顕と二男潤は、まだ それほど激しい兄弟ゲンカをしません。まだ幼いせいなのか、二男がそれほど精神的に成長していないせいなのか、物の取りっこやお兄ちゃんの大切な物や本を壊したの破いたのなど小さなこぜりあいはあるものの、たいがいはお兄ちゃんがすねるか弟が泣くかで決着がつきます。ところがここに参入してきた長女夏菜。まだ生後八ヶ月にしかならないのに、強い強い。お兄ちゃん達の本やカードをなんとか取り上げようと、ハイハイもできないくせに必死になって体を伸ばす。母親の膝を自分が占領している時に、お兄ちゃん(たいがい潤)が割り込んでこようものなら、あきらかに蹴飛ばす。典型的な長男と争い事の嫌いな二男。それにひきかえ母親のケンカ早さと気の強さをもろに受け継いでしまった長女。こうなる事は十分予想できたけれど、今からこうではと頭を抱えている母親です。

 数日前の新聞の投書欄にお葬式のことが載っていました。聖書朗読と賛美歌の中、お花に囲まれた協会で行われた告別式がすばらしかったと。それにひきかえ、葬儀社任せにしてしまったご自分の父上の葬式は、まじないめいた事が色々あって、学者であったお父様に不似合いな日本刀などそえられて、悔いの残るものであったと。
 けっしてその文章はキリスト教はすばらしく仏教はダメであるといったつもりはないでしょうが、そう取れなくもない文章でした。でも、お寺とはかかわりのない生活をしていた私が延立寺に来て、何回もうちの本堂で行われるお葬式を陰ながら拝見させていただくと、けっしてそういったものでもないんじゃないかなと思うんです。
 お棺の中では皆さん手甲も脚半もましてやおでこに白い三角巾も付けていないし、守り刀もないし、本堂だから仰々しい祭壇も作らないで(ごめんなさい葬儀屋さん、儲からないで)お花に囲まれていられることがほとんどだし。
 うちでお葬式をされるのはほとんどが、ずっとお寺と住職と寺族とお付き合いをしていて、何度もお会いし、何度もお話をし、もしかしたらお寺の旅行などいっしょに行った事のある方々です。気心の知れたお寺さんによって営まれるお葬式は、暗いものでもわけがわからないものでもないと思うのです。
 去年七回忌をすませた実父のお葬式は、桐ヶ谷斎場で営まれたために一週間も待たされたことや葬儀屋さんと色々もめた事など後悔することも多いのですが、ただ一つこれはよかったと思う事は、お頼みしたお寺さんの事を父がよく知っていて、とっても気に入っていたという事。この事だけでとりあえず父は満足していたのではと思うのですけどネ。

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