1998年9月

 長男顕の出産で入院するとき、私は何の心配もいりませんでした。自分の荷物を作り、自分の事だけを考えていればよかったから。だってうちにいるのは、大人ばかりだったから。
 二男潤の出産の時は、顕が二才になったばかりだったので、プラスティックケースに顕の衣類を全部入れて、おばあちゃんにすべておまかせして。でも二才の幼児だから、それほど大変ではありませんでした。残されたおばあちゃんと住職は大変だったかもしれませんけど。
 でも今回の出産は、残していくのが三才と五才のわんぱくざかり、わかっているのか、いないのか。
 なんとか八月の前半でお産したかったのに、予定日通り八月末になってしまって、それだけは避けたかった“顕の新学期に、私がいない”という状態になりそうです。
 たかが幼稚園ですが、新学期にはいろいろ持っていかなければならなかったり、通園バスの時間が変わったりと、いろいろあります。また、潤のことを考えると、毎日の薬のこと、病院の診察日のこと、急に具合が悪くなった時のことなど、考え出すととまりません。
 自分の体のこと、赤ちゃんのこと、顕のこと、潤のこと、結局はなんとかなるのでしょうが、考え出すと・・・。
 明日入院ということが決って、大きなお腹をかかえて、しておかなければならないことをバタバタとかたづけながら、やっぱりいろいろ心配。本当にしょうがないですね。
 お寺におみえになる方達がみな口を揃えておっしゃるのは、「今度は女の子がほしいわね、でも、お腹の形は男の子みたいネ」
 さて、みなさんの予想通り、出てくるのは男の子?女の子?どっちでもいいんです。でも病院通いは一人でたくさん。できれば健康な子がいいな。
入院前夜 八月二十七日 夜
 生まれた、生まれました。
 お腹の赤ちゃんにアクシデントが生じたため、急遽、金曜日に入院。出産処置がとられたのに、始めのうちは順調に起きてきた陣痛が途中から遠のいてしまって、消えてしまって。
 「様子を見ましょう」と、むなしく過ぎた日曜日。結局、八月三十一日月曜日、点滴の力を借りて、お昼頃、長女“夏菜”を出産しました。「大きさは標準だよ」というお医者様のことばにすがって出産したのに、生まれてきたのは、やっぱり三八三四gの大きな子。先生もびっくりするほど大きな胎盤に守られて元気に生れてきました。
 母親の入院で淋しそうな長男顕。一方、母親に捨てられた、裏切られたと思うのか、やっとつれてきてもらったのに、私がどんなに呼んでも住職にしがみついて泣きわめいて、病室にも入ろうとしなかった二男潤。孫たちの世話を一手に引き受けてくださったおばあちゃん、そして、今回はしっかりお父さんしてくれたらしい住職。いろんな人にいっぱい心配をかけて、大変な思いをさせて生れてきた夏菜。ごめんなさい。そしてありがとうございました。
 今日から我が家は六人家族、育児大戦争に突入です。

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