1997年10月
十月も終わりだというのに汗ばむような暑い日が続いて 幼稚園に行くとまだ白い半袖Tシャツ一枚のお母さんが 自転車の後ろに子供を乗せて送り迎えしている姿を よく見かけます。それなのに夜子ども達が(住職も?)寝静まってやっと坊守日誌などを書こうとすると 寒くて寒くて本気で炬燵を出そうかなんて思ってしまって。一日のうちでこんなに温度の差が激しいとどうしても風邪を引きやすくって、あっちを向いてもこっちを向いても はなたれ小僧やおせき小僧ばっかりです。
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十月十八〜十九日は延立寺の旅行会でした。ここ数年住職と母と二人して参加させて頂いておりますので 当然お留守番は私と子ども達、御法事もお約束も無い静かな(?)週末のはずでした。
土曜日はなんとか無事に終わり このまま何事も無く終わるのかなと思った日曜日のお昼前 一台の自動車が入ってきました。降りてきたのは喪服姿の数人、「あらら〜」と思って見ていると 次々と到着する自動車、どんどん降りてくる喪服姿の方達。
こういう時人間て自分にとって都合のいいように物事を解釈するもので、「隣(むさしの霊園)と間違えたんだろう」と思いながら出ていって、でもとりあえず「お墓まいりでしょうか」とお聞きすると、「いえ法事です」というお返事。そこで「ここ延立寺なんですけど、うちでしょうか」とお聞きすると、自信たっぷりに「ここにお墓があるんだからここですよ」というお返事。ここで私しっかりパニックしてしまいました。
一番最初に思ったのは、間違いと手違いと勘違いが重なってこちらはそのつもりがないのに 約束が出来上がってしまっていたのではないかという事。それから後は「どうしよう」だけ。二〜三人の方だったら「申し訳ありません、住職も母もいないので御法事出来ないんです」と謝って、本堂でお参りだけして頂いて お引き取り願うのですが、こんなに大勢さんじゃなんて言おう、いっその事 顕にこーげんぎーぎー(光顔巍巍、『讃佛偈』というお経の出だし)でもやらせようかなんてばかな事まで考えたりして。
すると後の方にいた年配の女性が「ここなんか違うみたいよ」とポツリ。そこですかさずもう一度「うち延立寺なんですけど お隣明観寺さんとおっしゃるんですが」と大きな声で。するとさっきの女性が「あら間違えたわ 明観寺よ」と。一行は一言のご挨拶も無くどやどやとまた自動車に乗って隣の霊園に移動して行きました。ちょっとだけムッとしましたがヤレヤレです。
後は何にも無くて 子ども達とぐだぐだごろごろ。あっという間の二日間でした。めでたしめでたし。
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