1997年6月
5月は一年中で一番いい季節だというのに、今年の我が家の5月は最低でした。潤がゴールデンウイーク中にひいた風邪をこじらせて肺炎をおこし入院して 退院してからもぐずぐずと熱が続いたり 顕もいっしょになって風邪をひいて一週間も幼稚園をお休みしてしまったり 私も寝不足と無理がたたってダウンしかけたり。この何ともへんな気候のせいでしょうが、メロメロな5月でした。6月に入って何とか皆持ち直して やれやれと言うところです。
でも唯一の救いは 誰もが顕は幼稚園に馴染むには時間がかかるだろうと思っていたのに、思いのほかすんなりととけこんでしまって。毎朝迎えに来た幼稚園バスの中に大好きなてっちゃんやかずくんの顔がみえると 送りにきたお母さんなんてどうでもよくなって、それはそれで寂しいでしょと言われるけれど 我が家はまだまだ手のかかる次男坊ともしかしたら一番手のかかる大物がいるので寂しがってる暇はありません。
顕が幼稚園に持っていく雑巾を 使い込んではいるけれどまだ真っ白なタオルで縫いながら思い出した事があります。
遥か昔 私が小学生だった頃もやっぱり新学期は各自雑巾を持っていったものです。当時我が家には一年に数回長野から大きな小包が届いていました。それは田舎に住む祖母が、東京の末息子一家の為に送ってくるお米だったり漬物だったり季節の野菜だったりの小包でした。今のように宅急便が無かった頃、あの腰の曲がった小さな祖母が、あの重たい荷物をどうやってこしらえてどうやって郵便局まで運んだのか、思っただけで胸がキュンとしてしまいます。
毎回小包の中に必ず入っていたのは、黒っぽい数枚の雑巾。たぶん着古した木綿の着物かなにかの丈夫な所だけを接ぎ合わせた、お世辞にも使い良さそうとは言いがたい雑巾。それを持って学校に行った私は、クラスメートの持ってきた物との違いにちょっと気後れしてしまいました。
当時だってそんな雑巾を持ってくる人は誰もいないで 古タオルの物がほとんどでした。誰が持ってきたのかわからないように隠すように提出したのに、隣のクラスが雑巾をもらいにきた時に 私の持っていった雑巾を「これもきたならしいからあげちゃえ」と言った担任教師の言葉にひどく傷ついたものでした。自分だって恥ずかしいと思ったのに、イヤだとおもったのに。懐かしさとともに、ちょっと胸が痛くなる思いでです。
遠く離れて暮らしている息子の事をいつも心配していた祖母も 心配の種だった私の父親自身も もうこの世にはいません。
これを書き始めてから書き終わるのに2週間近くかかってしまいました。潤が肺炎をぶり返し再入院なんてしちゃったものですから。でも今度こそ本当に元気になって旺盛な食欲でなんでも手掴みでバクバク食べている潤を見ていると、「なんでも好き嫌いしないで食べないと病気になる」なんて嘘だって思ってしまいます。だってあんなになんでもたくさん食べる潤が二度も肺炎を起こしたのに、偏食で小食の顕があんなに元気なんですもの。
人間好きな物を好きなだけ食べていればいいんじゃないかって、だから顕はおまんじゅうとケーキと牛乳だけ食べていればいいんじゃないかって。
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