1995年9月

 一説によると100年ぶりの猛暑だというこの夏、1995年7月31日 顕の弟が産まれました。
 名前は『松本 潤』じゅんです。名付け親は顕同様父親の住職、人をうるおすという良い意味がある反面、煩悩に浸りきっているという意味もあるそうですが、「それもまた真宗ぽくていいんじゃない」なんて思ってしまう相変わらずしょうもない坊守さんです。3710gだったので、3910gで産まれた顕に比べれば小さいけれど この猛暑でくだものとそうめんぐらいしか食べたくなかった母親のおなかの中で ここまで育ったのはりっぱとほめてあげたいくらいです。
 仮死状態で産まれて やっと泣いた産声もまるで年寄りのノラ猫のようだった顕と違って 最初から力いっぱい自己主張の固まりのような泣き声を聞くと 二人の将来の力関係が見えてしまいそうです。住職は「やさしい顕がわんぱくな弟に泣かされているのを見たら ついつい顕をかばってしまうかもしれない」なんていらぬ心配を今からしています。
 お産はその人ごとその度ごとに違うと昔から言いますが まさしくそのとおりで 顕の時はダラダラと続くのが辛かったですが 今度は5時間弱しかかからなかったのに その痛さと苦しさに耐えきれず わめき叫び大泣きをして大修羅場を演じてしまいました。まったく最低最悪の産婦で『穴があったら入りたい』どころか『自分で穴を掘っても入りたい』くらいでした。
 皆さんが心配してくださった顕は 1日目はおばあちゃんやいとこ達と大勢で来て何が何だかわからないうちにどさくさに紛れて泣きもせずに帰ったのに、2日目住職と二人で来た時は 大泣きをしながらバイバイと言って玄関を出るまで泣き声が聞こえていました。
 3日目はメソメソしながらバイバイ、ところが4日目は帰りがけに買ってもらうジュ−スがほしいばかりに 来るそうそう帰りたがって平気でバイバイしてジュ−スを買ってもらったらニコニコで。4日目にしてもう母親なんていらないのかと涙が出るほど寂しかったです。私は病院のベッドで寝ても覚めても顕の事を考えているっていうのに。これが親離れ子離れの第一歩なのでしょうか、どうも子離れの方が大変そうです。
 でも退院してきた時から顕の試練が始まっています。「ちょっと待ってて」「ちょっとがまんして」言うほうもせつなくなってしまいます。潤におっぱいをあげていると 足にしがみついてきたり背中にくっついてきたり 夜中におっぱいをあげていると目を覚まして自分も牛乳がほしいとごねたり。潤の事はかわいいけれど顕自身まだまだ混乱しているようです。
 顕と潤は 起きている時の顔はそれほどそっくりというわけではないのに、寝顔はそっくりというよりまるで同じで そのうえ寝姿まで同じなので写真に取っておくのを忘れてしまうほどおかしいです。この二人がどの様に成長していくのか 楽しみのようなちょっぴり怖いような、20年後延立寺はどうなっているのでしょう。
 お彼岸は家族5人そろってお待ちしておりますので 皆さんもどうぞ御家族おそろいでお参りくださいませ。ますますにぎやか(うるさく)なった延立寺、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

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