1995年3月

 順繰りに家族全員でひいた風邪もひき終わり、残るは私の花粉症だけ。目薬とティッシュを手放せないで、ただただ、この季節が通り過ぎるのを待っています。
 毎日物騒な事件の報道で新聞もテレビもいっぱいです。住職が東京に出かける時(なんだこの言い方は。どんどん八王子に染まっていく自分が悲しい)、言ってもしょうがないのについつい「気をつけてね」なんて言ってしまいます。気をつけたってどうしようもなさそうな事ばかりですのにね。
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 阪神大震災からもう二ヵ月。まだまだ多くの人達が避難所という名の体育館やテントでの生活をしいられているのかと思うといてもたってもいられない気持ちになります。特に顕が具合悪くて夜中に何度も泣いたりすると こんな子を抱えたお母さん達はどうしているのだろうと身につまされてしまいます。何かしたい何かしなくてはと思いながら 日々の暮らしに追われ何も出来ない何もしない我が身の無力さを不甲斐なさを恥じています。
 亡くなられた多くの人達の中にどうしても忘れる事の出来ない坊やがいます。上中大志(うえなかたいし)君。大志君は周囲の者の心にポッと温かい灯をつけて、わずか一年六ヵ月の人生をあっという間に駆け抜けていってしまいました。お父さんもお母さんもお姉ちゃんも残してたった独りぼっちで。
 大志君の生まれたのは一九九三年七月十五日。我が家の顕の生まれたのは一九九三年七月十四日。そうです、顕が生まれて翌日に大志君は生まれたのです。大志君もきっと顕のようにみんなからかわいがられて、いっぱい笑っていっぱい泣いていっぱいいたずらして、明日が来るはずだったのが急に途切れてしまったのです。
 忘れません、そして顕にも話して聞かせようと思っています、「あなたと一日違いで生まれた子がね」って。その日のために大志君のお母さんの書いた新聞の投書蘭の切り抜きを大切にしまいました。
 ひとくちに阪神大震災で亡くなった五千四百人を越す人たちと言いますが、その一人一人にいろんな人生があって、その一人一人がみんなかけがえのない人たちであって。遠く離れてなに不自由ない生活をしているとついつい忘れてしまいそうですが、今思っているいろんなことを努力しても忘れてはいけないとあらためて思っている今日この頃です。

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