1994年10月

10月も半ば過ぎて やっと衣替えが済んでちょっと一息ついたところです。
子供の衣替えは ただ入替えればいい大人の衣替えと違って しまってあった冬服でもほとんどが小さくて着られないし 夏服をしまってもきっと来シ−ズンは着られないだろうしでなんとなくめんどくさくて ぐずぐずと遅くなってしまいました。
 ぐずぐずと言えば なかなか歩かなかった顕が、やっとヨチヨチ歩くようになりました。まだハイハイのほうが得意ですが 毎日本堂の前の芝生でおばあちゃんと遊んでいます。

 夜暗くなってからタクシ−を使うことがあります。「犬目の延立寺に行って下さい」と言うと 運転手さんがバックミラ−越しにこちらを見て 「お客さん、お寺の人ですか」なんて聞くんで「そうだ」答えると 「お寺って怖くないですか、お墓もあるし」なんて けっこういい歳のおじさんが まじめな顔をして言います。「おばけが怖くて お寺に住めるか」と言ったのは私じゃありませんが 我が家じゃ誰もおばけを見たことがありませんし、延立寺におばけが出るといううわさも 残念ながら聞いた事もありません。
 どこかの葬儀屋さんが『死んだ人は悪さはしない、本当に怖いのは生きている人だ』となにかに書いていましたが、私もそのとおりだと思います。
 10月、テレビ番組もいっせいに入れ替わるとき、スペシャル番組で『私は見た、幽霊が・・・』とか『超能力が・・・』なんて番組をあちこちでやっています。おばけや幽霊の話と超能力の話をいっしょにすると誰かにしかられそうですが あれだけあちこちでやるというのは それだけ見る人がいるってことですよね。現代科学で説明できない事をすべて否定するつもりはありませんが なんかへんだなって思います。子供の頃からかけっこが速かった子が優秀なコ−チの指導で オリンピックで活躍したり、歌のうまかった子が優秀な先生の指導をうけることで大人になってコンク−ルで賞を取ったりのように、ある種の才能をもった人が特別な訓練をする事によって 私なんかじゃ理解できない事がおこるなんて事が あるのかもしれません。でも 死んだ人と話せる人がいても迷宮入りの殺人事件は無くならないし(殺された人には犯人はわかっているはずですよね)、何でも見える人がいても行方不明者は見つからないし。やっぱり私には理解できない世界です。

 前号の坊守日誌に書いた 我が家がかかさず見ている番組は 『料理の達人』ではなく『料理の鉄人』の間違いでした。本当に隅から隅まで読んでくださっている方が何人もいらして うれしいような困ってしまうような。

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