1993年6月

 毎日毎日 蒸し暑くて 毛皮の脱げないトムといっしょに あっちこっち 少しでも 涼しい所を 探す日が 続いたかと思ったら、仕舞い込んだセ−タ−を 又 ひっぱり出したくなるほど 肌寒い日が続くという なんともしんどい季節です。
『なんでおなかに スイカ入れてるの?』なんて憎まれ口をたたかれながら 急にふくれだしたおなかを もてあまして 毎日グ−タラしています。

 今回は ちょっと うちのお宗旨とは、ずれちゃってるかもしれないお話。
 知り合いの 又知り合いのお嬢さんが、亡くなりました。
 2歳の時に 発病して6年、8年間の短い短い人生でした。
 娘の新盆の提灯を 買いにいったご両親は、もらった福引で オ−ストラリア旅行が 当たったそうです。
 『喪中だから』としり込みするご両親は、『元気にしていたほうが お嬢さんも喜ぶわよ』
 仏様が ご褒美を下さったとは思いません。亡くなったお嬢さんが ありがとうと 当ててくれたとも思いません。でもなぜか ほのぼのしてしまう話でした。
 生まれた時から お姉ちゃんが病気だった弟君。6年間も 辛い苦しい病気を 娘といっしょに戦ってきたご両親。それを支えてきた周りの方々。
 どうぞ 後ろめたい思いなどせずに いっぱいいっぱい楽しんできてください。
 そのほうが ぜったいお嬢さんも うれしいにちがいないと思うから。
 でもなぜ 喪中は いろんな事を 自粛(以前流行りましたネ)しなければならないのでしょう。
 本人がしたくない、その気にならない、というならしかたありません。でも他人が、『喪中なのに あんなハデなかっこして』とか 『遊び歩いて』とか とやかく言うのは、大きなお世話だと 思ってしまうのですけど。
 かくいう私は、父の喪中に 結婚式を あげました。末娘が なかなか結婚しない事が、父の悩みの種だったのを 知っていましたから。でも 母が だめだと言ったら どうしたか ちょっとわかりませんが。
『ようは 生き残った人の 気持ちしだいだ』なんて言ったら まるでうちの住職みたいですネ。
 だんだん考え方が 似てくるようで なんかいやになっちゃいます。

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