2020年9月

先月の最後の日、末っ子夏菜さんが、22歳になりました。
いまだに、会食絶対ダメな次男が仕事中に、住職と長男と4人で、ちょっと豪華なランチしてきました。外食ひさしぶりで楽しかったのですが、けっこう混んでて、びっくりしてしまいました。
コロナで 飲食業が不況って全てではないみたいですね。
22年前、長男顕は5歳の幼稚園の年中さん。次男潤は3歳のまだ幼稚園に入る前。
その二人を寺に残して、お腹の中の赤ちゃんの心臓に異常があるかもと、入院したのは、出産の三日前。たぶん急に。
頭では解っても、気持ち的に理解出来なかった顕と、頭も気持ちも理解出来ないし、わけわかんなくなってた潤。
すったもんだの末、なんとか無事に生まれてきてくれた夏菜さん。それにひきかえ、私が入院してからいっさい物が食べられなくなってしまった顕くん。
潤くんの方が、まだ誤魔化しがきいたようですが。
全てが終わって 初めて病院に連れてきてもらった二人の兄ちゃんは、真逆でした。私の顔を見て安心したのか、私の病院食を完食した顕くん。この後毎日 夕飯時に来て、私の夕食を食べていましたが。あの時の天丼は、ほんとにおいしかったって今でも言います。潤くんの方は、病室の入口から一歩も入って来られませんでした。泣いて暴れて踏ん張って。ほんとにバタバタでした。
で、たぶん出産後4日ぐらいで退院してきていったん寺に戻って 荷物をととのえて 顕の幼稚園に行って担任の先生に「しばらく実家に帰るので、幼稚園お休みします」って挨拶して。
ちなみに、この時生後4日の夏菜さんを抱いてくださった先生が、夏菜さんの卒業時の担任で。うちの子達が通った幼稚園は、鼓笛隊が盛んで。で、今では信じられないくらい優秀でしっかりしたお嬢さんだった夏菜さんは、学年でただ一人ドラムレジャーというバトンを持って先頭で指揮をする役を仰せつかって。運動会で初お披露目で、バトンを高く投げてキャッチするのが、カンペキには出来なかったのが、本番はカンペキで。その後先生は、ぼうだの涙で。学年主任として講評しなくちゃいけないのに 何も言えなくて、後で仲間の先生方からからかわれていたのは 我が家では有名な話。
8/31に生まれて、9月のお彼岸には寺に戻り、普通にお寺のお嫁さんしてた私って偉かったなって思いますが、その時夏菜さんは、どうしていたかって?座敷の真ん中の座布団にバスタオル掛けた上に転がされて、枕元に紙オムツとミルク置いて。気がつくと誰かが世話してくださって。その節は大変お世話になりました。
そんな夏菜さんも、年が明けると大学卒業。就職は…。
いろんな事を思い出した夏菜さんの誕生日でした。(直子)

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