2001年3月

 やたらいっぱい新聞に折り込み広告の入っていた日。
長女夏菜が一枚一枚見ながら遊んでいました。
 しばらくすると、自動車のチラシは次男潤のところへ「はい、じゅんにいちゃん」と言いながらわたし、また別のチラシを「はい、おばあちゃん」と言いながらおばあちゃんのところへ。見るとなんと霊園と墓石のチラシ。そりゃうちのおばあちゃん、職業柄そういうチラシはまあまめに見ているみたいだけど。「うちなら笑い話だけど、よそ様だったら問題かもね」と笑いながら話してくれたのはおばあちゃんでした。
 
 次男潤の通う幼稚園は、毎学期ごとに母親たちの親睦会が開かれます。通園バスを使っている子が多いので、親たちが会う機会がなかなか少ないからということで。
 たいがいはゲーム大会だったり、お食事会だったりのお楽しみ会がほとんどなのですが、年中さんの三学期。「いまさら親睦って言ってもね」とか「お食事会やボーリングだったら仲のいい友だちどうしのほうがいいよね」なんて声もあったので、思いきって「応急処置の講習会」というのを企画しました。人工呼吸も心臓マッサージも、遠い昔、高校の保健体育の授業で習ったような気もしますが、その頃自分が母親になるなんて考えられなかったから真剣に聞かなかったし、もしかしたら遊んでいたのかもしれません。
 今、幼い三人のやんちゃざかりの子どもをかかえて、もし何かあった時、自分の目の前で苦しんでいる我が子に何もしてやれないよりは、マネ事でも何かしてやりたいと思ったから。
 役員だったのですが、消防署から「救急士」の人に来てもらう手配も、資料の準備も、会場の確保も、たいしたことはなかったのですが、困ったことはただ一つ。現役の救急士さんなので、受け持ち区域で家事や事故があったら、当日来られないかもしれないし、無線で呼出があったら、講習中でも出動してしまうかもしれないこと。
 ただ、ただ、何事も起こりませんようにと思いながら待った当日、救急車と、赤い消防車で会場に来てくださった何人もの消防署の方たち。来るそうそう救急車は出動して行ってしまいましたが、残りの方たちで無事講習会は終りました。
 思いがけず私語も無く真剣に聞くお母さんたちの姿に、「皆、思いは同じなんだな」と思った一日でした。
 ただ一つ誤算だったのは、自分で言い出して企画なんかしちゃうと、かんじんの講習はほとんど雑用で聞けないということ。私が聞きたかったのに。
 ぜったい今度、他の子の親睦会で、友だちに企画してもらって、ぜったい一番前の真ん中で、しっかり聞くぞと固く決心した出来事でした。

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